多摩川散策日記2001年10月)

文:上田大志

 

 

10月1日 河口域の干潟(2km付近)/六郷橋下流(5km付近)/兵庫島(18km付近)/宿河原堰(22km付近)/大栗川合流点上流(34km付近)

河口域の干潟…大潮の干潮時だったが、干潟は想像していたほどには広がっていない。ここの干潟の底質は比較的固くしまっているが、今日は雨が降っていて少しぬかるんでいる。雨のためかカニ類の活動は鈍いが、トビハゼは多数確認できる。水際に近いところに散乱しているコンクリート片や石ころの数が増えたような気がする。土手は草刈りがされたばかりで、確認できる植物は少ない。土手下の高水敷にはゴミの堆積が見られ、洪水時の水位を知ることができる。ヨシ原にも部分的に倒伏が見られるが、流失した様子はなく、洪水時の流速はそれほど速くはなかったと思われる。観察できた野鳥は、カワウ、コサギ、ダイサギ、アオサギ、カルガモ、セグロカモメ。

六郷橋下流…右岸はコンクリートの低水護岸が続いているので、地形は変化しようがない。係留されているボートや桟橋には、まだかなりのゴミが引っかかっているが、護岸上は片付けられた後のようで、さっぱりとしている。左岸の干潟は、岸側に生えているヨシなどの植生が、洪水のためか水際に倒れこんでいて、これまで歩けた低水護岸上をふさいでいる。干潟には相変わらずタイヤやテレビなどの粗大ゴミが目立つが、7月3日に来たときとは別のものが多い(これも洪水の影響か)。セイタカアワダチソウが咲き始めた。雨のためか期待した野鳥は少なく、シギ・チドリ類、バンなどが観察できなかった。ヒロハホウキギクの薄紫の花がかわいい。

兵庫島…本川と野川との合流点に広がる“中州”は、植生が大変豊かな場所だったが、今回の洪水でそのほとんどが流失し、砂利と砂の河原になった。何本かあるヤナギの木も根こそぎ倒れている。昨日からの雨で野川の水量は多い。ちょっとした雨でもすぐに増水する典型的な都市河川だ。一昨年の洪水では何基も残った牛枠は、今回はみな流されてしまったのだろうか、確認することはできない。二子橋の下には、本川から野川に向かって大きな分流(洪水で?)ができており、牛枠のあった場所まで歩いて行くことができなくなった。文字通り“中州”になったわけだ。いつ来ても思うことだが、二子橋の橋桁の数は多すぎる。川の流れにとっては巨大な壁のようなものだ。ましてやここは左岸側の堤防が不完全で、野川との合流点でもある。もっと大きな洪水が来たらと思うとぞっとする。親水池下流側の河原は一昨年の洪水でも大きく洗掘された場所で、その後整地されて植生が回復してきていた。しかし、今回の洪水による影響は一昨年を上回り、表土の下の地盤まで深くえぐられて一面凸凹の河原になった。1m以上の段差ができて、そこに水がたまり“ワンド”状になったところも見られる。コンクリートで固められた親水池にぶつかった水流が勢いを増して、その下流側を削ったといったところか。遊びに来ていた女学生グループも「夏に来たときと全然違う!」とびっくりしていた。

宿河原堰…水際の手すりは、壊れた部分が取り除かれ、支柱とロープで応急処置が施されている。水際のシダレヤナギの根元には、2m以上の高さまでゴミが引っかかっている。倒伏して枯れたツルヨシの根元からは、新芽がもう20cmほどに育っている。今回の洪水では砂の堆積が目立つ。これは多摩川全般に言えることだが、一昨年の洪水では石河原になった場所が、今回は“砂浜”になったり、泥だらけになったりしている。水位の高い状態が長く続いたことで、細かな砂粒までが底に沈んだということだろうか。水位のピークは一昨年の方が高かったにもかかわらず、今回の方が地形の変化など影響が大きかったこととも関係がありそうだ(その他9月16日参照)。

大栗川合流点上流…警察犬訓練所の周囲の柵には、ゴミが多量に絡まっている。一面に広がっていたオオブタクサ、ヨシ、オギなどの藪(7月3日参照)が倒伏して、多摩川の流れの様子が左岸側まで見渡せる。大栗川右岸の“山付き”の崖には、規模は小さいながらも崖崩れが見られる(洪水の影響か)。雨が激しくなってきたので今日はここまで。

 

10月2日 府中四谷橋(36km付近左岸)/浅川合流点(37km付近右岸)/谷地川合流点上流(42km付近)/秋川合流点(49km付近右岸)/永田地区(52km付近右岸)/小作堰下流(55km付近)/鮎美橋(61km付近)

府中四谷橋…昨日とは打って変わって、からりと晴れ上がった。山並みがよく見渡せる。一昨年8月のときと同じように、左岸の堤防下には洪水が流れた痕跡が見られる(植生の流失と土砂の堆積)。水際はもっとも植生が回復していたところだが(7月7日参照)、頭くらいの大きな丸石だらけの、見事なまでの石河原になった。河川敷に段差が生じ、丸石河原と植生が残っている部分とがはっきりと分かれている。段差は一昨年のときにも現れていた。洪水時の流れの強弱によってできたのだろうか、興味深い。

