30年以上前に,山田無文師による般若心経の解説書を読んだことがある。そのときにも面白いと思ったが,それは頭で理屈を理解しようとする行為であった。年取ってから改めて読んでみると,まったく別の感銘がある。自然に分かるのである。もちろん正確な意味はなかなか分からないが,すっと心に染み込んで来るものがあるある。般若心経ではないが,親鸞の言葉に「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人おや」と言う言葉があるが,この言葉の真意はどんな子供にも分からないが,ある程度人生の苦労を積んだ者なら,どんな人でもなんとなく分かるであろう。あまり理解力とは関係がない。人生の苦を味わって初めて,共鳴できるのである。
筆者なりの解釈では,般若心経から得られるメッセ-ジは,「ものごとに対するあなたの考え方の中で,基本的なところで誤りがあります。あなたが今まで疑うことなく信じてきたことに問題があります。絶対不変なものはひとつもありません。すべてものが限りない変転をします。誤った認識は欲望と執着を生みます。欲望と執着を捨てなさい。それを行えば,平安な心境を得ることができますよ」ということであるらしい。筆者の理解は正確でないかも知れないが,まったく見当違いでもないであろう。
確かに我々はいつまでも生きていたいと思う。しかし,生まれて死なないということはあり得ない。不老不死は我々の夢ではあり得ても,それは不可能事である。お釈迦様の教えは,「このような誤った願望は欲望と執着を生む。欲望に執着することは正しくない。ものごとをありのままにみて,正しい願望を持つことが肝要で,それを実践することによって心の平安が得られる」ということらしい。
筆者はまだ60代に入ったばかりである。この先何年生きるか分からない。平均余命からいえば,まだ20年くらい生きられそうであるが,明日死ぬかも知れない。残りの人生で最大の課題は,自分の死といかに向き合うかということである。逃げることなくしっかり付き合わねばならない。