| 彼の事情、彼氏の事情 その日、夜に試合を控えたティーダは、シリアルのとサラダの朝食を終えて、グレープフルーツジュースを満たしたグラスを手にリビングのソファーでテレビモニターを眺めていた。 開いた窓からまだ汚されてない澄んだ風が入り込み、顔を出して数時間の太陽の光がブラウン運動をくり返すほこりをきらきらと輝かせている。 もうこれ以上は望めないほどのシュチエーション。 ほんの少しばかりの眠気がまた心地よく、ティーダはニュース番組から、バラエティ色の強くなったモーニングニュースを見るとはなしに眺めていた。 芸能人がなにをしただとか、何処かで殺人事件が起きたのだとか、本当に内容は千差万別。舌足らずなアナウンサーの声を聞きながら、ぼんやりと朝の一時を過ごすのは、とても贅沢なことのような気がする。 そんな穏やかな朝の一時を満喫して、半分以上のジュースを飲んだ頃だった。 2階で微かな物音とドアを開け、そして閉じる音が平和な家の中に響いた。 あ、珍しい…。 そう思ったのは、この家の主であるジェクトが、おはようを言える時間に起きてくるのが皆無に近いことであったからだ。 しかも昨日は試合日だった。オフのティーダは翌日が試合だと言うこともあって、そうそうに寝入ってしまったので、いつ帰ってきたのかは知らないが、おそらくは午前様。たいがい、試合のあとは飲み会に突入するのがほとんどだったのだから、ジェクトが試合の翌日に、朝ティーダが顔を見るのは初めてだったような気がする。 好奇心で、階段に視線を向ければ、最初に裸足の足がそしてそのまま腰、胸と続いて全身が現れた。 「珍しいじゃん…おはよう」 白いTシャツの中に腕を突っ込み、ぼりぼりと胸を掻きむしっているその顔はまだ完全には目覚めていないようだ。腫れた瞼を無理矢理開いたような顔で、声をかけたティーダへと視線を向けると、ジェクトは「おう」と低く返事を返してきた。 今度はぼさぼさの頭を掻きながら、なにを言うでもなくジェクトは廊下の向こうへと消え、ティーダもまたモニターに視線を戻した。 目はテレビ画面を見ているのだが、口許がどうしても笑ってしまう。 なによりも、タイミングいいことに、昨日のジェクトの試合が画面に映し出されていたのだ。 なにが天才プレイヤーだよ…ただのオヤジじゃん…。 家の中でのだらしない姿は、もう嫌と言うほど見てきてしまった。 一緒に暮らすようになって1年―――。 少しずつ二人の間の緊張が消えて、ブリッツだけだった共通の話題もわずかに広がりをみせ始めた。 それとともに変わってしまった二人の関係。 そう言えば、家で顔合わせんの久しぶりかも…。 このところ、ブリッツシーズンも佳境に入って互いに忙しい。試合はほとんどが3日に一度くらいなのだが、移動やらなんやらでけっきょく週に一二回ほどしかきちんとした休みは取れないし、チームが違うためにそうなると休みを合わせることなど不可能に近い。 というわけで、よくよく考えてみると、久しぶりに声を聞いたような気がしないではない。 そのことに動揺しなくなったのはいつの頃からなのだろうか。 まあ、言葉を交わすのは久しぶりだが、時折酔ったジェクトがティーダのベッドの中に潜り込んできて、彼を抱き枕よろしく抱きしめていることはあったから、顔を見るのが久しぶりということは決してないのだが。 「おい、コーヒー」 しばらくして、シャワーを浴びてきたらしいジェクトが、腰にタオルを巻いたまま再び姿を現す。まだ、完全には目が覚めていないのか、昨夜の酔いが残っているのか、少々頼りない足取りであるのがさらにティーダの笑みを誘う。 「俺のが、サーバーに残ってるよ」 ダイニングを指差しながらも、あえて画面から視線を外さない。 