『青い脚立』



洗濯機の中から、一抱えもある洗濯物を取り出す。
自分のものはほとんどない。幼い同居人のものが大半だ。
何せ遊び盛りの汚し盛り。
早く乾かさないことには、クローゼットの着替えが消えてしまうのだ。
それを籠にぽんと放り込み、バスルームを後にする。
リビングを横切って外へ出ようとしたとき、その足首にまとわりつくものがある。
「……こら」

見下ろすと、いつのまにやら、小さな日焼けした両手が片足にしっかりと回されている。
絨毯の上に腹ばいになって、宿題の『読書感想文』とやらのための本を読んでいたが、それに飽きたらしい。
無理に足を動かしてみたが、一向に離れる気配はない。
何が楽しいのか、こちらを見上げてにやにやしている。
「おい…、まさかこのまま歩けというんじゃなかろうな」
「うん、引っ張って!アーロン」
やはりそう来るか。
向けられる満面の笑みには抗えようはずもなく、ため息をついて、脚に力をこめる。
少々のことではびくともしないくらい鍛え上げてはあるが、両手が籠でふさがっている上、摩擦抵抗のある絨毯であることも手伝い、さすがに辛いものがある。
「あはは、すごいね、アーロン!」
引きずられながら、ティーダははしゃいで笑った。
ようやっとウッドデッキに出る。朝からの暑さともあいまって、予期せぬトレーニングに汗までかいてしまった。
「…重くなったな」
正直な感想をもらすと、ティーダはそこで胸元をはたきながら立ち上がり、得意げに言った。
「セイチョーキだもん」
「そうだな」
どこか舌足らずなその答えに吹き出した。
デッキの端から端へ張り渡された白い二本のロープが、青空をくっきりと三つに隔てている。
対比の眩しさに目を細めながら、籠から小さなTシャツを拾い上げて、広げる。
ティーダが外へ飛び出してきた。
「俺もやる!」
「ああ、頼む」
彼はとっとと壁に立てかけてあった脚立へ走った。アルミ製で、青いタラップのついたものだ。
彼にはまだ大きくて、身体全体で抱え込むようにして運んでくる。
慣れた手つきで組み上げると、ひょいとその上にあがった。
おや、と思った。脚立の高さを差し引いても、この間より少しだけ視線が上の気がする。
さっき洗濯機にティーダが放り込んだ靴下をとりだした。そろそろつま先とかかとの黒ずみが本格的に取れなくなってきたようだ。
それを彼に手渡す。ティーダはつま先立ちになり、ぱちん、と洗濯バサミで留めた。
「四月にさあ…、身体検査あったじゃん?」
まるでこちらの胸の内を見透かしたように、突然彼はそう言った。
「でもさ、あんまし背は伸びてなかったんだよね」
ふう、と一人前に深刻なため息をつく。
「俺ほんとに大きくなってる?重くなってるだけじゃない?」
アーロンは苦笑し、ぽんぽんと軽く頭を撫でた。
「大丈夫、お前はちゃんと成長してるさ」
「ほんと?」
ティーダは少し表情を和らげた。アーロンはうなずく。
「ああ。夏の間に、もっと背が伸びているだろうな」
「そーゆーもんなの?」
「俺がそうだったからな、お前よりもう少し年は上だったが…」
ティーダは自分が同級生より小柄なことをかなり気にしているようだ。
しかし、アーロンはそれでやきもきしたことはなかった。
自分も子供のころは小柄な類だったし、強いて何か特別なことをした記憶も無いのに、ここまでの図体になれたのだから。
「早くこんなものいらなくなりたい。あんたみたいにさ、ひょいひょーいって干したいんだ」
もどかしそうに、ティーダは足の下の脚立を二度ほど踏み鳴らした。
「気持ちはわかるが、ものには踏むべき段階というものがある。特にこういうことはな、焦る必要はないんだ」
落ちないように背後に手をかざしてやりながら、アーロンは諭した。
「で、…好き嫌いしないで何でも食べろってんだろ」
「そういうことだな」
おもむろにうなずくと、彼はちぇ、と舌打ちした。
「そうくると思った!わかってるよ、そんなの」
アーロンは笑い、ティーダはふくれっつらになる。
今度はシーツ。大物だ。
ティーダは一度下に降り、脚立を移動させてから、アーロンからその片方の縁を受け取る。
せーの、の掛け声とともに、二人で投げ上げるようにしてロープをまたがせる。
細い腕をいっぱいにのばし、折り込まれた端を丁寧に伸ばす。
本当は自分一人でやってしまった方が早いのだが、こういう快適な日常を維持するためのこまごましたことを、億劫がらずにやれることは大切だとアーロンは思っている。そして『出来る』という感覚を得るのも。
「綺麗に干せるようになったな」
アーロンは声をかけた。これも立派な成長だ。
皺を無くそうと未だ真剣にシーツに向かい合っていた彼は、目を丸くしてこっちを見た。
それから、まあね、と照れくさそうに鼻を掻いた。

