出身地
 長野県 長野市国宝善光寺から徒歩5分。
家の二階の窓からは志賀高原に菅平、遠く浅間山の噴煙も望める山国出身。


                

 
現住所
 神奈川県 横浜市。もう15年以上住んでいる(た)。でも都会は・・・・・・・。

                
 2010年故郷の長野市にUターンしました・・・・長野県・・・海がな〜い!!
 でも、日本海まで1時間足らずです。
 
年齢・家族構成
 昭和36年生まれということは、もう40代。腰痛をはじめ、身体にガタが・・・妻あり。
 
 
資格
1、気象予報士 (趣味のために無理やり取った資格が仕事になってしまった)
2、甲種危険物取扱者 (会社のために仕方なく取得。何の役にも立っていない)
3、エックス線作業主任者 (これまた会社のため。X線回折用。日常生活に全く不要)
4、第一級小型船舶操縦士免許 (名前は一級、難易度は3級。長距離航海用)
5、第一級海上特殊無線技士 (英語の試験があったけど、まったく使えない)
6、第4級海上無線通信士 (プロの通信士の一番下っ端。いつか海外航海のために)
7、電話級アマチュア無線技士 (第4級海上無線通信士を取ったので不要になった)
8、行政書士(予報事業者登録申請には役立ちそう?持ってるだけ)
9、海事代理士(もう少し海の事に詳しくなりたかった。船舶免許の更新手数料がタダになっただけ)
その他、
教員免許(高校中学理科)等、合計13個。しかし、数だけでは食えない!!
 
いままでしていた仕事
1、ビデオヘッドの開発
 某弱電メーカーVTR技術者として11年、S-VHS/PALヘッドは私が開発しました
電子材料開発(磁性体単結晶育成、低融点ガラス合成)、精密加工技術。電子顕微鏡(SEM)、蛍光エックス線分析(XMA)も・・・・。一応、簡単な回路設計も可能です。
                         
 プロジェクトXに取り上げられた職場が、2002年6月、映画になってしまいました「陽はまた昇る」東映。(メーカーで機械イジリを沢山した経験が船のメンテに何かと役立ってます)

2、天気予報番組の制作
 気象予報士取得をきっかけに180度転進!!マスコミの世界へ。某キー局ウェザーセンターの統括デスクとして、天気予報やニュースの原稿、構成を一手に引き受けてました。
                          
 全国ネット番組(○ュー○ステーションとか、やじ○○ワイドなど)の予報も一人で出しておりましたが、一度もクレーム無し。よ〜く当たる「予言士」と自負しております。
全国各地(青森・岩手・宮城・関東U・高知・鳥取・島根・・・・)のローカル放送局の天気予報番組のプロデュースもしていたので、ひょっとしてこのHPをご覧になっているあなたの見ている天気予報の構成もひょっとして・・・・。
 また、某釣り雑誌に気象について連載していました。また某FMラジオ、ケーブルTVにも出演しましたが、人前は大の苦手です。
(資格だけではなく、予報業務の経験はヨットにむちゃくちゃ役立ってます)

3、天下無敵の失業者
 この平成不況の真っ只中蓄えを食いつぶしつつ、次なる人生のステップを踏み出ため、虎視眈々と世相を見極め・・と言いたいところですが、いい歳して学生。
舵社、ボートクラブ誌に連載開始。

4、2007年3月 Ksayan「博士」になる!!
 実は大学院に通っていたのですが・・・ついに専門職過程ながらも、Kasayanも「博士」になってしまいました。
 博士だからどうした・・・といわれると、それだけですが、また一つの分野において、自分に自信がつきました。
 さて、これからどうするか?