「なんだよ、新しいの入れろよ」 文句を言いながらも、ぺたぺたと足音がする。結局は煮詰まったコーヒーを飲むのだ、ジェクトは。 ティーダは、ジェクトに聞こえないように低く笑う。 こんなところも、先ほどジェクトを崇拝するようなことを言っていたアナウンサーは知らないんだろう。 17のガキに、振り回されるようなスターだってさ…。 すでに画面は最近の映画情報に移っている。先週末に封切られた映画やら、これから封切られる映画やら、そこそこにはティーダも興味を抱けるような内容だった。 身を入れるほどではないが、そこそこに興味を持ちながら画面を眺めていたのは、そこで紹介されていた映画を、ちょうど観に行ったばかりだったからだ。 前評判も高く、実際自分でおもしろいと感じたものだったから、自称映画評論家が知った顔で文句のようなものを言うのに苦笑を浮かべながら、まだ記憶に新しいシーンが映像で流れるのを、眺めた。 「なに見てんだ…?」 コーヒーの香りとともに、背後から声がかかる。 どうやら諦めて 煮詰まったコーヒーを入れてきたようだ。ブラックのコーヒーをすする音に、ティーダは身をひねって顔を見上げた。 「俺のは?」 「オメエなんぞにやるか、父親を邪険に扱うやつになんぞ、飲ませるコーヒーなんざねえぞ」 本気で言っているわけではないだろう、軽口に、ティーダは苦笑する。 「ああ、これ有名な映画だよなあ…なんだかうちのディフェンダーが観に行ったとかでさわいでたぜ」 座っているソファーが奇妙に揺れる。背もたれにジェクトが肘をつき身を乗り出してティーダに覆い被さるようにしてテレビを観始めたからだ。 額の前でゆらゆらと揺れるマグカップに身の危険を感じ、それを受け取る。ローテーブルにそれを置いて再び背もたれに背中を預けようとしたもののジェクトがずっしりとティーダの頭に胸を乗せてくる。 「重いよっ」 「あん?いいじゃねえか…それより行くか?映画」 「え?」 手が伸びてきて、額にかかった髪を掻き上げられる。自然と喉が仰け反って少しばかり身を起こしたジェクトと見つめ合うことになってしまった。 覗き込まれて、少しばかり困惑する。 「あー、映画ってさっきの?」 「ああ、オメエ一生懸命見てたしよ、観たいんじゃねえのか?」 顔がするすると、近づいてくるのはいいのだが、ジェクトの言葉の内容にちょっと困る。 そう言えば言ってなかったっけ…。というのはたいがいにして事態に直面しないと、思い出さないものだ。 「いいけど…俺は別に…」 別に黙っていればわからないか、と思いながら少々まずそうなことには口を閉ざす。だが、こういうときばかりはジェクトは鋭い。 「なんだよ…嫌なのか」 少しばかり気分を害した声に、ままよとばかりに口を開いた。 自分が器用にうそをつけるタイプでないことは重々承知している上に、どこでばれるかわからないのが問題だった。 なんたってやけに身近なところから話が漏れてしまいそうなのだ。 「そうじゃなくて、先週行って来たんだ…アーロンと一緒に。あ、でもオヤジと行くの初めてだし、俺は二度目でも別に…」 すっと手が離れた…。 まずいと思ったのはジェクトが身を起こし、背中を向けてしまったからだ。 「オヤジ…?」 声をかけても振り返らない。 だってしょうがないじゃん、誘われたし、あんた遠征で留守だったし…。 という言い訳は、いまさら言っても遅いような気がする。 「おめえよう、なんでもアーロンアーロンって…」 吐き捨てるように言われてしまえば、さすがにむっとくるものはある。 この一年の間に、一度として映画とかそんなものに、ジェクトがティーダを誘ってくれたことなどなかったのだ。だのに急に言われても困る。 ついでに言えば、もう父親と喜んで外に出たいような年頃でもないのだ。