浅川合流点…日野クリーンセンター前の水たまり(8月20日参照)は、信じられないほど透き通っている。ギンヤンマが飛び交い、ザリガニやフナなどがごそごそと動いているのがよくわかる。堤防の先端から、藪を通って本川と根川の合流点へ。モズがキリキリキリ…と騒いでいる。分水路(8月20日参照)には浅川からの水が流れ込んでいる。合流点には砂が厚く堆積していて、ヨシ原は埋もれているが、付近の地形に想像していたほどの変化はない。植生の倒伏が目立ち、もとの場所に戻るのに一苦労。浅川の流れも、災害復旧工事がされた百草床固(6月26日)を含め、大きくは変わっていない。近くの水際に1羽のタカが舞い降りた。見慣れたトビとはどうも違う。全体的に白っぽく、尾は扇形…ノスリだ。双眼鏡で観察する。かれは恐れる様子もなく、水際にたたずんでいたが、やがて水面の上を滑るように飛び去った。

谷地川合流点上流…堤防上からも水面が見えないほど一面に繁茂していたヨシ原(7月12日参照)はなぎ倒され、“すっきりとした”眺めになった。以前からある小さなワンドには伏流水が出ているが、付近は何となくドブくさい。堤防のコンクリート護岸が一部、粉状に砕けている。これは単なる風化か、それとも洪水の影響によるものか。僕の大好きなワンド(3月31日参照)付近は土砂の堆積が著しく、ワンド出口は浅くなって“中州”もできている。

秋川合流点…処理場(玉美園)の脇には趣深い小川が流れている(処理場の排水溝ではない)。水はきれいで農業用水と思われるが、どこから流れてくるのだろう。オニグルミの林のところから草薮を抜けていく。水際まではまだ数百mあるが、地面はぬかるみ、植生は汚れている。洪水のときにはここまで水に浸かったのだろう。高水敷は植生の倒伏が見られるくらいで、流木の山(6月26日参照)にも目立った変化は感じられない。しかし水際に下りると景観はがらりと変わっていた。広い丸石河原の手前には副流路ができ、窪みは一時的な“ワンド”になっている。一帯は丸石と砂とが積み重なっており、それぞれの堆積している場所がきれいに分かれている。対岸の石河原も厚さを増した。どこから流されてきたものか、流れの中にコンクリートブロックが1つ。

永田地区…永田橋上流右岸一帯は、植生管理の実験をしているところ(7月7日ほか参照)だが、今回の洪水で高水敷がかなり削られ、洪水で広くなった石河原との境目は、2mほどの段差になっている。砂に覆われた地面から、除去されたはずのハリエンジュが多数芽吹いている。かなり根が残っているのだろう。羽村大橋の上から下流の景観を見て、しばし唖然とする。橋直下右岸の高水敷が大きく削られ、ハリエンジュ、その他植生が繁茂していたところは、砂礫と茶色の土丹が広がる河原になっている。このようになったことと、ここ数年で行われたすぐ上流の床固の改修工事や、羽村大橋の耐震補強工事との関連はあるのだろうか。

小作堰下流…小作堰下流は礫の堆積が激しく、中州(7月12日ほか参照)が巨大化した。その上流端は堰の落差直下に及び、幅は100mほどある広い石河原になった。羽用水の取り入れ口は、堰を使わずに砂利を積み上げて本川の流れを引き入れているが、その砂利は洪水後すぐに積み直されたようだ。さすがは現役の用水といったところ。リバーサイドゴルフパーク前は、高水敷のオギ原が倒伏。驚いたことは、川幅がぐっと広がって、これまで広大な丸石河原だったところがみな水没し、浅瀬と化していたことだ。当然のことながら3本のヤナギ(8月20日参照)は跡形もない。その広い水面は、すぐ上流で左岸側に音をたてて流れ込んでおり、石河原の中州(もとの川岸部分?)の形状をいまも変え続けている。渇水期になったら、また今後の時間の推移の中で、地形がどのように変化していくのか、大変興味深い。堤防下に広がるハリエンジュ林は、木々の根元に多量のゴミが絡んでいる。

鮎美橋…この2日間、ドラスチックに変わった場所をいくつも見てきた後のためか、「あまり変わっていないな」という印象。8月22日の洪水後と比較して(8月25日参照)、目立った変化は感じられない。蛇籠法面に定着していたハリエンジュ(7月12日参照)はほとんど見られないが、これも今回の洪水によるものなのかはわからない。200mほど上流から、右岸側に大きく分流がおきているのも同じ。この分流は、以前から本流の中にある岩のために、流れが変化してできているのだと思っていたが、これだけしっかりした流路ができるには、他にも理由がありそうだ。他に鮎美橋の上から気付いたことは、左岸水際のツルヨシ群落が大きく倒伏していたことと、下流側の石河原や中州の形状が少し変わっていたこと。

