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『祈りの手』
未だ試合後の興奮冷めやらぬルカスタジアム。
その出口近くで心細げにうろうろする小さな女の子を見つけたのは、ユウナだった。
聞けば、観客席から出てくる際に、母親とはぐれたのだという。事情を説明しているうちに、少女はしくしくと泣き出した。
何せこの人ごみだ。親が熱中した挙句にうっかり子供に目が行き届かなくなることは、よくあることだった。
迷子センターに連れて行ったはいいものの、少女はユウナの袖をしっかり握ってなかなか離そうとしなかった。
「じゃ、お母さんが迎えに来てくれるまでね」
ユウナは苦笑してアーロンに『いいですよね?』と目配せした。
「好きにしろ」
アーロンは素っ気無く、そう応えた。
ティーダたちは、シンとの最終決戦を前に、もう一度ビサイド島からそのままたどり返している旅の途中にあった。
今までとは少し、ニュアンスの異なる旅だ。世界のからくりを知り、ユウナは死なずにすんだ。
だがそれがわかったところで、最終的な目的はジェクトを殺すことだ。
変わったことといえば、犠牲者がユウナからティーダになったことだけだった。もちろん、把握しているのは彼と、アーロンだけだったが。
珍しく観客としてブリッツに参加していたティーダは、ルカに来てよかったと心底思った。
手をこまねいていればどこまでも沈んでゆきそうな気持ちを、つかの間とはいえ、軽くし、浮き立たせてくれる。
そんな思いを噛みしめながら、迷子になつかれるユウナを、微笑ましく眺めていた。
「そうだ、いいものあげようか」
彼女がそう言って宿のメモ用紙を取りだし、それを丁寧に折りたたみ始めるまでは。
── 全部で千羽折ると、願いがかなうのよ。
何をしているのか、と尋ねたティーダに母はそう説明した。白い指先からは、幾つもの折鶴が湧き出すように生まれていた。
紙で出来たそれは、幼い目にもどうにも頼りなく映った。
「…お父さんが帰ってきますようにって?」
「そうよ」
「無理だよ、こんなにちっちゃいんだもん」
母は微笑した。
「だから千羽必要なのよ」
「全部出来上がっても、帰ってこなかったら?」
「帰ってくるわ」
彼女は彼に目を合わせずに、そう言った。ティーダは、母の意識が、既に自分に向いていないことを察して、口をつぐんだ。
その場にいられなくて、ぷいと外へ出た。
あんな母を千羽折るまで見続けねばならないのだ。やめてくれと懇願したところで無駄なことだろう。
青黒くうねる海の向こうに問う。どうして帰ってこない。
これだけ母を悲しませて、その母を見る自分を苦しませて、どうして戻ってこない。
……─── 帰ってこなくていい、なんて口にしなければ良かった。
五百羽ほど折ったところで、母は床につくことが多くなった。
それでも彼女は折ることをやめなかった。
鶴が母から元気を奪っているような気がした。糸を通され、隙間なく連なり、房になったそれはもはや頼りない紙細工ではなく、ある種の威圧感さえ漂わせていた。
あの鶴一つ一つに、祈りが封じ込められているのではないだろうか。開いたら立ちのぼってきそうなほど濃密な願いが。
千羽折り終わって、全てに祈りを移したら、母はどうなってしまうのだろう。
ぞっとして頭をふった。
ティーダが手伝い始めたのは、このころからだ。少しでも母の手から折り紙を離しておきたかったのだ。
折鶴の作り方くらい、幼稚園ではとっくに習っている。
多少母の作ったものに比べていびつではあったが。
代わりに自分が、祈りをこめる。母が、早く良くなりますようにと。
アーロンが突然現れたのは、そんなときだ。
「その風習なら知っている」
ぽつんと、だが、作り方まではわからないと言った。
「習わなかったの?」
「ああ」
少し驚いたが、そういうこともあるだろう。折り紙に興味が無かったのかもしれないし。
「教えてあげようか」
「そうだな」
教わる気があるのかないのか、判然としない返事ではあったが、ともかくティーダは折り紙の袋の中から一枚抜き出して、彼に渡した。
受け取るその手は、母の痩せて折れてしまいそうな指先とは対照的で、どこかで鍛えたのだろうと容易に想像がついた。
かといってジェクトの手とも違う、無骨で大きな、乾いた手だった。
「じゃあ、こうやってね」
始めは三角に、もう一度三角に重ねて折る。多少おぼつかない手で、彼も真似をする。
「ああ、そうじゃないよ、そこでこっちに折る」
「こうか?」
「そうそう」
教えていて、自然とティーダの口に笑みがのぼった。
母からは、お父さんのために折ってちょうだい、と請われていたけれども、別の願いも一緒にこめていたことは気づかれたくなかった。
だから彼女の隣では、常に気を張り詰めていなければならなかった。
アーロンの側ではそんな必要はない。この作業をしていて、初めて、ティーダは心が躍った。
