2000.01.12
日立造船梶E技術研究所 一色 浩
菱垣廻船実験雑感
〜日本と欧米の物造りの違い〜
大阪市は、今年の夏にオ−プン予定の海洋博物館「なにわの海の時空間」のメイン展示物として、江戸時代の菱垣廻船の実物大の復元建造を日立造船に発注した。その海上実験が昨年の7月に大阪湾で実施され、筆者等もその実験に参加する機会を得た。この実験は、大阪市港湾振興協会が実施したもので、大阪大学名誉教授・野本謙作先生(船の操縦性がご専門)が指導されたものであるが、筆者らの日立造船グル−プもその実験に参加して、GPSによる菱垣廻船と伴走船の位置と方位の計測を担当した。
菱垣廻船は江戸時代の前・中期に、大阪と江戸の間を往復する物資輸送に従事した。船側に菱垣格子模様を付けていたのでこの名があるが、和船の船種としては、弁財船と呼ばれるものである。積載量は150トン、長さ29.9m、幅7.4m、帆柱の長さ27.5mである。西洋の船と違って肋骨を持たないのが大きな特徴である。海上実験時の最高速度は耐水速度で7ノット、上り性能は75度であったが、これはなかなかの性能である。
実験そのものについては、すでにいくつか報告があるので、ここでは実験を通して得た筆者の感想を述べてみたい。僭越なことかもしれないが、日本と欧米との物造りの違いなどに触れてみたい。
昨年の6月に実験の打ち合わせのために、菱垣廻船を建造していた日立造船堺工場に野本先生を訪問した。その時が初めて菱垣廻船を見たときである。ほぼ完成していたが、まだ工場の中に置かれていた。大変美しい船であるというのが、第一印象であった。まさに芸術品といってよいほど洗練されたフォルムである。しかし、そのことと船の性能は別である。優れた工業製品に良く見られる機能美というよりも、形そのものの芸術的な美しさである。7月に行われた海上実験の際にも同じ印象を受けたが、船としての性能が優れているとの印象は受けなかった。幕末の黒船と比べると、船としての性能はかなり劣るといってよいであろう。
江戸時代の初めには、日本の帆船も西洋帆船にほぼ匹敵していたと思われるが、300年弱の鎖国時代に性能の上で、西洋帆船との間に大きな差ができてしまった。この間に、和船もそれなりに進歩したものと思われるが、それは進歩というよりも洗練というべきであろう。一方、西洋帆船はカッティ・サ−クのような高速帆船の時代を経て、蒸気機関を搭載する機帆船の時代に入りつつあった。動力船の出現は画期的なことであり、船の能力が飛躍的に発展した。
江戸時代とは、日本にとってどんな時代であったのであろうか?300年近くにわたって、国を閉ざし太平を享受したことの意義は大きいが、その間に世界は大きな変化を遂げつつあった。地球規模の航海が普通になり、植民地の獲得が最終段階を迎えていた。政治の世界では、フランス革命、アメリカ独立戦争、南北戦争を経験した。科学技術の世界では、合理性と実証を重んじる近代科学の基礎が築かれ、産業革命を通して、工業化社会が始まった時代であった。人権、植民地、資本主義、近代科学技術、大規模工場生産などがこの時代のキ−ワ−ドであろう。
徳川300年の鎖国時代に特筆すべきは町人社会の興隆であり、経済面での主人公が名実ともに町人になったことであろう。この現象は、西欧のブルジョワ社会の誕生とあい通じるところがある。がんじがらめの幕府や諸藩の規制の中にあって、藩を超える全国的な経済網を作り上げた点は、感嘆すべきことである。そのような活動を支える一端を担ったのが菱垣廻船であり、この船を通して当時の町人経済の規模を伺うことが可能であろう。そういう意味では、菱垣廻船は江戸時代の町人経済の象徴といってよいであろう。
確かに、江戸時代に日本は進歩しているが、それはいわばスタティックな進歩であり、欧米のダイナミックな進歩との間には大きな差がある。その結果として、江戸時代の初めには、ほぼ同じレベルにあったと思われる日本と欧米との間に、幕末には大変大きな差が生じてしまった。
それではスタティックとダイナミックの差とは何であろうか?もちろん鎖国という境界条件の違いは極めて大きいが、科学技術に対する根本的な所での違いである。
