2000.03.25
一色 浩
無知と差別

 朝鮮語では,汽車を「きちゃ」、自動車を「じゃどんちゃ」と発音する。筆者が最初にこの発音を聞いたとき、思わず吹き出してしまった。日本語の発音では、これらは幼児語の発音に近い。恐らく、筆者以外の日本人も同じ反応を示すであろう。
 また、東大門を「とんでぇ−むん」と発音するが、日本語では崩れた下品な発音として響く。落語に出てくる熊さん、八つぁんの発音である。彼らは、大工を「でぇ−く」、大根を「でぇ−こん」と発音する。
 滑稽であったり、下品であったりするのは、日本語の音韻の枠の中で解釈するからである。朝鮮語を学習して、その音韻体系が理解できるようになると、「きちゃ」や「じゃどんちゃ」や「とんでぇ−むん」がごく自然に聞こえるようになる。
 同じことが、朝鮮の人が日本語の発音を聞いたときにも起こり得るのではないだろうか? 「きしゃ」や「じどうしゃ」や「とおだいもん」は、とても滑稽で奇妙に響くことであろう。
 これだけに止まっていれば、何の問題もない。厄介なのは、自分たちと異なる発音が軽蔑や差別につながることである。日本人は、「きちゃ」という音を聞いただけで、相手を自分よりも劣ったものと思いがちであろう。
 このようなことは、言語だけでなく他のいろいろな事柄においてもある。食べ物、衣服、住まいのような文化的なものも対象になる。キムチやチゲが日本人に親しまれるようになって、まだ日が浅い。それまでは、朝鮮の人が食べる下等な食べ物という評価があったのではないか。何故下等かといっても、別段理由があるわけではない。要するに、自分たちが食べない食べ物であるに過ぎない。これは下等かどうかとはまったく無関係であるが、そう断じてしまうのである。
 肌の色などの身体的なものに対しても、同じようなことが見られる。肌の色と人間の優劣とは無関係であるが、黄色人種である日本人にとって、黒い肌に対しては評価が低く、白い肌には評価が高い。これは、現在の人種間の力関係の一つの反映であり、決して好ましいことではない。
 このような故なき他者に対する侮蔑や差別を克服するには、どうすべきであろうか? 朝鮮語の音韻体系が分かってくると、朝鮮語の発音が奇妙でなくなる。むしろ、ある美しさを持っていることが理解できる。要するに、このような侮蔑や差別は、無知の裏返しである。
筆者は、心理学者でも社会学者でもないので、この説明が学術的に正しいかどうか分からない。しかし、筆者の体験では正しいと確信している。
医者からは、もっと面白い見方が出るかも知れない。人間の体は、異物を体内に直接的に取り込むことに激しく抵抗する。いわゆる拒絶反応である。無制限に取り入れたら、個の独自性を保つことは出来ない。しかし、異物を取り込まない限り、人間は生きて行けない。消化と言う行為を通して、異物の個性を消滅して、個の独自性を犯されないようにして取り込むのである。
 人間の精神活動においても、同じようなことが言えるのではないか。まるごと受け入れたら、自己の独自性を保てないから、否定的になるのであろう。消化のように、異物の個性を抹殺して取り込むことは出来ない。これでは、計算機がデ−タベ−スの知識を増やしているのと何ら変わらない。受験勉強のようなもので、真に人間性を豊かに出来ない。
 それでは、どうしたらよいか。精神の世界を広げることであろう。理解という行為を通して、精神の世界を広げることによって、異物を包含して行くことであろう。朝鮮語に対する理解が進めば、朝鮮語の発音に違和感を覚えないようになるばかりでなく、親しさを感ずるようになるようなものである。
 最近、日本の大学に滞在中のある韓国の若い大学教授から、メ−ルを受け取った。彼はこれまでにも何度か日本を訪れているが、半年滞在していると、旅行者としてみた日本とは別の日本が見えて来るとあった。韓国訳のある山岡壮八の「徳川家康」の愛読者であるので、NHKの「葵徳川三代」が中国の三国志のように親しむことができ、日本には大変豊かな歴史と文化があることがよく分かるとのことであった。
 日本列島に人が住み始めて以来、数千年になる。文字による記録がたどれるだけでも、2000年近くになる。したがって、日本列島にそれなりの歴史と文化があるのは、当たり前といえば、極めて当たり前のことである。しかし、我々はこの当たり前のことを、ともすれば見落としてしまう。
 韓国の人は、韓国4000年の歴史と称しているが、地理的に言って、日本以上の歴史を持っていることは明らかである。したがって、当然のことながら、朝鮮半島にも豊かな歴史と文化があることは言うまでもなかろう。しかし、そういう視点で、朝鮮を理解しようという日本人は、残念ながら少数である。
 先日、ラジオの韓国特集番組を聞いていたら、韓国の経済評論家が、最近の日韓の経済交流について解説していた。以下のような三段階の変化を指摘していた。日韓条約締結後、まず韓国の安い労働力に目を付けた経済交流が始まった。韓国が経済発展して、労働力がそれほど安くなくなると、韓国を日本製品の市場とする交流に変わった。さらに、韓国経済が発展した今日では、韓国にパ−トナ−を求めるようになって来た。
 経済の世界は、実利に徹して動く世界であるので、このような変化が急速に進展したと思われるが、経済以外の世界でも、日本と韓国の関係が新しい段階に入りつつあると思われる。経済の世界で既に突入しつつある、相手を自分のパ−トナ−と見る関係である。パ−トナ−シップ時代の始まりである。
 ただし、文化的、社会的、政治的なパ−トナ−シップは、経済の世界におけるほど単純ではない。深い相互理解がないと、発展性がない。この深い相互理解を可能とするものが、相手の歴史と文化に対する理解ではなかろうか。どちらの側にも、尊敬すべき歴史と文化があることを理解することではなかろうか。
 そういう観点から考えると、日本が植民地時代に行った朝鮮の歴史と文化の否定は、まったく無茶な話であって、朝鮮半島の人々に大変な屈辱を与えたことが分かる。その中でも、無茶の極みは、創氏改名ではなかろうか? 米軍の占領時代に、日本人が無理やり、ジョ−ジ・ワシントンとかアブラハム・リンカ−ンと名乗るように命じられるようなものである。
 明治維新後、日本は対外政策でいくつかの取り返しのつかない誤りを犯したと思うが、その根本にあるのは、他国の歴史と文化に対する深くて、人間的な理解に欠けていたためでなかっただろうか?
 最近、九州大学に日本で初めて韓国文化研究所が設立されたそうであるが、どうしてこういう研究機関がもっと早く作られなかったのか、不思議でならない。
終り


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