身体を目いっぱい使ったせいか、少し疲れたらしいティーダが絨毯の上の本を拾い上げて、そのままソファに寝転んだ。
仰向けになって、開け放した窓の向こう、初夏の風にはたはたと揺れている洗濯物を眺めている。
「…ねえ」
ティーダのためにアイスココアを作ろうと、キッチンに足を向けかけて、アーロンは振り返る。
今日の空のように青く透き通る二つの瞳が、いつのまにか垂直に並んでこちらを見つめている。
「俺、ちゃんと役に立ってるよね?あんたの」
ぽつん、とティーダは尋ねた。
ああ、またこの目だ、とアーロンは口の中で声にはせずに呟いた。
幼いうちに両親という最も基本的なよりどころを無くしたこの子供には、こういうことが度々ある。
直前までどんなに明るくはしゃぎまわっていても、ふと、我に帰るとでもいうのか。
今感じている楽しさや嬉しさのすそに、逃すまいとしっかり杭を打ちつける。言葉にして、あるいは態度にして。
独りにされたくないと思うからこその行為だが、ティーダなりの防衛策でもある。
再び『何かあった』にしても、幸せの切れ端くらいは手元に残るだろう。
その思惑が少年の目を冷えさせ、アーロンをいたたまれなくさせるのだ。
側に寄り、しゃがんで視線を合わせる。
「もちろんだ。お前には助けられてばかりだな」
その言葉は気休めでも大げさでもない。
それが決して快いものばかりでなくとも、少年から与えられるものは自分を存続させてくれる。
くせのない真っ直ぐな栗色の髪をすいてやると、ティーダは安心したように、嬉しそうに笑った。
「おっきくなったらさ、…もっとあんたに色々してあげられると思うんだ…」
瞼を緩くしばたく。口調が輪郭を曖昧にぼかしてくる。
「……だからさ…」
胸に抱えた本が、滑り落ちそうになったのをとっさに支えて、テーブルに置いてやった。
「心配ない、ずっと側にいるから」
「……うん…」
そのままゆっくりとひと瞬きして微笑むと、すうっと薄い瞼が閉じられた。
穏やかな寝息をたてはじめたのを確認したあと、ティーダの部屋からタオルケットを持ち出してくる。
改めて見下ろすと、いつのまにか長くなった手足が、ソファの上で少しだけ窮屈そうに見えた。
脚立なんて早くいらなくなりたい、というさっきの言葉を鮮やかに思い出す。
アーロンを失わないために、そうなりたいと言う。今はそれが彼の願い、生きている理由なのだ。
一足ごとにこちらの手を握り返し、その存在の確認をしている。
あの脚立を使わなくなったときが、ティーダが自分をふり返らなくなる瞬間なのかもしれない。
タオルケットを着せかけてやる。焦らなくていいんだ、と伏せられた長い睫毛に再び呟いた。
アーロンは少年の滑らかな額にそっと口付けると、音をたてないよう立ち上がり、静かに窓を閉めた。

 

─了─

「虹色天球」のおかむに様から頂いた小説で御座います。
ひょんなことから頂けることになったもの。
しかもこの小説の元ネタが、うちのサイトの二月のトップ絵のちびティーダらしいのです。

なんかとっても光栄というか、嬉しかったです。
このお話も優しくて、暖かくて胸の中がほんのりとした気持ちにさせられちゃいます。
アーロンが何か優しくていいよね。ティーダも可愛くていじらしくて抱きしめたくなっちゃいます。

こんな素敵なお話が頂けるなんて、ただもうおかむに様には感謝感謝です。
有り難う、とっても嬉しいよぅ!