2001.06.04-06.27
か な だ 旅 行

 6月4日(月)から6月10日(日)まで,カナダとアメリカを旅行した。
 今回の旅行のそもそもの目的は,6月5日(火)から8日(金)までカナダのバンフで開かれた,カルガリ−大学とION(米国航行学会)共催のKIS 2001(Int. Symp. On Kinematic Systems in Geodesy, Geomatics and Navigation)で論文講演することであった。それ以外には,T社のS社長の依頼により,シリコン・バレ−にあるGlobal Locate Inc.とRainmaker Technologiesを訪ねて,高感度GPS受信機とウェ−ブレット変複調の調査をすることであった。
 旅行の準備をすすめていた頃,情報通信関連のベンチャ−企業であるT社のS社長から新しく作る会社に来ないかと誘われたため,転職を決意するようなことがあり,5月の連休明けから出発までの間は,目の回るような多忙な日々を過ごした。お陰で出発前日は,疲労が蓄積して,ダウン寸前であった。
 関係者のご協力のお陰で,なんとか出発にこぎつけ,いよいよ旅行の始まりとなった。

2001.06.04(月)

予定
2001.06.04(月) Kansai-Vancouver,1700-1015,AC890
        Vancouver-Calgary,1130-1351,AC206
        陸路Banffに移動

04:00起床。

 機中では,OFDM(Orthogonal Frequency Division Multiplexing)およびwaveletの勉強をして過ごす。9時間のフライトでVancouverに着くが,適当に睡眠も取ったので体調は悪くない。入国手続きを終えて,国内線でCalgaryに向かう準備をする。うっかりして手荷物を荷物用ベルト・コンベヤ−に乗せてしまう。これに載せられた荷物は仕分けされて,荷物に付いているタグに指定されている飛行機の貨物倉に積み込まれる。しまったと思うが後の祭である。Air Canadaのカウンタ−で相談する。中年のおばさんが,何でそんな馬鹿なことをするのという顔で応対してくれるが,荷物の特徴を聞き出して取りに行ってくれる。しばらく待つと,キャリィバッグを軽々と持って来てくれる。ノ−ト・パソコンが入っているので,いつもその重さに泣いているが,このおばさんが軽々と運んで来たのにはびっくりする。「重くてごめん」というと「重かったよ」という。
 11時半にVancouverを出て,2時半頃にCalgaryに着く。1時間の時差が発生しているので,フライト時間は2時間くらいだと思う。リムジンバスに乗ってBanffに向かう。実に広大な景色である。あいにく小雨が降っているので,ロッキ−の山並みは霧がかかっていてよく見えないが,ともかく広い。2時間くらいのドライブでBanff Centerという宿泊所に着く。かなりの高地であるので,夏でも涼しい。会議を開くための専用の施設のようで,木造の建物があちこちに点在している。Corbett Hallというのが筆者の宿舎で,明日からの会議場のある建物と,渡り廊下でつながっている。年寄りには便利な所を確保してくれた心遣いが感じられる。部屋は,ベッドル−ム,リビング,バストイレの三室で,ベッドル−ムにはダブルベッドが二台置いてある。大きな二重窓がついていて,外の景色がよく見える。6月の始めの上にサマ−タイムの影響もあって,10時になっても未だ明るい。
 大きなビュッフェ形式の食堂があって,全員がそこで食事を取るようになっている。同じ会議に出るグル−プごとにテ−ブルが予約されていて,適当に座ってよいことになっている。様子が分からなくてうろうろしていたら,若い女の子がにっこり笑ってくれたので,その近所に座ることにした。疲れていたので,それ以上の会話はなかった。