 

10月5日 多摩川市民フォーラム運営委員会

9月15日の「代表者会議」を受けて、運営委員に新メンバーが加わった。この代表者会議と、9月28日の「第10回多摩川流域セミナー」で話し合われたことを確認した。市民フォーラムの活動資金の確保についても話題になった。

 

10月6日 六郷橋下流(5km付近)/兵庫島(18km付近)/宿河原堰(22km付近)/上河原ワンド(25km付近右岸)/府中四谷橋(36km付近左岸)/秋川合流点(49km付近右岸)/永田地区(52km付近右岸)

9月11日に台風15号が襲来し、多摩川は一昨年8月に匹敵する大きな洪水に見舞われ、河道や河川敷に大きな変化が起きた。そこで、今回発生した多摩川の環境の攪乱状況を詳細に把握すると共に、その復元過程を解明するため、この2年間継続的に行ってきた「多摩川洪水撹乱後の河川環境モニター調査」を、多摩川センターと京浜工事事務所が共同で実施することになった。当日は流域の市民や河川管理者など50人近くが参加し、貸切バス2台で移動しながら上記箇所の環境調査を行った。

今回の洪水によると思われる河川環境の変化のうち、僕が気付いた点に関しては、10月1日、2日の記述を中心にまとめてあるので、ここでは調査当日(6日)の実施報告にとどめる。

六郷橋下流…到着したのは満潮時(中潮)で、低水護岸のほとんどが水に浸かっていた。干潟や中州の露頭はまったく見られない。すぐ近くにお住まいの参加者に洪水時の水位を尋ねると、高水敷の芝生広場に建っている看板の高さで示しながら、わかりやすく教えてくださった。水位は一昨年の方が高かったそうである。地形そのものに大きな変化は見られないので、濁流が勢い良く流れたという感じではなく、水は徐々にひたひたと増して、またゆっくりと引いていったと思われる。

兵庫島…今回の調査は、みんなで現地を見ながら、洪水によって地形が大きく変わったところを今後どうしたら良いか、修復するのかしないかも含めて、参加者に考えていただくことも大きな目的だった。この場所で目に付くのは、何と言っても低水護岸の裏側と親水池周りの河原が大きく洗掘されていることだが、「洗掘されたところはそのままで良い」、「コンクリートの親水池を守るために復旧工事をするのはおかしい」など、熱い議論が交わされていた。

宿河原堰…水辺の楽校前の水辺には、砂利の堆積しているところと“砂浜”がきれいに分かれて、1m以上の段差になっている場所が見られる。どうしてこのような現象がおきたのか、京浜工事事務所の方に尋ねると、「流れが激しく水位も高い状態が長く続いた中で、流されてきた重い礫の“山”が、徐々に下流側および内陸側に押し流されてきて、ちょうどこの位置で止まり、流れがある程度落ち着いた後は、軽い砂だけが水底に沈殿したのだろう」と教えてくださった。

上河原ワンド…ワンドの上流端は敢えて水衝部に設定されている。これは出水時に本川の水がワンド内に越流してくることを期待したからだが、今回の洪水では予想以上に水際の洗掘がおき、これまでなだらかだった内陸側の岸辺は、数mの“崖”になっている。その水衝部に置かれている“フトンカゴ”の護岸そのものはしっかりと残っており、改めて伝統治水工法の偉大さを感じる。このワンドは出水による“変動追認”をしていくと聞いているが、今回の洪水で大きくその姿を変えたワンド。どのような修復工事をするのか、あるいはしないのか、今後の動きに目が離せない。

府中四谷橋…調査日は第1土曜日だったので、小学校の授業はある日だが、午後ということで府中市立四谷小学校の先生が2人駆けつけてくださった。四谷小学校のすぐ前は多摩川。総合学習のフィールドにぜひ多摩川を、ということで、多摩川センターもお手伝いをさせていただいている。「洪水撹乱」などと言うと、固く難しいもののように聞こえるが、「いつも出掛けている多摩川の様子が、台風の後でこのように変わってしまった」という視点で考えることは、子どもたちにとってもわかりやすく、新鮮なテーマであると思う。

浅川合流点…時間が押してきたのでカットし、代わりに四谷本宿用水堰を視察した。今回の洪水で堰の中央部分が崩壊?し、そこを水が勢い良く流れている。河床の低下を防ぐために置かれている、コンクリートブロックの数も相当減っているが、それらはみな下流に流されてしまったのか、それとも人為的に取り除かれたのだろうか。

秋川合流点…洪水で多量の泥を被った福生南公園は復旧作業が続けられているようで、公園入り口のゲートは閉まったまま。車両は通行止め。そのため、多くの人でいつも賑わっている秋川合流点対岸の広い石河原(2月20日参照)には、まったく人影が見られない。合流点に立つと、本川の水が上流域の泥などの攪拌によってまだ濁っているのに対して、秋川の水はすでに澄んでいるのが良くわかる。