5、2010年Kasayan故郷長野に帰る!!
 年老いた両親の面倒を見るべく、海の無い故郷長野に帰りました。
 GoldenWistaria号を伊豆半島の安良里に嫁入りさせ、長野では空の女王、グライダーをはじめました。
               
6、2012年3月Kasayan本を書く!!
 「航海のための天気予報利用学〜ロングクルーズを夢見るあなたへ」を舵社より発売。
 本棚の中ではなく、チャートテーブルの片隅に置いておきたくなるようなお天気の本をコンセプトに、天気予報のトリセツを本にしてみました。気象学や理科の解説は一切していないという異色の本に仕上がっています。
 興味のある方は、最寄りの図書館か大きめな書店で立ち読みしてみてください。
                          
 ヨットを壊さず、大切に乗っていれば、いつかはヨットが遠くまで連れて行ってくれます。同じように、身体や頭脳を大切にしていれば、身体と精神が自分を素晴らしい場所まで導いてくれると信じて、何事にも精進していきたいと思っています(いつになくマジメ?)。


 
ヨット歴
 昭和63年〜
とにかく社会人になるまでは、理系学生の宿命、実験とレポートに追われる学生生活。ヨットに触れたこともなく、ただ漠然と「乗ってみたいなー」程度の感覚のみ。まさかこんなことになろうとは・・・。

 始めてヨットに乗ったのは、社会人3年生の昭和63年。な〜んとなくヨットに乗りたいなぁと思っていたら、会社の掲示板で佐島マリーナのクルーザーヨットスクールの案内を偶然発見。単なる興味本位で思いつきで申し込み、始めて乗ったのがJ24。船外機を切ったあとの静寂と水を切る音に妙に感動して全身に震えが走り、そのままヨットのとりこに・・・・。

 どうやってヨットを続けるべきか思案の末、金が無いので、葉山マリーナのスポーツクラブでレンタルディンギーを借り、インストラクターをつけて基礎を身につけつつ、横浜市民ヨットハーバーで毎週末、クルー修行、そして船舶免許に無線の免許を取りまくり、誰もが欲しがるクルーを目指すも、ヨットマンよりヨットオタクへまっしぐら。

 Farr38ftで、鳥羽レースに出場、回航で夜光虫を見たことから、こんどは自分の手でこの景色を手に入れたいと、ついには自艇が欲しくなり、独身ながら毎日昼飯の弁当を手作りし、ケチケチ生活を重ねてヨット購入資金を貯蓄。

 そして平成4年、結婚資金が少々あまったのをチャンスに、結婚式の2ヵ月後、10年落ちの半カスタムメイド、半自作、の不思議な半レース艇(岡本造船、岡本24+2)を購入、そのまま岡本造船(YCC)に係留することに。この艇、設計者の熊沢氏が「東京湾の微風専用」として設計しただけあって、微風時には恐ろしく早い船。レース能力ゼロのKasayanに、草レースで優勝というプレゼント。その後、横浜市長杯、海鹿島レース等にも参加。

                       
                          岡本24ft「浮浪雲」

 1艇目の艇名は「浮浪雲」。前のオーナーがつけた名前そのまんま。さすがに恥ずかしかったけど、プレーニングボード付きで早かった。現在も次のオーナーのもと、YBMの草レースで大活躍中。

                  
                      横浜ベイブリッジ近くの旧泊地にて

 ただ、微風専用の船だけあってバラストが極端に軽く、ちょっとした風でもリーフが必要。(この船の腰の軽さに対する恐ろしさのあまり気象を勉強し、気象予報士取得)
本当はクルージング派のKasayan、横浜ベイサイドマリーナが開業し、横浜ベイブリッジ横の素晴らしい迫地からやむなく移転することを機会にクルージングのできるヨットに買い換えることに。その船が現在のGoldenWistaria号。現存したオーストラリア航路の鉱石船の名前。

        
                         横浜ベイサイドクラブYBCの面々

 当初サラリーマンで船を維持できるのか・・・と心配のあまり悪夢まで見ましたが、どうにか無事10年を過ごすことができました。
これからは・・・・・・・・・・・・日本海にヨットを舫って暮らすのが夢です。
 
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責任は持てませんけれど・・・。
特にヨットレースやクルージングには積極的にご協力いたします。