2000.04.22
一色
隣 の 国

 ソウルのS工科大学校の会議室では、午後いっぱい掛けた会議がようやく一段落したところであった。
Iさん、次の会議はいつにしますか?」
「なるべく早い方がいいですね。1週間後に大阪の我々の本社ではどうでしょうか?」
「ようやく開発の目処がついたところですので、簡単に祝杯をあげませんか?大阪には最終便でお帰りになられたら、どうでしょうか?」
「それは大変ありがたいのですが、あいにく今日は娘の誕生日なので、どうしても早めに帰らないといけないのです。今度、大阪でやりましょう。いいとこを見つけておきます」
「じゃあ、そうしましょう。奥様に宜しくお伝えください」
K先生の奥様とは大分お会いしておりませんが、お元気ですか?宜しくお伝え願います」
 I氏はS工科大を後にすると、タクシ−で新ソウル空港へ向かった。今朝早く大阪の自宅を出たので、うつらうつら居眠りをしているうちに、空港に着いた。ソウルから大阪には、30分おきにシャトル便が飛んでいる。季節が5月なので、観光客で混雑している空港のカウンタ−で、一番早い便が取れず、次の便に席が取れた。飛行機の出発まですることがないので、バ−に行ってビ−ルを飲むことにした。
 30分ほどバ−でくつろいだ後、簡単な手荷物検査を受けた後で搭乗口に向かう。機内に乗り込んで座席に着くと、隣りの席もI氏と同じようなビジネスマンである。関西空港まで1時間半、そこから自宅まで1時間である。午後1時に始まった会議を4時に終えて6時の大阪行きに乗ったが、8時半には帰宅できそうである。少し遅くなったが、何とかまだ小学生の娘の誕生パ−ティに間に合うだろう。
 上に描いたのが、筆者が想像する2005年頃の大阪の会社に勤めるビジネスマンのソウル出張である。面倒な入出国も大幅に簡素化されてほとんどない。シャトル便の運行により、航空機の予約の必要もない。朝多少早めに家を出れば、会議を一つか二つこなして、その日の内に帰宅できる。
 距離という点から言えば、ソウルは札幌よりも近く、仙台程度である。距離的には十分に日帰りできる距離であるが、問題は国境である。現在では、以前に比べてかなり簡素化されたとはいえ、まだまだ面倒な入出国手続きに時間を取られてしまう。航空機運賃は大幅に下がって国内線並になったとはいえ、便数の不足のために自在に予約出来ない。いまでも、大阪−ソウル間を日帰りすることは不可能ではないが、大変難しい。
 筆者は15年ほど前に、実験立会いのためにオランダのワ−ゲニンゲンというアムステルダムから1時間ほどの小都市に2週間ほど滞在したことがある。滞在中にロンドン大学で会議があったので、オランダと英国の間を日帰りしたことがある。外国人である筆者でさえ簡単に出来たことであるから、現地の人にとっては、ほとんで問題はないであろう。
 日本と韓国の間には、過去1世紀の間にさまざまなことがあった。日本の明治維新と富国強兵、日本の帝国主義と韓国の植民地化、太平洋戦争における日本の敗北と朝鮮の独立、朝鮮半島の分断と朝鮮戦争、日本の経済発展と韓国の重工業化成功、東京とソウルにおけるオリンピックの開催などである。さらに、2002年には、ワ−ルドカップを日韓で共同開催することになっている。
 このような歴史の積み重ねの上に、日本と韓国との新しい関係が始まりつつある。パ−トナシップの時代の始まりである。しかし,新しい時代の発展を阻害するような障壁が数多くある。経済的なもの、社会的なもの、政治的なもの、言語的なものなどであるが、簡単に解決できるもの、なかなか解決できないものなど様々である。それらの中で、交通上の障壁は、実行しようと思えば比較的簡単にできるものではないだろうか?
 日本と韓国の主要都市が日帰りも含めて、簡単に往来できるようになったら、その恩恵は計り知れない。想像もつかないような人々の往来が始まる。物や情報も大量に流れるようになる。高度に工業化された日本の12千万人と韓国の5千万人の人口の発するパワ−は巨大である。北アメリカ、西ヨ−ロッパに匹敵する新しい経済圏、文化圏を極東アジアに生み出すのに、十分な人口であろう。
 こういう時代の流れは、韓国から見ると植民地支配の再来のように思われるかも知れない。この点が、実に難しい点であろう。そのためには、日本が十分に過去の清算と償いをしないといけない。この言葉は、誤解を招く恐れがあるので、少し説明を加えておきたい。ここで筆者が言いたいのは、精神的な側面のことである。表面的にはすでにすべての処理が終わっていることのようにも見えるが、本当にそうであろうか?朝鮮半島の人々の心の奥深くには、日本と日本人に対する怒りと不信が根強く残っていると考えるべきである。日本人から見れば、過去に不幸な一時期があったということであるが、朝鮮半島の人々にとっては、それだけでは済まされないものがあろう。殴った者と、殴られた者の立場の違いである。通常、殴った者の方が、問題を軽視しがちである。
 では、どういう関係であったらよいのか? 夫婦の間の葛藤にたとえてみたい。夫があるとき浮気をして妻にばれてしまい、夫婦の争いが昂じて離婚寸前まで言ったとしよう。非を認めた夫が平謝りに謝って、なんとか納まったとする。しかし、その後、長期にわたって、この夫婦はその後遺症に苦しまねばならない。妻の心には夫に対する深い不信感と嫌悪感が宿ってしまい、なかなか払拭できないのである。しかし、歳月を経るうちに、夫の反省の心が妻の心を和らげ、いつしかお互いが相手の存在をかけがえのないものと思うようになる。その背景には、夫の深い反省と妻に対する思いやりの心がある。いつしか、夫の浮気は夫婦間の冗談の種になっている。

「あの方は、私よりもよっぽどよかったのね!」
「勘弁してくれよ、君が一番だっていつも言ってるだろう。」
「まぁ、騙されてあげようか!」
こんな風に、いかないものだろうか?

 真のパ−トナ−シップの実現には、日本人は常に反省と思いやりの心を忘れてはいけないであろう。
終り


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