永田地区…高水敷が大きく削られた羽村大橋の下の水辺に下りてみた。一連の工事との関連やいかに?カワラノギク実験地の実生(6月9日ほか参照)は、泥にまみれながらも20cmほどに育っている。府中四谷橋上流で育てていた個体群が洪水でみな流されてしまったので、ここにはより期待が高まる。

 

10月7日 上河原ワンド(25km付近右岸)/宿河原堰付近(22km付近)/是政橋付近(31〜32km付近)

座間市立北地区文化センターのボランティア講座で、10名ほどの方が多摩川見学にみえたので、多摩川ふれあい教室、上河原ワンド、宿河原堰〜狛江水辺の楽校を案内した。

上河原ワンド…よく観察してみると、水際のあちこちから伏流水が湧き出しており、水中からも水の泡が上がっている(昨日は気付かなかった)。土砂で埋まっている上流部分の湧水はどうなっているのだろうか。

宿河原堰付近…自由広場は、今日も乗馬コーナー、フリーマーケット、出店などで賑わっている(9月16日参照)。今日は複数の市民グループやボーイスカウトなどの共同イベントとのこと。ボランティアの皆さんの熱気が伝わってくる。そういえば水辺の楽校付近に散乱していたゴミや流木が明らかに少なくなっている。片付け作業はさぞかし大変に違いない。市民運動の歴史も含め、狛江の方々のパワーはすごいと思わずにはいられない。第3紀層の河原に化石掘りをする親子の姿。巻貝の化石が見つかったと大喜び。河床を観察すると、固くて黒い地層の上に、今回の洪水でその多くが剥がれた茶色の土丹が重なっていることに気付く。この黒い地層はいつのもので、どんな化石が出てくるのだろう。

河原に散乱している土丹のかたまりはもろく、すでに崩れているものも多い。数ヶ月もしたら、みな土に返り、ここはただの石河原になるのだと思うと感慨深い。

水辺の楽校一帯は、今回の洪水で以前とは大きく変わった。復旧工事は必要だろうか、川の自然に親しむとはどういうことなのか、訪れる人に考えさせてくれる場所である。

帰りがけに是政橋から上、下流の観察。今回の洪水による、澪筋そのものの極端な変化は感じられないが、上流側の中州だった石河原は、石が流失して浅瀬になっている。雨不足で枯れていた高水敷のヤブ(7月20日参照)がかなり回復してきた。南武線鉄橋上流(左岸)の高水敷は、洪水によって澪筋寄りの植生が適度に減り、石の地面が現れている。残念ながらカワラナデシコは見つからなかったが、カワラサイコなど河原植物の遷移を観察するにはおもしろい場所だと思う。

ついでながら…今日はふれあい教室で、多摩川の源流から河口までを紙芝居ふうに写真で紹介した。狛江の水害についてもふれたが、たまたま居合わせた婦人が、横山十四男さんは自分の中学時代の担任だったと教えてくださった。そのときに多摩川の自然を学びの場にしようという、今の「総合的な学習」のようなことを教えていただいたともおっしゃった。これを聞いて、僕は胸から熱いものがこみ上げてくるのを止めることができなかった。子ども時代に経験したことは、その人の将来に何らかのかたちではたらきかけているに違いない。というのも僕自身がそうだから。大人になる前にひとりでも多くの人に多摩川の自然にふれてもらうこと、これはふれあい教室や総合的な学習はもちろん、多摩川センターそのものの大きな役割だと思う。

 

10月10日 多摩川流域懇談会第22回運営委員会

一日中冷たい雨が降り続いた。多摩川も増水しているようだったが、最近は日がすっかり短くなって、せせらぎ館に着いたときはもう真っ暗。今日は、多摩川市民フォーラムの「代表者会議」(9月15日参照)を受けて、新たに多摩川流域懇談会の運営委員になった方々の紹介と、同懇談会の基本理念を確認した。「第10回多摩川流域セミナー」(9月28日参照)でテーマにした、多摩川流域リバーミュージアムの進め方についての意見も活発に出されたが、次のステップの内容が具体化するのは、次回運営委員会の議論を待って、ということになりそうだ。

 

10月13日 永田橋上流〜阿蘇神社前(52〜55km付近)

多摩川センターが主催する「リバースクール」第3回講座。今回のテーマは、「多摩川らしさ」。江戸・東京の発展を支えた玉川上水と、多摩川からその水を取り入れる羽村取水堰。多摩川の環境維持のための放水。羽用水を中心とした田園風景。様々な水の利用と、多摩川らしい河原や生物との関係。多摩川の歴史といまを知り、これからの多摩川を考えることが目的だ。

