犬の尻尾
                    一色 浩(2000.03.15)

 世の中には、他人に自分の気持ちを素直に伝えられない人が多い。特に、日本人はその傾向が強い。そこへ行くと、犬は実に感情表現がうまい。その際、彼らがもっともうまく使うのが尻尾である。特に、喜びの表現に適している。尻尾を振る大きさと速さでいろんなレベルの喜びを表わす。旅行か何かで家を空けていた家の主人が、久しぶりに帰宅したときなど大変である。千切れんばかりに、尻尾をびゅんびゅん振ってくれる。
 犬は人間が飼いならしたというよりも、犬の方から人間に近づいて来て、一緒に暮らすようになったものだといわれている。犬は人間と仲良くするという技術だけで、太古から生き延びてきたわけであるから、たいしたものである。牛や馬のように、労働をしたり食用になるわけでもない。番犬、狩猟犬、牧羊犬、警察犬、軍用犬と言うのもあるが、それらはむしろ例外であろう。彼らの本領は、人間の友達としての能力であろう。その際、大いに活用されるのが、彼らの尻尾である。
 人工的な犬の尻尾を開発して、着用したら面白いと思うが、いかがであろうか?脳波、脈拍、呼吸数、体温、血圧などを計測して、ニュ−ロやファジィなどの人工知能で自分の気持ちを判断させるのである。そして、その結果に基づいて、モ−タ−仕掛けで尾を動かすのである。
 ただし、この方式だと困る場合もある。人間社会は犬の社会のように単純ではないから、うれしくなくてもうれしい振りをしないといけないことがあるからである。例えば、バ−やナイトクラブのホステスである。いやな客でも、にこにこと歓迎しないといけない。サラリ−マンの社会でも似たようなものである。他にも、義理で喜んでみせる必要はいたるところにあろう。
 そこで、尻尾の動作モ−ドに自動モ−ドと手動モ−ドを設ける。自動モ−ドと言うのは、上に述べたように、尻尾が持ち主の気持ちを判断して、自動的に尻尾を振ってくれるモ−ドである。一方、手動モ−ドと言うのは、持ち主が自分の置かれた状況を判断して、手でスィッチを押すのである。
 しかし、このモ−ドには難点がある。手動モ−ドに切り替えているということを、相手に気付かれるとまずいのである。この解決は意外に難しい。そこで、反対モ−ドと言うのを作っておくのもよい。嫌な奴に出くわしたと思っても、反対モ−ドにしておけば、顔で愛想笑いをしながら、尻尾を勢いよく振り回すと言う事も可能である。
 ごますりの上手なサラリ−マンの場合には、朝から晩までびゅんびゅん振り回すわけだから、尻尾の傷みも速い。こういう人向けには、営業用の尻尾を用意する必要があろう。
 若い女の子の場合には、ファッションのことも考えねばならない。その日の気分や、服や靴に合わせて、選んでもらわねばならない。一人で、4,5本は持って欲しいところである。
 馬鹿馬鹿しいと一笑に付す向きも多いと思うが、筆者は出色のアイデアではないかと自負している。馬鹿正直に考える必要はない。人間関係を和やかなものにするための、一種のジョ−クと受け止めていただきたい。
 こんなのが、若い女の子の間で流行したらと考えるだけでも楽しい。ガンクロの子は、黒豹のような尻尾を着けるかも知れない。ビハクの子は、真っ白な狐のような尻尾を好むかも知れない。みなそれぞれ好みの尻尾を着けて、ボ−イ・フレンドと話している。あっちでもこっちでも尻尾が振られている。考えるだけでも愉快ではないか。
 しかし、反対モ−ドにしたままうっかり切り替えるのを忘れると、顔は怒っているのに、尻尾は愛嬌を振りまいていると言うような妙なことになりかねない。
 われわれが社会生活を順調に送るためには、他人との協調が欠かせない。そのためには、なるべく機会を捉えて、話し合うのがよいであろう。しかし、初対面の人とうまく言葉を交わすのは、なかなか難しいものである。相手のことが分からないので、相手の気分を害さないような話題を作るのに、最大限に神経を使わねばならない。通常は、何回か逢っているうちに、次第に打ち解けてくるが、いつまで経っても溝が埋まらない相手もある。
 いつも同じような反応を示してくれる人とは話しやすい。反面、日によって機嫌が良かったり、悪かったりする人は難しい。本来そう言う性格の人ならば、君子危うきに近づかずで、敬遠させていただくことになる。しかし、本当はそういう性格ではないのに、なんとなくそんな印象を与える人は、積極的に尻尾を活用したらどうであろうか? 話が弾み、良き友人を得られること間違いなしである。
 うまく気持ちを表現できなくても、心の中にそういう気持ちがあれば、尻尾が勝手に動いてくれるので、相手に気持ちを伝えることができる。それを見ると、相手も和やかな気持ちになって、尻尾を振ってくれるであろう。お互いに一層楽しい気分になって、話も弾むというものである。
 しかし、あまりダイレクトな気持ちの表現がまずい場合もある。騙したり、焦らしたりの恋の駆け引きには向かない。そんな場合には、デリケ−ト・モ−ドというの作ったらどうであろうか? あいまいモ−ドと言ってもよい。ファジイかなんかを使って、少しひねった反応をさせるのである。
 こんなことを考えるときりがない。犬の尻尾のことは、この位でやめにする。しかし、世の中には、大変深刻なケ−スがある。極度の人見知りである。ともかく、人と一緒に居られない。一人でないと、心が平静でない。こういう人が意外に多くて、新聞の投書欄などに悩みが寄せられている。人づき合いの上手な人には想像も出来ないことであろうが、このような人の苦しみは深刻であるばかりでなく、社会的な不利益も大きい。
 こういう場合の対策は、伝統的に医学や心理学の問題と考えられてきた。しかし、工学からの解決ということもあり得るのではないか? それが筆者の主張したいことに他ならない。
終り


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