しばらくたって、アーロンの広い手のひらに乗せられたのは、ぴんと翼を伸ばし、すらりと首を振りたてた、高貴な鶴だった。
やっぱり大人なんだ、とティーダはしみじみ思った。端と端、角と角が見事にぴたりと合わさって、だらしのないところが一つもない。
自分が初めて折った時には、ずれてしまって、裏の白いところが見えてしまったものだ。
「じゃあ、今度は一人で折ってみてよ」
こんな注文をつけてしまったのは、自分より綺麗に仕上げられて、幾分しゃくな気持ちもあったのかもしれない。
「厳しいな」
彼は苦笑してもう一枚紙をうけとる。が、さすがに一度だけでは把握できなかったらしく、途中ではた、と考え込んでしまった。
ティーダはにやにやする。
「降参?」
「いや、…待て、もう少しで思い出せるはずだ」
アーロンの手の下の紙は、ひし形のままで止まっている。そこからは脚と、首になる部分を作るために、もう一度細く谷折りし、翼の間にはさみこむように折りあげねばならないのだが。
よほど自分が横から手助けしてやりたい気分になりながら、それをぐっとこらえる。
さあ、できるか、できないか。
彼の手が動いた。止まっているより、実際やってみたほうがわかりやすい、ということなのだろう。
翼の方を折ってしまってしまったり、余計なところを開いたりしながら、ようやく合点がいくところがあったらしい。
今度はさんざんひねりまわされて、くたびれた鶴が出来上がった。
結果的に完成はしたが、その過程の試行錯誤ぶりを考えると、ほんの少しだけ優越感に浸れた。
「はい、よく出来ました」
幼稚園の先生が言うように、ティーダはアーロンを褒めた。
「意外に難しいな」
アーロンは気が抜けたように、ほっとため息をついた。
見本の鶴と、アーロンの二羽の鶴を両手に乗せ、立ち上がると、彼はふとティーダを見上げた。
「俺のは入れないでおいてくれ」
「何で?」
綺麗に出来たのに勿体無い、と言うと、アーロンは軽く首をふった。
「あの鶴は、お前達親子のものだ」
「え?」
意味をはかりかねて、ティーダは聞き返した。
「ずっと二人で作ってきたんだろう?」
「……うん」
「邪魔したくないんだ」
「別にいいのに…」
アーロンはそれ以上首をふって応えようとしなかった。
そこに何か別の理由があることは、そのときのティーダにはわからなかった。
薄い身体いっぱいに祈りをたたえた九九八羽の鶴は、窓辺につながれたまま、ついに一度も飛ぶことはなかった。
母の柩に、それらを入れることを提案したのはアーロンだった。ティーダはすぐにそれを承諾した。
結局鶴は、母の祈りも、自分の祈りも、届けてくれなかった。その代わりに母の命を削り、むしりとっていった。
たった千羽では、二人分の願いの重さに翼が耐えられないとでもいうのだろうか?
それとも願いの強さが足りなかったのか?自分が、密かに母と祈りを異にしていたのが悪かったのか?
空っぽになったベッドの脇に立ったとき、ティーダは枕もとに折りかけの一枚があるのに気がついた。
それを取り上げて、ぐちゃぐちゃに握りつぶした。それだけでは足りなくて、ばらばらに引きちぎった。
シーツの上と、足元に、赤と白の欠片がひらひらと舞い散った。
もし目の前に、あの九九八羽が吊り下げられていたら…自分は恐らく、それも滅茶苦茶に壊し、燃やし尽くしたことだろう。
それが出来ないことにわずかな後悔を感じながら部屋をあとにした。
ドアの外にはアーロンがたたずんでいた。
「もういいのか?」
何に対してかを、彼は詳細に尋ねなかった。
「うん」
ティーダはドアを背中で押して閉じた。同時に目を閉じる。
初めてそこで熱い涙が溢れた。
「ありがとう」
少女はユウナの作った鶴を大事そうに両手で受け取った。
さしづめその真っ白い鶴には、お母さんに会えますように、という祈りが込められているのだろう。
ティーダはちりちりする胸を抑えながら、ユウナに気づかれないようそっと背を向けて、ポートの先端まで歩いた。
そこに光るのは明るく透き通る水面で、母の瞳を得られないことに苛立ちながら眺めた、あの深い紺碧の海ではなかった。
案の定彼を追ってきてくれたらしいアーロンが、彼に数歩歩み寄って隣に並んだ。
「あの時さ、あんただけが親父がどうなったか知ってたんだよな」
海に向かって投げ入れるように、ティーダは言った。
「あの時?」
「千羽鶴。自分の鶴は付け足さないでくれって言ったじゃん?」
「……ああ、覚えている」
声のトーンが若干低くなるのがわかった。アーロンにとっても、印象深い思い出だったのだろう。ティーダは続けた。
「何となくわかるよ、今なら」
どこまで行っても部外者でしかないアーロン。ティーダたちを邪魔したくないという言葉も、あながち全く嘘ではないのだろう。
だが、今ならわかる。
ジェクトをむざむざと見殺しにしてしまった。
その自分が作ったものが、夫を、父親を呼び戻すために折られた鶴にどうして平然と混じることができよう?