2001.06.05(火) 小雨

 夜よく眠れない。9時半にベッドに入って2時間くらい寝たら目が覚めてしまった。しょうがないので,OFDMやwaveletの勉強をしたりして時間を過ごす。3時から5時まで眠れたので大分回復する。明け方に家に電話をする。時差が9時間あるので,5時に電話すると日本では午後8時ということになる。7時に食堂に行くと,昨日の若い女の子が一人で食事をしている。にっこり微笑んで挨拶する。
 9時に会議が始まるが,今度は眠くて仕方がない。適当に居眠りをしながら過ごす。コ−ヒ−・ブレ−クの時にNew South Wales大学のChris Rizos教授に挨拶する。現在Rizos教授の所に滞在している航技研の辻井博士から聞いていたらしく,近づいただけで筆者の名札を見て,先方から話し掛けてくれる。二言三言話した後で,また後でということになる。アンソニ−・クインのような風貌の人である。
 会議主催者のLachapel教授に挨拶する。フランス系の人らしく,口八丁手八丁の人である。なんとなくボブ・ホ−プに似ている。
 夕方,Ice Breaker Partyというのが開かれた。日本から参加しているフルノ電気の井澗(イタニ)さんと,井澗さんの論文の共著者(発表者)でフランスでポスドクをやっている上野真美さんという女性研究者と話す。東京商船大学で修士を終えた後,カナダ人のご主人に従ってカナダへ渡り,学位を取ったとのことであるが,日本的な控えめな人で,この人のどこにそんなエネルギ−が秘められているのかと思う。芯の強い人に違いない。シドニ−・オリンピック以来,大和撫子の強さには舌を巻くばかりである。
 食堂でよく見掛ける例の女の子と話をする。Delft工科大学のTeunissen教授のもとでpseudolite(擬似衛星)の研究をしているという。意外に話があってとても楽しかった。オランダの撫子も大したものである。Teunissen教授はいかにも大学教授という感じの人で,外見はマイクロソフトのビル・ゲイツに似ている。

2001.06.06(水) 快晴

 ロッキ−の山並みがはっきり見えてとても美しい。今度のシンポジウムは自費負担であったので,少し気が向かないところもあったが,Banffに来てこの美しい景色を見ると,本当に来てよかったと思う。昔風にいえば,よい冥土の土産ができたというところである。
 昨夜よく眠れなかったので,ほとんど一日中居眠りをして過ごす。夕方になって元気を取り戻したので,Rizos教授の講演に質問をする。GPSを振動計として使うというものであるが,在来センサ−を使う場合に対するメリットを質問する。明快な回答は得られなかったような気がする。
 明日はサンフランシスコ経由シリコンバレ−まで行くので,Calgaryまでのtransportationの予約をする。午前中のセッションの終わりの方で講演をすることになっているので,チェックアウト・タイムを少し延ばせないかとフロントと相談する。残念ながらできないというので,セッションの始まる前にチェックアウトして荷物を預かってもらうことにした。
 ディナ−で同じテ−ブルについていたオ−ストラリアのCurtin大学のMaria Tsakiri教授から,明日の司会で使うbibliographyを出してくれと頼まれる。