どんなにジェクトと、いわゆる肉体関係というものがあって世間一般で言う親子とは激しいまでに隔たりがあったとしてもだ。 結局、そのままジェクトは荒々しい足取りで、階段を昇り自室のドアを壊れんばかりに閉めてしまった。 腰に巻いたままだったバスタオルがよくも落ちなかったものだと、妙なことに感心しながらも、ティーダは溜息を一つ吐き出す。 「しょうがないじゃん…タイミング悪すぎ…」 もう、そうとしか言えないのだが、少々後ろめたい気分を味わってしまったのはやはりこのところ、それらしいことがご無沙汰であるとわかっているからだ。 「参っちゃうよな…もう」 義理の父親(ちょっと違うが)と実の父親の間で板挟みになった青少年の悩みは結構尽きなかったりするのだ。 「で、一週間…話しもしないんだよね…ガキって言うか、大人げないというか…」 息苦しい自宅から数ブロック離れたアーロンの家に逃げ出したティーダは、普段はあまり愚痴ることもないジェクトのことをぼやく。 実際10年時間を過ごしたアーロンの方が、どんなに実の父親であろうがジェクトよりも精神的には近い。 と言うか、暮らし始めてすぐにジェクトと寝るようになってしまったから、どちらかというと、アーロンの方が父親という感覚に近いのだ。 実際、かつては友人だのなんだのと言っていたアーロンがジェクトに対して辛辣になったのは、自分の息子に手を出された心境なんじゃないかと、密かにティーダは思っている。それはどうやら当たらずも遠からずらしい。 「まあ、あいつのことだ、放っておけばそのうちすっかり忘れるんじゃないのか」 顔を見たとたんに空腹を訴えたティーダにサンドウィッチを作ってやりながらアーロンは苦笑する。 「そう思って俺も放っておいたのにさ、結局一週間もだよ…腹が立つのなんのって。だってあれだって、なんだかタイミングでそうなっただけじゃん」 別段たがいに悪意があって、出掛けたわけではなかった。まだジェクトと約束しながら同じものをアーロンと観にでかけたというのならば、ティーダだって責められて当然だと思うし、素直に謝ったことだろう。 ただ、ちょうど二人と休みだった日に、その場で何となくあの映画を観てみたいといったティーダのふと口にした言葉を、アーロンがかなえてくれただけの話だった。 「ったく子供だよなあ…」 ぼやくティーダに、とうとうアーロンは低く笑い出した。 「お前に言われたんじゃ、ジェクトも相当だな」 「なんだよそれ」 言ったとたんに手早く作ったハムサンドとチーズを挟んだベーグルを、皿に並べてティーダは手渡された。更にアーロンは今度はミルクティを作るために、ポットに茶葉を入れ始めた。なんだかはぐらかされているような気分になりながらも、モーニングテーブルに皿を置く。 紅茶の香りがダイニングに満ち始めた頃には、すでにサンドウィッチの半分は、ティーダの腹の中に収まっている。 「ったく…子供扱いしてさ…」 湯気のでるミルクティーをすすりながら、余裕しか感じさせないアーロンに向けて、顔をしかめてみせる。 「俺にとってはそうだろう。手が掛かること、この上ないと思うが?」 アーロン自身はインスタントのコーヒーを入れているのだから、確かになんの反論もできない。 「まあ、な…ジェクトの気持ちもわからんじゃないが…」 突然そう言われて、ティーダはティーカップを口許に当てたまま、アーロンへと視線を向けた。 「なんで?」 つい尋ねてしまったのは、ティーダにとってはジェクトとアーロンの位置が全く違うものだったからだ。 「まあ、どうしても、俺との方が気安いだろう。それが悔しいんだろうな。お前は何かあるとここに逃げ込んでくるだろうが」 「なにそれ、ここ来るなってこと?」 逃げ込んでくると言われて、勘に障ったことは否定できない。