つい最近まで日本の家は大工の棟梁がすべてを取り仕切って建てていた。棟梁の家造りはなかなかユニ−クである。詳細な図面などない。簡単な部屋の配置図があるだけである。もちろん、詳細図なしでは家は建たない。詳細な図面は棟梁の頭の中にある。江戸時代もこんな感じではなかったであろうか?菱垣廻船復元の話が出たとき、関係者が一番当惑したのは、今日の我々の感覚でいうところの図面がないことだったようである。
今日の我々の感覚で言うと、ものを作る前に詳細な図面を作って、ねじ一本にいたるまで予め決めてしまう。これは明治以降に西洋から受け入れた手法であり、図面に合わせて材料を探し、部品を作り、最後に組み立てるという考え方であるが、日本の伝統的な物造りとは大いに違う。以下に述べることは、筆者の想像であり、学術的に実証されたものではない。誤りがあったらご容赦願いたい。日本では、素材に合わせて物を作るので、最初からあまり詳しく決めてしまうのは具合が悪い。おおまかな図面を描いた後は、素材を見て細部を決めて行くことになる。棟梁の頭の中の詳細図は時々刻々変化して行く。
欧米流のやり方と日本式のやり方と、それぞれに特長があって、どちらが絶対正しいとは言い切れないが、大衆社会の膨大な需要に応えて、品質上のばらつきの少ない工業製品を安価に提供するためには、欧米流が向いているようである。日本流のやり方は、工学的(技術的)というよりも工芸的(技能的)というべきであろう。明治以前の日本の物造りは、工芸の域を脱して工学の世界にまで高められなかったようである。
日本の工芸と西洋、特にドイツのマイスタ−制度との間には共通点が多いと思われる。西洋では、工芸の世界に学術が取り入れられて工学にまで高められたが、日本でも同じことが起き得たであろうか?筆者の考えでは「否」である。西洋でそのようなことが置き得た背景には、ギリシャ以来の西洋文化の流れがあると思う。日本の文化とは、根っこの部分が大きく異なっていると言ってよいであろう。そして、この工芸から工学への変化が、その後の大変化の端緒となったもので、ここのところが非常に重要なところである。
工学と工芸の違いとは何であろうか?一言でいえば、工芸のほうが感性に頼る部分が大きい。工学をより左脳的とすれば、工芸はより右脳的である。工学の特徴として
(1) 原理、原則を重んずる。
(2) 論理的、実証的である。
(3) 知識表現が重視され、知識の共有が可能である。
(4) 知識が体系化されている。
(5) 原則的には知識が公開されており、知識の公表、評価の場がある。
などを上げることができよう。
筆者が危惧するのは、工学的手法の重要さが日本人に心底から理解されているかということである。製品開発を速めるためには、報告書は不要であるという意見をよく耳にする。確かに、報告書の体裁にこだわるような本質を外れたものは、百害あって一利なしであろう。しかし、報告書無用論は暴論である。タイムリイに現状をまとめて、問題点を明確にするとともに、他の人の意見を聞くことは、つぎの段階に進む上で極めて重要であるが、報告書を書くというような手間の掛かる作業を通してしか、確実な方法はないと思われる。
菱垣廻船の実験では、筆者等のグル−プは、GPSによる菱垣廻船と伴走船の位置と方位の計測を担当した。いまさらGPSの説明をする必要はないと思われるが、高度2万kmの24個の人工衛星を用いて、地球上の位置を計測する米国防省が作ったシステムである。驚くべきことに、地殻変動観測などに用いられるスタチック法と呼ばれる超高精度測位では、数mmの精度で位置を測れる。筆者等が用いたものは、キネマチック法と呼ばれる精度が数cmのものである。このGPS技術は、欧米というよりも米国的なものであろう。まずその発想の雄大さと、このようなシステムを作り上げてしまう米国人のチャレンジ精神と実行力に驚かされる。さらに、軍用に開発されたGPSシステムを米国内は言うに及ばず、外国にまで開放している点である。もちろん、軍事的に重要な部分に関しては秘匿されている。何でも秘密にしたがる日本では考えられないことである。もっとも、長い目で見た場合、システム公開は決して米国の利益に反しないことが分かる。すなわち、外国の政府、企業、個人がその便利さのためにGPSに依存すればするほど、米国はその部分に関しては生殺与奪の権を握ることになるからである。