2001.06.07(木) 快晴

 今日もロッキ−の山並みが美しい。昨日以来,Tsakiri教授とはすっかり親しくなって冗談を交わすようになった。もともとはギリシャ人だとのことである。わざわざ聞かなくても教えてくれる。不思議なことにこちらのジョ−クに合わせて愛想笑いをしてくれる。なんとなくアジア的である。西洋人もいろいろいるなという感じである。
 朝食の後で荷造りをする。海外旅行のときにはいつも忘れ物をするので,細心の注意をするが,ポケットに入れて持ち歩いていた目薬を忘れてしまう。
 できあがった荷物をレセプションに運んで行く。チェックアウトを済ませた後で荷物を預かってもらい,シンポジウム会場に行く。9件中の7件目の発表であったので,コ−ヒ−・ブレ−クの後でPCプロジェクタ−の確認をする。すっかり親しくなったTsakiri教授と冗談を言いながら準備する。発表そのものはまずまず順調であった。危うく時間超過になりかかったが,後の方をかなり端折ったのでなんとか時間内に収まる。お陰で質問の時間を取れなかった。
 セッション終了後に司会をしてくれたMaria Tsakiri教授に挨拶してアドレスを教えてもらう。その後で,Rizos教授に挨拶して,辻井博士によろしく伝えてくれるよう頼む。Lachapel教授に挨拶したところ,立て板に水の調子で,「よく来てくれた,十分に楽しめたか…」としゃべる。本心かどうか疑問だが,ともかく社交力抜群である。
 Calgary行きのバスは1時半に出る予定なので,レセプションの前に早めに行って待っていたが,待てど暮らせどやって来ない。ベルボ−イに調べてもらうと,リストに名前が載っているから大丈夫だという。1時間ほど遅れてやっとやって来た。お陰で2時間近く屋外で,ロッキ−の景色を楽しむことができた。ドライバ−は若い女の子で,なかなかの美人である。1時間も待たされたら文句の一つも出るところであるが,こんな可愛い子ちゃんでは文句を言う訳にもいかない。日本でいうレジャ−・ビ−クルだが,アメリカのやつは乗る所が大分高い。足を上げても,なかなか床に届かない。悪戦苦闘していると可愛い子ちゃんがすかさず踏み台を出してくれるが,そんなものに頼る訳にはいかない。座席につかまって何とか這い上がるが,危うく落ちそうになったので,可愛い子ちゃんが懸命に笑いをこらえている。若いときだとこういう恥ずかしいことはこたえるところだが,60歳にもなるとあまりこたえない。むしろ,こんなアクシデントを利用して親しくなる知恵を身につけている。年を取るということも無駄ではない。
 Calgary国際空港まで2時間ほどのドライブであるが,ロッキ−の美しい山並みを心ゆくまで楽しむことができた。往きには霧が掛かっていてほとんど見えなかったが,今日は本当によく見える。すばらしい景色である。雄大なロッキ−と広大な山麓を見ていると,北米の自然の豊かさに圧倒されてしまう。こういう所に住んでいると,考え方や気持ちも随分と違うのではなかろうか?
 Calgaryから2時間半ほどのフライトでSan Franciscoに到着する。San Franciscoは小雨である。宿をGlobal Locateに頼んでおいた所,リムジンの手配までしてくれた。後で分かったことであるが,今回の交渉相手だったExecutive Vice PresidentのMr. Don FuchsのオフィスはNew Jerseyであるが,実行部隊のいるSan Joseでのことをきちんと取り仕切ってくれたのには感心した。
 空港にはかくかくのリムジンが迎えに行く,その予約番号は○○○で,ホテルの名前は△△△でその予約番号は□□□であるということをEメ−ルで報せてくれた。こういう風にしたことがなかったので,半信半疑であったが,到着口に行くと,本当にリムジン・サ−ビスのドライバ−が待っていてくれたのには驚いた。バゲッジを取ってからホテルまで連れていってくれたが,料金はGlobal Locateが払ってくれたので要らないとのことである。予約してもらったCarlyle Hotelは2階建てのなかなか豪華なホテルである。
 プリペイド・カ−ドを使ってS社長に電話するが,どうしても掛からない。フロントに相談するが打つ手がない。いろいろ考えているうちに,カナダから掛けるのとアメリカから掛けるのとでは,NTTを呼び出す番号が違うことが分かった。苦心惨憺の末,S社長につながる。滞在を延ばしてでも話しを前に進めて欲しいと頼まれる。S社長はYes/Noがはっきりしているので,その点は実に動き易い。Vancouverから結果を報告することにして電話を切る。

