2000.05.21
日立造船葛Z研 一色 浩

職 人 の す す め

 先日、日本造船学会の環境関係の委員会が開かれ、かなりの盛会であった。世話役をしていたNさんから、挨拶を頼まれたのであるが、そのときNさんが言うには、造船の偉い人がいなくなってしまったので、仕方がないから引き受けて欲しいというものであった。断るわけにも行かないので、引き受けたが、思えば、率直な点は認めるが変な頼み方である。
 その点はまぁ良いとしよう。挨拶の始めに、つぎのようなことを述べた。
「自他共に偉いと認める人はみな居なくなってしまいました。自他共には偉くない私がまだ生き残っております。生き残りのためには、あまり自他共に偉いと認める人には、ならない方が良いようです。・・・」
 一種の冗談として、こんなようなことを言って、本題に入ったのであるが、このことには、その場の笑い話として済まされないものがあるようである。以下に述べることは、必ずしも一般的に言えないかも知れないが、大学、国研、企業の研究者、あるいはいろいろな専門的な職業に付かれている方には、当てはまると思っている。
 日本の組織では、大学であっても会社であっても、基本的にはみな管理者を目指す。専門家の重要さは認識されているのだが、管理者の方が上で、管理者として高い地位につくことが、社会的成功と考えられている。このような形で出世競争に精出しているうちに、いつしか専門家として時代遅れになるばかりでなく、現状維持も不可能になってくる。
 管理者として上に上り続けることができれば問題ないのであるが、大部分の人は定年でストップである。それに、企業の場合には、社長は一人しかなれないのである。ストップが掛った時には、専門家としてはほとんどだめになってしまっていることが多い。まったく潰しのきかない状態で放り出されることになる。若い人を捕まえて話をしても共通の話題はまったくない。管理者の感覚で話をしたら、誰も相手にしてくれない。
 一方、専門家はこの点で抜群に強い。専門がしっかりしていれば、若い人から頼りにされるし、尊敬されることだって可能である。専門家とは、別の言い方をすれば職人さんである。職人さんは、腕を鈍らせることがなければ、死ぬまで活動できる。芸術家なども一種の職人だと思うが、高齢になっても元気に活躍している人は多いし、年齢が加わるにつれて、独自の境地を開かれるようである。
 要するに、一定の年齢になって、管理者として先が見えてきたら、専門家に戻るべきであろう。相当に長期間にわたって専門から離れていたとしても、1年もすればかなり取り戻すことができる。3年も頑張れば、以前よりもハイレベルになる可能性だってある。年を取っても、その分経験を増しているわけであるから、それを上手く生かせば、面白い展開ができるはずである。単純に昔に戻ろうと思うのは賢くない。若い時と違って、一人の力の可能性と限界がよく分かっている筈であるから、他人とのコミュニュケ−ションを大切にするのもよいであろう。ものごとは何でも勘所を掴むのが大切である。一人で考えていては、効率が悪い。これぞと思う人に目星を付けて、あつかましく聞くのである。他人の物は自分の物と思う人は多いが、他人の頭の中身は自分のものと思うことである。自分の頭の中身も人に使って頂くことにすれば、五分と五分、何ら遠慮することはないだろう。定年の5年前位に切り替えをすると十分に間に合う。
 なにしろ、定年後の人生は長いのである。その過ごし方はいろいろあろう。趣味に没頭するのも良いであろう。ボランティアに精を出すのも良かろう。しかし、それだけでは十分でない。現役の時にやっていた仕事をなんらかの形で続けて、さらに発展させられたら、いろんな意味で楽しくて最高だと思う。
 そんなしんどい思いはしたくないと言う方も多いと思うが、仕事がしんどいのは、他人にやらされているという意識があるためであろう。自分の意志でする仕事は基本的に楽しいものではないだろうか?一銭のお金にもならないかも知れない。しかし、大きな生きがいが得られるはずである。人間にとって、生きがいは生きる上での原動力であり、何物にも代え難いものである。
 半年位遊んで鋭気を養ってからやろうと思われる人があるかも知れない。しかし、これは矛盾している。遊んで得られる程度の鋭気にいかほどの価値があろうか?この程度の鋭気では何事も達成できない。本物の鋭気は走り続けることからしか生まれないであろう。もちろん、ペ−スは大切である。マラソンを走りきった人の喜びは、見ているだけの人には理解できないであろう。一度走りきった人が、それで疲れた止めたと言うことになるかというとそうではない。
つぎの挑戦に闘志を燃やすのが、人間というものであろう。人間は生を全うするために、そのように作られているのではなかろうか?
 要は、思い立ったらすぐにやる。これだけである。必要なものは自然に追い駆けてきてくれる。志を立てて、思いっきり走る。実に爽快ではないか!
終り


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