「ひとりのみどり子の誕生」

          小 林 重 昭

 

「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる」。(イザヤ九章六節)

 

 クリスマスの恵みをお祈り申し上げます。この一年私達は、東日本大震災、福島第一原発事故という大きな試練に直面しました。特に、被災地の皆さんのご苦労を思います時に、慰めの言葉がありません。主の御慰めと、一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。

 クリスマス・師走の月をお迎えしました。皆様、如何お過ごしでしょうか。

 今回は、イザヤ九章を開きました。イエス・キリストが誕生される七百年前、イザヤによって預言された有名なメシヤ預言です。イザヤは救い主は「ひとりのみどりご」として誕生すると語ります。「みどりご」とは「赤ちゃん・赤ん坊」のことです。それも「男の子」です。

 赤ちゃんは、人間の世界では最も弱い者の姿です。まさに「みどり子」の誕生は、この世から見捨てられた者、弱い者の友となられた主イエス様の姿を象徴しています。

 九章四節は、「救い主の肩書」を四つ紹介します。F・Bマイヤーは「肩」とは、強さのシンボルであると言います。

 ここでは、二つの肩書を述べます。

 

一、不思議なカウンセラー

 男の子として誕生する「みどり子」は「霊妙なる議士」として紹介されます。「霊妙」とは、「人間の世界ではありえない」という意味です。すなわち、「不思議な助言者」「素晴らしいカウンセラー」(ワンダフルカウンセラー)です。

 預言者イザヤは、宮廷で王様の相談役、助言者であったようです。現在で言えば、カウンセラーです。まさに、生まれてくるメシヤは、不思議なカウンセラー、ワンダフルカウンセラーなのです。

 誰よりも私達の弱さを知り、弁護して下さる救い主です。「もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる」(一ヨハネ二・一)。

 

 二、平和の君

 「平和」とは、『シャローム』です。私たちに本当の平和を与えて下さる御方です。「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって、これを立て、これを保たれる」 (イザヤ九・七)。そして「万軍の主の熱心がこれをなされるのである」(九・七後半)と! これは、これを阻止するものは、何もないとの宣言です。 

「みどり子」は、「平和の君」として誕生されます。平和の君のご支配は、預言の如く「公平と正義」による統治です。

 イエスのメシヤとしての働きの中心は、平和の君に徹することでした。人々は、ローマからの独立を勝ち取る為に、軍事行動を要求しました。イエスの弟子の中にもそのような考えの者もありました。

 しかし、主イエスは、「平和の君」としてロバに乗り、エルサレムに入城しました。そこで、十字架に架けられ死なれたのです。主イエスの十字架こそ、人々を罪の奴隷から解放するためのものでした。

「その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によって御自分と和解させて下さったのである」(コロサイ一・二〇)。まさに、私たちは「平和の君」イエス・キリストに在って、神との平和(ロマ五・一)に与っているのです。