…そんな風に考えていたに違いない。
だから、いくら幼子に請われても、その一線だけは妥協できなかったのだ。
かいつまんでアーロンにそれを伝えると、彼は小さなため息をもらした。一応肯定の合図だとわかった。
「俺には祈る資格すらない。それに…」
そこでいったんややうつむいてから、顔をあげた。
「祈りがどんなに無駄なことか、身にしみて知っている」
その場に誰かがいたら、エボンの恵みを信じないのか、とでもどやされそうな台詞だった。
「…そんくらい俺だってわかってるさ」
ぶっきらぼうにティーダは応じた。
自分は、母親のために父親を呼び戻したかった。途中からは母だけにその対象を移した。
枕を背にあて、手を動かし続けるその姿は、ブラインドの隙間から届く光の中に、そのままふうっと溶けてしまいそうだった。
彼女を大急ぎで地上につなぎとめるには、これしかなかったのだ。
母がたった一つのよりどころとした千羽鶴に、いつしか、自分こそがすがっていた。
だからこそ彼女が死んだとき、悲しみより先に来たのは、やり場の無い怒りと、激しい後悔だった。
何にもならなかったじゃないか、何も。
こんなことよりも、もっとしてやれることはなかったのか。別の方法はなかったのか、と。
もう、祈ったりなんてするものか。そうしたところで、何も生み出しはしないのだから。
それからずっと、激しく全身で拒んで、遠ざけていた。
ところが、自分が迷い込んだスピラとは、あろうことか、祈りを根底に宿している世界だったのだ。
あたりに充満する、祈りの気配。人からも、建物からも、街からも、漂ってくる……正直吐き気をもよおしそうだった。
それは、鶴を折り続ける母のものとは違い、生活にしっかりと染みついているがゆえの、穏やかで清廉な祈りであった。
けれどそれがシンという死に裏打ちされている限り、ティーダにとっては同じモノだ。
彼には、スピラの空気に包まれていることさえ、しばらくは耐え難かったのだ。
「そんなもんに頼ってるから、ここは変わらないんだ」
ティーダはつぶやいて、こぶしをゆっくりと握り締めた。
祈る前に、願う前に、走ればよいのだ。それをしないスピラが、疑うことなく敬虔にこうべを垂れているだけの世界が、もどかしくてならなかった。
「そうだな」
アーロンの返事は相変わらず短かったが、それが何より大切だった。自分の言葉が虚空に吸い込まれるだけではないことが、嬉しかった。
仲間にも秘密を隠している以上、文字通り最後まで自分の同士は、この人だけだ。
傍らにいてくれて、本当に良かったと思う。自分一人では、スピラに翻弄されるだけで、到底こんな気持ちで向かい合うことなど出来なかったろう。
「なあ、あんたが作ってくれた二羽、どーしたか知ってる?」
「いや、捨てたんじゃないのか?」
「冗談」
彼は驚いたようにティーダを見つめた。
「まさか、とってあったのか?」
「まーね」
さっきのユウナと少女とのやりとりのときのように、折鶴を見るたびに、思い出すのは辛い記憶だった。
それでも捨てることができなかったのは、それらがあくまで純粋に、アーロンと、自分を繋ぐためだけに作られたものだったからだ。
「戻ろう。そろそろ見つかったかもよ、あの子のお母さん」
まだ自分を凝視している彼に、何となく照れくさくなってティーダは先に立って歩き出した。
後ろからアーロンの声が届いた。
「礼を言う」
瞬間、胸がぱっと熱くなった。反射的に泣き出しそうになりながら、ティーダは軽く振り返って、笑った。
「…こっちこそ」
─了─
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