午前10時にJR青梅線の羽村駅に集合して最初に行ったのは、東口から歩いて1分とかからないところにある「まいまいず井戸」(五ノ神井)。崩れやすい砂礫の地層を漏斗状に掘って螺旋状の道をつけ、その底から水脈まで井戸が掘られている。井戸掘りの技術がまだ発達していなかった古い時代の史跡だという。踏切を渡り、坂道をゆっくりと下っていく。奥多摩街道を越えると水田地帯が広がり、蓮や牡丹も栽培されている。かつて、多摩川が増水したときに、鐘を鳴らして付近の村に知らせたという一峰院の前を通り、多摩川に出る。羽用水沿いに阿蘇神社の境内林へ(2月10日参照)。実に心地良い散歩道になっている。付近はいわゆる“堤防”のないところだが、いつか築堤されたときに、この河畔林がなくなることがなければ良いが…。羽村取水堰は、江戸の水道水源として1653年に開削された玉川上水の取り入れ口としてあまりにも有名。多摩川が増水したときに、丸太や粗朶、砂利などを組み合わせてつくられた部分を人為的に取り払って、洪水を安全に流そうという「投渡堰」や、かつて材木を下流に運ぶ筏を通した「筏通し場」などが残り、水門や石畳など、全体の仕組みそのものが当時から変わっていないという歴史的文化財だ。今日は10日の増水のために、3つある投渡堰のうち左岸寄りの1つが取り払われていた。「可動堰」はすでに350年前にあったのだ。それも自然に逆らわずにうまく付き合う方法で。ところで多摩川の水のほとんどは、ここ羽村堰で水道用水として玉川上水に取られてしまう。以前はこの下流にはほんのチョロチョロ程度の水しか流れていなかったが、環境維持のために1992年から2t/sの放流が実施されるようになった。しかし、きれいな水の大部分が取水されてしまうことに変わりはなく、多摩川の中・下流部では、下水処理水や汚れた支流の水が7割近くを占めていると聞く。もし羽村堰からの放流量を増やせば、多摩川の水質は間違いなく向上するだろう。でもその水を飲んでいるのは自分たちなのだ。

昼食後、羽村堰下橋を右岸に渡ってカワラノギクの保護地へ(7月1日参照)。咲き始めたカワラノギクを見ながら、自然保護のあり方について考える。すぐ上流にある沼沢は、かつて親水目的で「ホタルの里づくり」の整備がされたところであるが、市民団体等の指摘もあって、自然の姿に戻りつつある。3年前に魚類観察をしたときには、ジュズカケハゼ、シマドジョウ、アブラハヤ、ウグイ、カワムツ、オイカワを確認した。今後も多様な生態系を育む水辺を取り戻していくために、極力手を付けずにおきたい。それほど深いところもなく、子どもたちにとっても、水遊びを通して自然体験ができる貴重な空間だと思う。リバースクールの参加者には学校の先生が多く、「ぜひ一度子どもたちを連れて来たい」、「いかにも水辺の楽校という感じがする」という声が聞かれた。羽村堰の石畳の上を筏通し場まで歩き、投渡堰を上流側から見学する。伝統治水工法である「牛枠」(大聖牛)も現役で活躍しており、多摩川と人との関わりの歴史を実感する。その後、羽村堰や玉川上水などの歴史をテーマにしている羽村市郷土博物館も見学。

羽村大橋を渡って左岸に戻り、玉川上水沿いを下流に下っていく。付近の土手には、堤内地につくられた遊水地に水を引き入れて洪水を防いだ、「霞堤」の名残も残されている。上水沿いの散策路には、桜並木やケヤキなどの林が帯状に残されている。上流から下流まで、文字通りグリーンベルトが続いており、かつての武蔵野の姿が偲ばれる。上水には豊富な水が流れているが、この水はすべてが10数km下流の「小平監視所」で水道水源として東村山浄水場に送られてしまう。つまりその下流にはまったく水が流れていなかった。このため、歴史遺産である玉川上水に清流を復活させようとの声が高まり、1984年に派川の野火止用水、86年からは玉川上水本流にも、昭島市にある多摩川上流処理場(6月10日参照)からの処理水が流されるようになった。水道水源の確保という難しい問題はあるが、いつか処理水などではない、真の「清流」を復活させたいものだ(1月30日参照)。田村酒造は、地酒「嘉泉」で知られる造り酒屋。創業は1822年、邸内には、かつてこの水で米を精製するための水車を回していたという、玉川上水の分水が今も流れている。宿橋を渡って、福生駅で解散。

リバースクールの目的は「多摩川らしさ」について考えることである(8月25日参照)。これは源流から河口まで様々な表情を見せる多摩川にふれることで、感じることができるものだと思う。今日のテーマも敢えて「多摩川らしさ」としたのは、羽村、福生周辺には自然、歴史、文化、生活などのテーマがぎっしり詰まっているからである。1日でそれらをすべて取り上げようというのは、いささか欲張りすぎだったかもしれないが、参加者に「これが多摩川らしさのひとつなのかな」と感じていただくことができたら幸いである。

観察できた野鳥は、カワウ、コサギ、ダイサギ、アオサギ、トビ、キジバト、カワセミ、ヒヨドリ、モズ、ホオジロ、ハシボソガラス。

 