このような技術は、米国という国家にして始めて可能であろう。とても日本のような国では考えられないことである。しかし、これからもそれで良いかというと、そうは行かないであろう。現在、情報通信技術の世界では、米国との間でかなり水が開いてしまった。その中にあって、ゲ−ム、携帯電話、カ−ナビで日本が善戦しているのは、ありがたいことである。遺伝子工学の分野ではさらに大きな差ができてしまった。
一体、どこに日米の違いがあるのだろうか?GPSを通してみると、その違いが実に良く見える。日本の工学が決定的に遅れを取っているのは、パイオニア精神、チャレンジ精神およびリスク管理である。闇雲に挑戦しても、それはドンキホ−テに過ぎない。しっかりリスクを測って管理する技術がなければ、巨額の投資を必要とする技術開発は不可能である。リスク管理をするためには、あらゆる角度から検討を加えて、可能な限り失敗の確率を下げねばならない。一朝一夕にこれらを実現することは難しいと思われるが、幾分かでもこれらを身につけない限り、日本発の画期的でスケ−ルの大きな独創的な技術開発は不可能であろう。
このことを可能とするためには、学校教育のレベルからの見直しが必要であろう。日本の現在の学校教育は、工業化社会が必要とする一定レベルの人間を大量に養成するのには、大きな実績を上げてきたと思われ、日本が欧米の文明にキャッチアップする上で大きな成果を上げたといって良いであろう。しかし、今後の日本に要求される世界をリ−ドするような技術開発を行うのには適していないと思われる。
明治維新の際、欧米に追いつくために、徹底的に欧米の文明を取り入れたが、和魂洋才の言葉に代表されるように、欧米の文明の根底にある精神については、まったくといってよいほど関心を払わなかったのではないか?欧米の文明の凄さはやはりこの根底にある精神の凄さといってもよいのではないか?もちろん、盲目的に取り入れる必要はないが、深く理解する必要があろう。
例えば、日本の大学における数学教育はどうであろうか?結果を詰め込むことに汲汲として、何故そういう結果が出るのかという大きなものの見方を伝えているであろうか?はなはだ疑問である。筆者は大阪大学工学部で学部学生を対象として、3年間応用数学の講義をした。学期末の試験に「数学と自分との関わり」と題して感想を書いてもらったが、数学の面白さとか醍醐味の分かっている学生は皆無に近かった。教養時代の数学教育の間に、ほとんど例外なく数学嫌いになってしまっている。数学者が自分の弟子を養成するようなことを一般の学生にやっても意味がない。もっと数学の本質を教えるべきであろう。
菱垣廻船の海上実験は、欧米と日本の学術や物造りの違い、現在の日本の工学・技術の問題点、これからの日本の技術開発のため必要なことなど、いろいろなことを考える機会を与えてくれた。
参考文献
1) セ−リングヨット研究会、「菱垣廻船を海へ」ホ−ムペ−ジ、http://bills.iis.u-tokyo.ac.jp/higaki/
2) 野本謙作、"菱垣廻船復元船「浪華丸」帆走実験速報"、全国北前船セミナ−、(1999/8)
3) 野本謙作、"浪華丸帆走実験の解析について"、 菱垣廻船「浪華丸」帆走実験等関係者懇談会、(1999/9)
4) 中井正弘、"菱垣廻船「浪華丸」実験航海記"、大阪春秋、96号、(1999/9)
5) 大阪港振興協会、"菱垣廻船「浪華丸」帆走実験報告書"、(1999/10)
6) 日立造船、"大阪市港湾局向け千石積級菱垣廻船"浪華丸""、日立造船技報、Vol. 60、No. 3、(1999/10)
7) 桜井 晃、東野伸一郎、松原 学、増山 豊、"復元菱垣廻船帆走実験の計測システムについて"、日本航空宇宙学会西部支部講演会講演集、(1999/11)
8) 寺田幸博、"復元千石積級菱垣廻船"、非破壊検査、Vol. 49、No. 2、(2000/2)
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