2000.08.19
一色 浩

犬とキムチ

 犬はキムチを食べるだろうか?あの辛いキムチである。恐らく、読者の皆さんは、犬がキムチを食べることなどあり得ないと、即座に思われるだろう。
 ところがである。すべての犬がキムチを食べるかどうかは分からないが、筆者の飼っている犬は食べることができる。できるというよりも大好物である。
 最近、筆者の住んでいる町に、在日韓国人のMさんがキムチを売りに、日曜日に欠かさずやって来る。Mさんはきさくな面白い人物で、もともとは履物にメ−カ−名などを印刷する特殊な印刷を行っていたということである。日本経済の不況と東南アジアの安い製品のために印刷業が成りたくなってしまい、やむなくキムチを売る商売を始めたとのことである。細君が製造を受け持ち、Mさんが軽自動車に載せて売り歩く。添加物を使わない手作り食品であることと、本場に負けない味なので、結構人気があって次第に顧客を増やしている。
 筆者の家族もMさんの作るキムチの愛好者であり、日曜日になると必ず一週間分のキムチを買いに行く。おかげで、ここ半年ほど食卓にキムチを欠かしたことがない。キムチと言ってもありきたりの白菜や大根や胡瓜のキムチばかりではない。日本人にはなじみの薄い、いろんな動物性のキムチも扱っている。そんな中に、煮干のような小魚をキムチにしたものがある。なかなか美味であるが猛烈に辛い。
 この小魚のキムチを食べていた時に、突然ある考えが湧いた。筆者が可愛がっている飼い犬に食べさせてみたら面白いぞといういたずら心が起きた。小魚そのものはワン公の大好物である。しかもキムチは口に入れた段階では、さほど辛くない。しばらくすると、猛烈に辛くなってくる。だから、最初は夢中になって食べて、気が付いたときには、口の中が火のようになるが、最早手遅れである。目をシロクロさせるに違いない。これは面白い。
 筆者は、思いついたらすぐにやる性格である。すぐに小魚のキムチを数匹つまんで庭に出た。何か貰えるかも知れないと近寄ってきた愛犬に早速試してみた。思惑通り、喜んで2,3匹食べる。しめしめである。しばらく反応を窺う。予定ではあまりの辛さに目をシロクロさせるはずである。ところが、意外なことにワン公は涼しい顔をしている。あまつさえ、もっとくれとおねだりをする始末である。
 よしそれならば、小魚ではなくて白菜のキムチにしてみようと考えて、白菜のキムチを食卓から取ってくる。どうだ、今度はギュットいう目に合わせてやるからな。ところが、予想に反して、これも喜んで食べるのである。前にわさびを試したことがあるが、わさびには閉口していた。わさびの辛さには、頭が痛くなって気絶しかねないところがある。その点、唐辛子の辛さは、どんなに辛くても頭には来ない。その代わり、口の中が火の着いたようにようになる。
犬は、唐辛子の辛さを感じないのであろうか?それとも、その辛さが好きなのだろうか?確かめようがないので、どちらか不明であるが、ともかくキムチが大好物になってしまった。もっとも、キムチは魚の塩辛を大量に使うので、犬が好んでもおかしくない側面はある。
 英国の哲学者のフランシス・ベ−コン先生は偉い。近代科学の根本的な考えを築いたといわれている。すなわち、実験の重視である。筆者の予想では犬はキムチを食べないはずなのに、意外にも喜んで食べる。観念的な思い込みは極めて危険である。
 もっとも、一般論として犬がキムチを食べるかどうかは、まだ実証されていない。現段階では、筆者の飼い犬がキムチを食べたことに過ぎず、キムチを食べる犬がいるということが分かったに過ぎない。
近所の犬に対して、片っ端から確かめればよいようなものであるが、他人の飼い犬に勝手な真似は出来ない。さりとて、犬がキムチを食べるかどうか確かめたいので、お宅の飼い犬で実験させて欲しいとも頼み難い。下手をすれば、こちらの頭を疑われてしまう。難しいものである。
 一口にキムチといっても、いろんなものがあるらしい。平凡社の世界大百科事典で調べてみると、キムチにトウガラシが使われるようになったのは17世紀後半からで、これを境にキムチの種類が豊富になったとのことである。唐辛子は熱帯アメリカの原産で、コロンブスによりスペインに導入されたものが、巡り巡って日本に伝わり、朝鮮に伝わったものであるらしい。こう考えると、コロンブスの冒険がキムチと切っても切れない関係にあることが分かる。実に意外である。
 思わぬところに話が飛んだが、犬がキムチを食べるかどうかは、言わばどうでもよい問題である。現在の人類は科学技術の大きな恩恵を受けている。科学技術の進歩は罪悪と考える人もあるので、このような考え方がすべての人を納得させるとは思われないが、少なくとも筆者はそう信じている。科学技術は結果として、大いに役立っているが、常に役立てることを前提にして発展してきたものではないであろう。愚にもつかないどうでもよいような発想が、結果的に大きな進歩に結びつくことだってあろう。犬がキムチを食べるかどうかというような、一見愚にもつかぬことを考えるのは、案外重要なことではないだろうか?
 下手な鉄砲も数打てば当たるの例えのとおり、よいアイデアに行き当たるかも知れない。一見下らぬ発想ができることが、アイデアを生む有力な方法と思うがいかがだろうか?
終り


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