10月15日 柳山公園〜羽村堰(51〜54km付近)

福生駅前の賑やかな表通りを抜けて、宿橋通りに入る。玉川上水を渡り、田村酒造を横に見ながら、永田橋まで、閑静な旧道の散策を楽しむ。柳山公園にはケヤキの巨樹が多い。幼稚園の帰りだろうか、母と子が遊び、ブランコのきしむ音が…、とても懐かしく思える。クヌギ林のつくった木陰に風を感じる。ハリエンジュ林の小道を、羽村大橋上流の“レクリェーション広場”まで歩く。小鳥が種を運んでくるのだろうか、ピラカンサが赤い実をたわわにつけている。他にノコンギク、ナギナタコウジュ、エノコログサ各種(エノコログサ、ムラサキ〜、アキノ〜、キンエノコロ、コツブキンエノコロ)、オオブタクサの実など。

自生しているカワラノギクは年々減り続けている。素人である僕でも、毎年秋が来るたびにそれを感じるのだ。まだ咲き始めたばかりで目立たない株が多いのだ、と自分に言い聞かせる。カワラノギクという「種」を守るためには、その周りの環境全体を守っていく必要がある(9月20日参照)のだが、もはや積極的に人の手を加えなくては、カワラノギクを守ることはできないのだろうか(3月22日、6月9日ほか参照)。

夕暮れのひととき、羽村堰下橋に佇み、堰がつくられた当時に思いを馳せる。投渡堰や筏通し場に人影が浮かび上がり、威勢の良い掛け声が聞こえてくる。自分でも何故だかわからないのだが、今の堰の姿を写真などではなく、この目に焼き付けておかなくてはと思った。魚道がつくられて、アユやサクラマスがのぼれるようになることは、とても喜ばしいことなのだけれど…。

観察できた野鳥は、カワウ、コサギ、ダイサギ、アオサギ、コジュケイ、チドリsp、カワセミ、セグロセキレイ、ヒヨドリ、モズ、ホオジロ、カワラヒワ、シジュウカラ。ミヤマアカネが1匹。

 

10月20日 永田地区(52km付近)

「河川生態学術研究会」多摩川グループでは、1996年より多摩川の永田地区をフィールドに生態学的な観点から川のあるべき姿を探り、今後の川づくりに役立てることを目的に研究を進めている。「市民合同発表会」は、研究の成果を報告するとともに、地域の皆さんと意見交換・交流をする機会として、毎年1回開催されている。発表会では、現地観察と室内での話題提供および意見交換を行っており、多摩川センターが発表会の事務局をしている。

現地観察会では、京浜工事事務所河川環境課長の案内で、永田橋上流右岸の河道修復実験地を見学した(10月2日、6日ほか参照)。洪水によって高水敷が大きく洗掘されて2mほどの“崖”が生じ、自然の石河原が広がった。初夏までは殺風景とさえ言えた高水敷は、わずか数ヶ月でハリエンジュはもとより、いまやあらゆる草木が生い茂り、とても植生管理の実験地とは思えないほど。

また、福生市民が行っている鳥類調査の様子も見学させていただいた。これは“かすみ網”で野鳥を捕獲し、標識をつけて放鳥するもので、河道修復事業によって環境の変化する場所や変化のない場所など、さまざまな条件で調査を行い、データを積み重ねることで、環境と野鳥の生活との関係が見えてくるという。

室内(永田倶楽部)では、4名の方から話題提供として「昭島市民によるワンド再生計画と水辺の楽校構想」、「安定同位体比による食物連鎖の推定」、および観察会の補則説明がされ、会場のみんなと永田地区の自然のありかたについて意見交換を行った。

いずれも大変興味深い内容であり、今日のように研究者と地元市民とが交流して、お互いに学び合える機会をもっと設けていきたい。またこの発表会を通して、より多くの人々に多摩川に対する関心を持っていただきたいと願っている。

 

10月21日 羽村堰下橋〜友田水管橋上流(54〜56km付近)

多摩川の自然を守る会の自然観察会。保護地のカワラノギクが見頃を迎え(10月13日参照)、日曜日ということもあって、大勢の人が鑑賞に訪れている。何はともあれ、今年も花が見られたことと、多くの人が関心を持ってくださっていることはうれしい。郷土博物館上流の水際は、洪水によって洗掘されて崖になっており、左岸に戻る。投渡堰は15日に来たときには、まだ1門が取り払われていた(10月13日参照)が、丸太と粗朶が入り、普段の姿に戻った。普通は投渡堰の裏側に砂利を積むのだが、その作業は行われていない。水量が安定してからということだろうか。多摩川の河川パトロールをされている方(リバースクールにも参加してくださっている)に出会う。取り付け作業は16日に行われたとのことだ。

