おねがい*ティーチャー SS (before story)

 「すべてのはじまり」  − 航海の終わり、そして、新たなはじまり −


存在が停まっていた。
白い虚無の中に居た。
視覚 聴覚 嗅覚 味覚 触覚 時間 意識 肉体 空間 ・・
すべてのものが意味を持たなかった。
停まっているその事すらも認識出来ない、変わらない虚空。


突然、光があった。
世界に色と音の洪水があふれた。
意識はなす術もなく飲み込まれた。いや、抵抗という概念も無かった。
ただ流されていくだけ。


瞬転。
田舎の見慣れた風景がそこにあった。
空が青かった。木陰の外は夏の日差しが眩しかった。湖を渡ってくる風が頬に心地よかった。
水面の輝きが、桟橋の向こうでキラキラと眩しく瞳を射した。
木によりかかり、夏の匂いを胸一杯に吸い込んだ。
(・・・・)
だれかが呼んでいる。そんな気がした。
(・・)
まただ。
(・・・・・!!)
誰だろう?



ぱしん!
突然、視界が開けた。
(ここはどこだろう? 身体が思うように動かない)
首だけで辺りを見回すが誰もいない。白を基調とした窓のない病室の様な場所で、ベットに寝かされているのがやがて判った。


「だれか? いませんか?」
声に出してみると右手の壁のパネルに反応があった。
壁面に、見慣れない服装だが、白衣の女性の映像が現れた。
「気が付かれましたか? 今からまいります」
(あれ?なんで僕はここに居るんだろう? 最後の記憶は・・、たしか田舎に帰っていたような・・、あれ? わからない・・)
考えれば考えるほど、混乱していく。
思いだそうとして頭が痛くなってくる途中で、部屋の扉が開いた。
見慣れないデザインだが、白衣の様な服を着た初老の男性と、さっき映像で見た女性が入ってきた。
やがて、医師と看護婦だと気が付いた。

医師がベットの隣のキーを操作するとスライド式の椅子が引き出され、彼はそこに座った。
「気分はどうかね?」
「なんか、頭がはっきりしなくて・・・。なんでここに居るのか、判りません」
「事故による、記憶の混乱だろう。ゆっくり思い出すといい。かるく検査をするからじっとしていてくれ」
医師は隣に立っている看護婦に軽く頷くと、彼女から渡された大きめのPDAの様な物を操作しはじめた。一通りの設定が終わったのか、やがて右手に何か中で羽根が回るカプセルのような物を持ってそれを僕の身体の上にかざしていった。何をしているんだろう?。それよりも・・・、
「さっき、事故って言いましたよね。何があったんですか?」
「わたしも詳しい事は知らないのだが、君は機能を喪失した宇宙船で漂流していたのだよ」
「えっ?? 宇宙船ですか? 記憶がなくて実感がわかないのですが・・」
「何か、ひどい事があって、脳が思い出す事を拒絶しているのかもしれない。私は脳神経は専門外なので確かな事は言えないが」
何をしているのか判らなかったが、作業を終えたらしい医師は看護婦に向かい、機器を渡して言った。
「はつほ君を呼んできてくれ。彼女が一番気にしている事だろうから」
「はい、わかりました」
看護婦はかるく頷くと部屋を出ていった。黒髪の女性の後ろ姿に、なにか判らないが軽い違和感を感じた。
「あの、はつほって・・?」
「ああ、彼女が君を漂流している船で発見して、収容して来たのだよ。いわば、君の命の恩人だね」
「そうだったんですか・・。他にも乗員は居たと思うのですが・・、どうなったんですか?」
初老の医師は目を閉じると、ゆっくりと首を横に振った。
「長期間の低圧、低酸素、低温状態で既に手遅れだったそうだよ。君だけが何故かそれに耐えて、まるで眠っているかのような姿で居たそうだ」
「そうでしたか・・」
なにかが僕の心で引っかかった、なんだろう? だが、その時の僕には判らなかった。

「さあ、しばらく休むといい、まだ意識が戻ったばかりで・」
突然部屋の扉が開くと、歳の頃二十歳ぐらいの赤い髪をした若い女性が飛び込んできた。
「彼の意識が戻ったんですか!? あっ!」
彼女の方を向いた僕はちょと驚いた顔をしていたらしい。彼女の顔色がみるみる赤味を帯びてゆく。
医師は軽くわらいながら紹介してくれた。
「彼女がはつほ君だよ。はつほ君、私はちょっと用事で席を外すが、あまり無理して話すのはいけないよ。まだ意識が戻ったばかりで記憶の混乱もあるようだからね。じゃあ、お大事に」
そういうと、医師はベットサイドに置いてあった肩掛けの端末のような物を持って部屋を出ていった。

彼女はベットの側まで歩いてくるとペタンと椅子に座り、かるく深呼吸をすると落ち着いたようで、ゆったりとした口調で話しかけてきた。
「ごめんなさい。おどろかせちゃったみたいで」
「いえ、いいんです。それよりも、僕を助けてくれたんですね。ありがとう」
「そんなことは・・・。貴方が無事に目が覚めてくれなかったらどうしようかと思ってました。ほんとうに良かった・・・」
彼女から満面の笑みがこぼれた。
「ありがとう。僕は志郎。風見志郎といいます」
「はい、はつほと呼んで下さい」
「こんな所で、日本人に出会えるとは思って・・・な・か・っ・・・」
はつほという日本名に、心地よい声に緊張感がゆるむ。彼女が微笑んでいるのがぼやけて見えた。
「まだ体調が戻ってないのですね。ゆっくりお休みになって下さい」
彼女の声の輪郭がとけて、僕は再び意識を失った。



この場所が地球外の宇宙船の中で、周囲の人が宇宙人だと知るのはその2日後。
再び意識を取り戻した僕が、見慣れない食事を取りながら説明を聞くまで全く気が付かなかった。
重力があるし、どうみても病院の一室に見えたし、エイリアンのイメージとは程遠い人達だったし・・。
何より隣に居る、”はつほ”という彼女の日本的な名前と、素晴らしい笑顔にすっかり安心していたから・・。


<すべてのはじまり> 了

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