2001.06.08(金) 快晴

 昨夜,San Franciscoについたときには小雨だったが,今日はうそのような快晴である。気温が高くないので,とても気持ちがいい。Mr. Don FuchsにGlobal Locateの場所を教えてもらう。New Jerseyに居るはずなのに,実に的確に教えてくれる。教えてもらったとおりに行くと,ちゃんと行きつくから驚きである。ここら辺のアメリカ人の能力は大したものである。曖昧なところが全くない。反面,興味のないことには驚くほど無関心である。日本人のように,なんでも浅く広く知っているというところがない。100%知っているか,全然知らないか,どっちかのような気がする。San Joseでの仕事を終えてVancouverに向かう機中で,隣の席に若い美人の学生が坐ったので,あれやこれやと話しをしたが,イチロ−や大魔神のことを知らないとのことである。SeattleとVancouverは近いので何か知っていると思ったが,野球には全然興味がないので知らないとのことである。日本の若い女の子だったら,野球の好き嫌いにかかわらず名前くらい知っていると思う。
 Global Locateに着いたら,若い二人のマ−ケットと技術担当のVice Presidentが応対してくれる。先方も無駄なく説明してくれるが,こちらも十分に準備して行ったので,すらすらと話が進み,お互いに何を求めているかもよく分かった。9月のION GPSではTutorialのIndoor GPSの話しをするというので,小生もAlgorithm Vで発表予定であることを伝える。あまりにすらすら進んでしまったので,つぎの訪問予定のRainmaker Technologies訪問までの時間が空き過ぎてしまった。
 ホテル近くのレストランで昼食を取る。Global Locateで話し合ったことをまとめていると,年増のウェ−トレスが大変興味を示す。漢字を書くところを見るのは始めてらしく,自分の名前を漢字で書いてくれと言う。Renetという名前で適当な漢字を思いつかなかったので,片仮名で「ルネ−」と書いてあげる。ついでに日本の首相の小泉純一郎の名前を書いて,これは漢字,これは平仮名,これは片仮名で,何故漢字のほかに平仮名や片仮名を使うかを簡単に説明したら,感心することしきりで,大喜びしてくれた。漢字のような複雑な文字を使いこなすことがとても不思議であるらしい。
 午後3時の約束であったが,時間を持て余したので,2時半にRainmaker Technologiesに行ったら,社長のDr. Paul Chinがすぐに応対してくれた。社長のDr. Chinは,父親はHong Kong出身だが,ご本人はnative Americanとのことである。ヘアスタイルは長髪で,ビジネスマンというよりも芸術家のようで,一種異様な感じの人である。ファッションで長髪にしているのか,不精で長髪になっているのか判然としない。長身で痩せていて,服装は黒のシャツとズボンであったと思う。
 ベンチャ−企業を作って世界の最先端を走っている人は,やはり迫力がある。野生の狼のような精悍な感じであるが,反面実にやさしい感じのする人でもある。こちらが用意していった質問に丹念に答えてくれる。自分が率いているチ−ムは世界最強で,どこにも負けない自信があるとのことである。筆者は通信の専門家ではないので,こちらの考えを聞かれてたじたじとなる。自分は本来造船技術者だからここら辺のことはあまり知らないと言って多めに見てもらう。しかし,今度お会いするときは堂々と渡り合いたいものである。
ご自分で説明できないところに関しては,専門家を呼んでくれる。Mr. LaubachとDr. Millerを紹介してくれる。Mr. Laubachは急ぎの用事があるということで,名刺交換だけで引き上げてしまったが,Dr. Millerが丁寧に教えてくれる。しかし,あまりよく分からない。Wavelet変調の場合には,周波数と時間の両方にオ−バ−ラップできるということであったが,このことは大変強く印象に残った。よく分からなかったが,大切なヒントを得られたと思うと率直に述べる。
Rainmaker Technologies社の訪問を終えて,呼んでもらったタクシ−に乗ってSan Francisco空港に向かう。Vancouver行きの飛行機は20時30分発なので,たっぷり時間がある。疲れていて空港の中を見物して歩く元気が無かったので,早めに搭乗手続きをする。所持品検査のときに思い掛けないことが起きた。X線検査は問題がなかったが,その後で実に意外な検査を受けた。四角な白い布切れで洋服のあっちこっちを擦った後で,その布切れを機械に掛けて調べている。結局,異常はなかったようであるが,ドラッグの検査をしたのではないだろうか?アメリカの入出国では,ドラックの検査をかなり念入りにやっているようである。全員に対してやっているわけではないので,なんで筆者に目を付けたのか大変な謎である。
 Vancouverの宿のHoliday Innに着いたのは,11時半頃で大変遅かった。ホテル行きの専用バスが運んでくれた。フロントで予約の確認をすると予約されてないという。ややこしいことに,Holiday Innは空港近くだけでなく,ダウンタウンにもある。小生の予約はダウンタウンの方であったようであるが,予約番号などを記したメモは,荷物の中に入っていて簡単には取り出せない。フロントが気を利かせて,ダウンタウンの方に連絡してくれるが,そちらにも予約はないという。このやり取りの間,バスのドライバ−が待っていてくれた。夜遅いので,宿無しの外国人を放り出すわけに行かないということで,気を遣ってくれたのである。しょうがないなぁということになって,部屋を取ってくれる。「元の予約がいくらだったか」というので,「よく覚えていないが,多分150$くらいだったと思う」と告げると,135$の部屋を取ってくれる。「部屋に入ったら,メモを探して予約番号を連絡しろ」といわれる。予約をほったらかしにすると,キャンセル料を請求されてしまうのである。
 フロントに頼んで,S社長にファックスを打ってもらう。一応の報告と相談をして1時頃寝る。日本では土曜日の午後のはずであるが,出社して報告を待っていてくれたらしい。ベンチャ−の社長になるような人は,根っからの仕事好きで,年中休みなしのようである。月曜日に,S社長と相談して,Global Locateの依頼に答えることにする。
今回の旅を振り返ってみると,語学が達者になった分,余裕ができて楽しめたと思う。僅かな期間であったが,いろんな経験ができた。明日は日本かと思うと,本当にあっという間に過ぎた1週間である。
終わり


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