2001.07.21
日立造船葛Z研 一色 浩
会社を辞するの記

 今月末で会社を辞めることにした。本来,個人にとって大事件であるが,いざその事態になってみると,意外にあっけないものである。
 辞めるにあたっては理由は様様あるが,突き詰めてみるとつぎのようなものである。筆者は昨年の12月に還暦を迎えたので,目下は年金をもらいながら,シニア・スタッフというハイカラな名前の付いた常勤嘱託を勤めている。おとなしく真面目にやっていれば,一応63歳まで勤められることになっている。
 そんな日常の中で,いろんなことを考えている内に,だんだん自分の置かれている状況が分かってくる。多くはないが,年金をもらっているので,何があっても飢え死にの心配はない。幸いなことに,子供も学校を終えて社会人となっており,親としての責任もない。まだまだ体力も残っているし,知力も衰えていない。自分の人生の中で,好き勝手ができる時がようやく持てたわけである。本来ならば,もっと若ければと言う気持ちはあるが,贅沢をいっても始まらない。もっと年を取ってしまうと,体力,気力,知力に問題が出てくる。要するに,なにかやろうと思ったら今しかない。
 そこまで考えが及んだら,躊躇することはない。思い切って行動するに如くはない。今の会社勤めの中で,そのような自分の思いを遂げられたらいうことはないが,そうはうまく行かない。会社に留まっている限り,目的もなく3年過ごした上で,お払い箱にならざるを得ない。さて,どうしたものかと考えているうちに,思い掛けないことで,つぎの仕事が見つかった。
 T社というIT関連のS市に本社のあるベンチャ−が,GPS応用システムの開発を手がけることになりwebで検索したところ,小生の名前や書き物が最も頻繁に出てきたとのことである。筆者をこの方面の権威と誤解されて,筆者に連絡を取ってきたのである。五月の連休直前のことであった。幸い,会社の許可が得られたので,社長のS氏と会うことになった。お互いに忙しく過ごしているので,なかなか時間が取れず,結局,出張のついでの連休明けの日曜日の午後に,T社の本社で会おうということになった。
 その前に電話でいろいろ話し合ったが,話しがスラスラ進んだので,これはひょっとして運命的な出会いになるかもしれないという予感があった。お会いしてお話を聞いてみると,地下街でGPSを使ってみたいということであり,そのアイデアを図面で示された。GPSの専門家としてその妥当性を問われたのであるが,GPSというものはGPS衛星の電波を用いて測位するので,通常は天空が開けていることが前提となる。
 そういう意味では,とんでもないことに巻き込まれたかと思ったが,気を取りなおして,何故GPSに拘るのかと聞いてみたところ,地下でGPSが使われるならば,地上と地下でシ−ムレスな測位が可能になるとのことである。これは,重要なことである。そこで,検討することを約束したが,正直言ってまったく目途はない。しかし,筆者は会社で,シニア・スタッフとして若い人の疑問に答える役割を担っているので,この手の話には慣れている。大切なことは,頭から否定しないことである。辛抱強く聞いていると,思いがけない展開が生まれることがある。
 S市には兄が住んでいるので,その晩は兄の所へ泊まることにして,兄の家に行く途中で一つのアイデアが浮かんできた。そこで,再びT社に引き返してそのアイデアを伝えた。ところが就寝中に,アイデアに矛盾があることが見つかったので,きちんと直したものを大阪に帰ってから連絡することにした。思い掛けないことであったが,地下街でGPSを用いる面白い方法があったのである。
 考え始めたら,一応の結論が出るまで考え続けるという筆者の性格が,スピ−ドを身上とするベンチャ−企業に向いていると受け取られたのであろう。結局,これが入社試験代わりとなって,ぜひ手伝って欲しいということになった。いろいろ話している内に,通信の変復調とか,ニュ−ラル・ネットワ−クのことになった。今の会社では十分に生かされなかったが,NTT本社の開発部長をしていたS氏としては,格好の知恵袋つかんだと思われたらしく,つぎからつぎへと矢継ぎ早に質問が飛んでくるようになった。
 最初は,顧問か嘱託にでもしてもらって,のんびりやろうかと考えていたが,とてもそれでは済まされない。首までどっぷりつかることを求められていることが分かったので,3年間は死んだ積もりで働きますということになった。実に思い掛けない展開となったものである。
 すぐにも会社を辞めたいところであるが,小生は年金、高齢者雇用調整金、会社からの給与の3本立てで収入を得ているが,厄介なことに,会社からの給与が月々に払われる小額のものと,年2回,6月末と12月の始めに支払われるものとからなっている。うっかり退職の話を持ち出すと,ま近かに迫った6月末の支払いをチャラにされかねない。仕方がないので,S氏とも相談して辛抱強く待つことにした。
 それにしても,なんでこんなややこしい給与の支払いをするのであろうか?会社との契約書には明確に給与と書かれている。会社からの説明ではこのようにすると,年金と税金上で有利となるということであった。しかし,こんな馬鹿なことがあるだろうか?見方を変えると,脱税の片棒を担がされているような気がして不愉快である。もらう方も不便である。しかも,もらった金が契約書では給与となっているが,明細書には賞与となっている。社会的に広く行われている方便なのかは知らぬが,不合理なことである。
 そうこうする内に6月末になった。早速,会社に辞表を出した。後は一気呵成に進むはずであったが,とんでもないハプニングが起こることになった。6月末に思い掛けなく,考えていたよりも多額の金額が振り込まれていたのである。うちの会社も味なことをする。どんなことができるかは知らぬが,ぜひともお役に立ちたいものだと思って,家族一同大いに喜んだ次第である。
 ところがである。人事から電話が掛かってきて,間違えたので返してくれということである。シニア・スタッフには賞与が払われないことになっているのに,間違えて支給されたというのである。契約書を見る限り,賞与を払うとも払わないとも明確な規定はないが,契約書と一緒にきた通知書には,賞与を年間2ヶ月分払うと受け取れる文章が書かれている。人事の言い分には疑問がある旨伝えたところ,担当者がやってきて説明するという。実に不愉快な話である。
 以降の顛末は,機会を改めてまとめておきたいと思うが,以上のような次第で,会社を辞することとなった。残り少ない人生を,命ある限り力一杯働くつもりである。
終わり


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