「むさぼってはならない」
小 林 重 昭
「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
(出エジプト記二十章十七節)
「暑さ、寒さも彼岸まで」の諺の如くすっかり、秋めいて参りました。
皆さんお変りございませんか!
東日本大震災、並びに福島第一原発事故による被災地の皆様の上に、主の御守りと、一日も早い復興、収束をお祈りいたします。十五号台風の被災地の皆様に、御見舞申し上げます。
今回は、モーセの「十戒」の最後の戒め、「むさぼってはならない」(出エジプト記二〇章十七節)を開きました。
「むさぼる(貪る)」とは、「ほしがる」ことです。すなわち、隣人のものを「普通以上にほしがる」「あくことなくほしがる」「欲ぼる」(角川国語辞典)事です。
或る方は、様々な国際情勢を振り返り「多くの国際紛争の原因は、『むさぼり(貪り)』ではないかと思います」と、語ります。そして、「日本も、明治維新から、現在までの約一二〇年を振り返ると、たくさんの戦争や侵略を行ってきたが、その原因はすべて、日本人のむさぼりです」と述べます。
さて、モーセの「十戒」は、文字通り「戒め」の規定です。しかし、「十戒」の本来の目的は、私たちの「幸福」のために与えられたものです。すなわち、「十戒」の御言葉に聴き従う時、私たちは本当の自由を生きることができます。
「十戒」の第六戒〜第八戒「殺人・姦淫・盗み」は、「行為」に関する戒めです。第九戒「偽証」は、「言葉」に関する戒めです。それに対して、第十戒「むさぼり(貪り)」は、「心の思い」に関する戒めとなります。
一、むさぼりの心「貪欲」
私たちの心の中の「むさぼり(貪り)」が、行動に移る時「盗み」となります。「隣人の妻」へのむさぼりは、「姦淫」となります。この様に、「むさぼり」は様々な罪と結びつきます。
1、金銭に対するむさぼり
「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」。
(Uテモテ六章一〇節)
2、搾取とつながるむさぼり
(Uペテロ二章三節)
3、貪欲は偶像礼拝
「だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない」(コロサイ三章五節)。
「すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち偶像を礼拝する者は、キリストと神の国とをつぐことはできない」(エペソ五章五節)。
「むさぼり(貪欲)」の心が大きくなると、物質(お金)が、最高(神)の位置を占め、偶像礼拝へとつながります。
パウロは、「むさぼり」の罪に目が開かれます(ロマ七章七〜一三節、二四節)。そして、主イエス・キリストに信頼し、「いのちの御霊の法則」(ロマ八章一節)に与り、「むさぼり」から解放されます。
二、足ることを知る
「金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい」(ヘブル十三章五節)。自分の命と全ての必要は、神から受けている事を覚え、「足ることを知る」ことです。「空の鳥を見るがよい。…天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか」(マタイ六章二六節)。