樋管の先で土手を下り、上流に歩いて行く。冬鳥のジョウビタキが渡ってきた。褐色の見慣れない小鳥は、渡りの途中のノビタキだと教えていただく。バーベキュー広場と化していた宮下運動公園前(2月10日参照)には、洪水によって生まれた新たな丸石河原が広がっている。丸くすべすべした白い石がたくさん見られる。これが石灰石ではないかとのこと。羽用水を跨ぎ、中州に入る(2月10日参照)。洪水後でもなければ、今の時期にここを歩くことはできないだろう。整備作業でも行うのだろうか、用水の水が涸れている。500mほど先で流れに行く手をさえぎられて引き返す。本流の流れが左岸側に寄ってくる(10月2日参照)のは、この辺の河床そのものが傾いているのではないかとのこと。カワラバッタが見られる。

阿蘇神社を抜けて一旦住宅地へ。古くからの家や畑が多く、陽だまりには春の野草が咲いている。羽村西小学校の前を通り、小作堰の手前で再び水際に出る。砂利を積み上げた羽用水の取り入れ口(10月2日参照)を見る。小さな流れがあり、オイカワがたくさんいる。小作堰付近には大勢の釣り人。多摩川橋、友田水管橋をくぐると、着々と建設が進む圏央道橋の巨体が現れる(2月10日、5月20日参照)。橋の上部には防音?シェルターでもかぶせるらしく、骨組みがつくられている。浅瀬でダイサギやカワセミなどが盛んに小魚を捕らえている。

今日は久しぶりに仕事を離れて、多摩川の自然にどっぷりと浸かることができた!

観察できた野鳥は、カワウ、コサギ、ダイサギ、アオサギ、オカヨシガモ、キジ、トビ、シギsp、キジバト、カワセミ、セグロセキレイ、モズ、ジョウビタキ、ノビタキ、ホオジロ、スズメ、カワラヒワ、シジュウカラ。野草はユウガギク、カントウヨメナ、ノコンギク、ヤクシソウなどの野菊が印象的だった。

 

10月27日〜28日 「源流合宿」〜多摩川の水源を訪ねる〜

多摩川センターが主催する「リバースクール」のオプション講座「源流合宿」。山梨県小菅村に今年4月に設立された多摩川源流研究所との交流を通じて、源流域の持つ課題や取組みを学び、多摩川の水源(水干)や経営開始100周年を迎えた東京都水源涵養林を散策しながら源流域の豊かな自然にふれ、その魅力や取組みについて考えることが目的。

27日9:00、JR青梅線河辺駅に集合した参加者は、マイクロバスに乗り込み、青梅街道を小河内ダム(奥多摩湖)へ。奥多摩湖は8月、9月の台風による大雨で満水になり、電光掲示は貯水率96.6%を示している。夏の雨不足が解消して本当に良かったが、未だに水は白濁気味である。1998年にオープンした「奥多摩水と緑のふれあい館」を見学後、小菅村へ。

4月に設立された「多摩川源流研究所」(4月8日参照)を見学。佐藤英敏さんから源流にこだわった村づくりをしている小菅村について、中村文明さんから多摩川源流の魅力と源流研究所設立の経緯についてのお話をいただく。源流研究所では、@源流域の豊かな自然の調査、研究をするA『源流の四季』などを通して、流域への情報発信に努めるB「源流体験教室」など体験型イベントを充実するC流域全体の交流事業を行っていく、という4つの活動目的のもと、忙しくも楽しい毎日を送っているとのこと。心から声援を送りたい。

河原(村営釣り場)で昼食後、小菅川上流にある「雄滝」と「白糸の滝」を中村さんらに案内していただく。最近熊が出没しているとのことで、入山者に注意を促す看板を立てかけつつ上流へ向かう。佐藤さんが「イワナだ」と淵を指差す。30cmはあるだろうか。産卵を控えた大イワナがゆったりと泳いでいる。最近は制限匹数に対する釣り人の理解と協力もあり、小菅川の源流に天然のイワナやヤマメが戻りつつあるという。雄滝は真ん中に大きな岩を挟んで、2本の流れが豪快に落ちてくる、勇壮かつ神秘的な滝だ。対する白糸の滝は36mの高さから1筋の流れがすがすがしく流れ落ち、とても優美なイメージ。周りは紅葉真っ盛りの美しい原生林…。毎日を源流の豊かな自然の中で過ごしながら、自分を磨いていける中村さんたちを羨ましく思う。

今川峠を越えて丹波渓谷へ。世に知られた景勝地「滑瀞(なめとろ)」や「おいらん淵」などを見学。紅葉の素晴らしさに目を見張る。

16:30、一之瀬高原に到着。「秋の日の釣瓶落し」、辺りに夕闇が迫る。今夜の宿は民宿「山の家」。おばあちゃんが自慢のそばをその場でたくさん打ってくれた。前の畑でとれた大根やキャベツなどもごちそうになる。素朴なおいしさは忘れることができない。かつて一之瀬集落には多くの人が暮らし、民宿は登山者で一杯だったという。しかし現金収入を求めて山を下りる人が増え、マイカーによる日帰り登山が主流になって宿泊客は減り、過疎が進んだ。いまでは、冬もここに残って暮らしているのは、わずか十数人になってしまったとのことである。亡くなるお年寄りも多いと聞く。

夕食後、宿の周りを散策。冷気が張り詰めている。月がきれいに出ている。みんなの影がくっきりと浮かび上がる。ここは街の明かりなど一切ない山の奥、月の明るさを実感する。「夏の大三角」、カシオペヤ、アンドロメダ銀河など。鹿避けだろうか、ときどきドーンという音が谷間に響く。

早朝散歩。空は雲に覆われていて暖かい。多摩川の自然を守る会の柴田隆行さんらと、コゲラ、ジョウビタキ、ホオジロ、コガラ、ヤマガラ、カケスなどを観察。

8:00、「水干(みずひ)」に向けて出発。残念ながら雨が降り出す。笠取山への登山口「作場平」までバスで入る。金色に黄葉したカラマツ林が美しい。作場平の広場には、すでにマイカーや観光バスがいっぱい。今日は紅葉シーズンの日曜、たくさんの登山者に出会う。雨に濡れながらも、周りの紅葉を堪能しつつ、沢沿いをゆっくり登って行く。ミズナラはすでに葉を落とし、地面は落ち葉が厚く積もった、ふかふかのスポンジ。「緑のダム」を実感する。

10:30、笠取小屋に到着。小屋番の田辺静さんに再会する(8月3日〜5日参照)。静さんは「山の家」のおばあちゃんの息子さんだ。小屋に荷物を置かせていただき、水干へ向かう。“小さな分水嶺”(8月29日参照)で記念写真を撮るが、辺りは霧に包まれ、見通しはきかない。稜線は風もあるので寒い。ウラジロモミの幹につけられた生々しい傷は、鹿の角研ぎか熊の爪痕か。

11:00、「水干」に到着。雨が降っているためかもしれないが、岩からは間隔をおきながらも、ポタッ、ポタッと雫が落ちている。参加者から感動の声があがる。自分たちは多摩川138kmのはじまりにいるのだ。100mほど下で沢が湧き出すところ(8月29日参照)に寄り、みんなでほんものの“源流水”を味わう。

12:00、笠取小屋に戻る。土間のストーブがうれしい。静さんに熱いお茶を淹れていただきながら、おばあちゃんのおにぎりをほおばる。

13:00、下山。雨が強まり、周りの景色をゆっくり楽しみながら、とはいかない。落ち葉が積もっているとはいえ、雨の「一休坂」は良く滑る。

 15:00、全員無事に作場平に到着。バスに乗り込み、ホッと一息。落合の「膳棚の滝」(1月5日、20日参照)に寄る。自然は訪れるたび、必ず違った姿を見せてくれる。ここも春夏秋冬、それぞれに素晴らしい。

17:30河辺駅前に到着。解散。

今回の「源流合宿」は、参加者が少なく(9名)、また2日目の雨が残念だった。しかし、「多摩川源流研究所」の中村さんや佐藤さん、「山の家」のおばあちゃんや笠取小屋の田辺静さんらに出会い、それに参加者どうしの交流を通して、なまの人間性にふれることができたのが何よりの収穫だったと思う。

 

10月30日 河辺(57〜58km付近/左岸)

台風の影響調査のため、青梅市運動公園上流(5月28日、8月12日参照)へ。大きくカーブして運動公園前に流れ込む流路は2本から1本になり、付近は草1本見られない石河原になった。カワラニガナの大群落があった場所一帯にも、石や砂が厚く堆積している。カワラニガナはみな流されてしまったか、砂に埋まってしまったのだろうか。

 歩き回ってあきらめかけた頃、河原の一角で小さなレモン色の花を見つけた。良く見るといくつもある。この辺は砂を少し被っただけですんだようである。思えば4月にはすでに少し上流の群落が花盛りだった(4月22日参照)ので、波はあるものの、実に6ヶ月以上もの間、次々と花を咲かせていることになる。秋が深まって肌寒くさえなってきた河原で、小さな花をいくつも咲かせている様は、洪水を乗り越えて生き延びることができた喜びを、全身で表しているようだった。しかし、今日カワラニガナを確認できたのはこの狭い範囲に限られ、それも100株足らずであった。やはり大部分は洪水によって流失したか、土砂の下敷きになったと思われる。もっとも長期的に考えれば、こうした丸石河原は河原植物の生育に適した場所のはず。今後この場所がどのように変化していくのか、大変興味深い。

それにしても辺りの景観は一変した。メマツヨイグサなどが茂っていた草原は跡形もなく、広い石河原になった。大小の流木がそこら中に散乱し、ゴミの絡まったキササゲの群落が倒伏して枯れ、幽霊を思わせる。(おもしろい形の)流木を拾いに来たという人に話を聞く。「ここがこんなに変わったのを見たのは初めてだ。一昨年の洪水でも多少変わったけど、今回はその倍以上だよ。やっぱり強い雨が長い時間、降り続いたからだろうね。」