それが事実だったからだ。 「そうじゃないんだが、まあ俺にとられると思ってるんじゃないか?」 言われて困り果てる。 「だって、一緒に暮らしてんのに?」 そういうもんじゃないだろうと、たしなめるように言われたものの、今ひとつすんなりとは理解できないティーダに、アーロンは大仰に溜息を吐いてみせる。 その態度に、もやもやとしたものを抱いたけれども、ティーダにはやはりそのあたりの機微は、どうしても理解できないものだった。 その日、家に戻ったときに、ジェクトの姿は見あたらなかった。 いないわけがないと思っていただけに、少しばかり肩を落とす。さすがに拗ねたジェクトと口を利かなくなって10日。 いい加減、このままではまずいだろうと思い始めていたときだっただけに、何だか気が抜けてしまった。 「全くなあ…」 持っていた荷物をソファーに放り投げ、ついでに自分も身を投げ出した。 何だか、こんな生活は嫌だった。 確かに、なんだかんだと喧嘩が絶えない二人だったが、今回のジェクトのやりようはどうにも陰湿だった。喧嘩しても、数日も持ち越すこともできずに、いつの間にかうやむやになるのが常だったというのに…。 まあ、いつもティーダが一人で怒って機嫌を損ね、ジェクトが強引に機嫌を直させるのがパターンだったから、今回とは少しばかり事情は違うのだが。 自分で、アーロンに俺のこと頼んだんだろうが―――というのがティーダの言い分である。そのアーロンと、身内のように付き合うののどこが悪いと言うのだろうか。 身よりのない子供が、周囲の大人に依存し、頼りにするのが悪いのだと言われてしまえば、もうそれは生きてゆくなと言われたも同じだ。 仕方がないだろう、と言ってしまうのがティーダの立場であり、それでも納得できないのがジェクトの立場なのだろう。 アーロンに諭されても、そのあたりのことはぴんとこない。 「はあ…」 溜息しかでてこない。 かといって、この疲れる生活をこのまま続けるのはもっと嫌だというのは、持って当然の思いだった。 その時だった、背後の扉が予告もなく開いた。一瞬飛び上がったティーダは慌てて振り向く。 地下のトレーニングルームで筋トレをしていたらしいジェクトも、驚いたのは同じだったようだ。ドアノブに手をかけたまま、動きを止めている。 「あ…ただいま…」 ほかに言いようもなく呟くように声をかけても、返ってきたのは沈黙。 ジェクトは首にかけたタオルの両端を手で握りしめながら、そのままバスルームへと姿を消した。 うんざりとしながら、背もたれに脱力した身体を預ける。 全くいつまでいじけていれば気がすむのだろう。ここまでくればいっそみごとだ。 「あー…何だか腹が立ってきた」 ティーダだとてなにも好きこのんでジェクトの機嫌を損ねた訳ではない。ジェクトがアーロンに対して含むことがあったにしろ、ティーダには何ら疚しいところはなかったし、それこそ父親とちょっと遊びに行ったような感覚なのだ。 それをここまで引きずるか―――。 自分では深く自覚したことはなかったが、やはりこの10日間の鬱憤はかなり積み上がっていたらしい。なんら悪いことなどしていないのに、無視されるというのは、やはりティーダにだって辛いものはあったのだ。 だいたいSEXをしてもいいとか、抱き合いたいと思うほどには愛情を向けている相手なのだ。そりゃ、ティーダだとてへこみもする。 事実、一度怒りを自覚したとたん、我慢ができないほどに、それは膨れ上がってしまった。 キレれば、行動は早い。父親の血を自覚する一瞬だ。 「オヤジ!」 身を起こし、そのままジェクトが姿を消した扉を開けて、バスルームに突入した。各部屋についているシャワールームとは違い、このバスルームはジャグジーのついた広いモノだ。ドアを開けたとたんに、熱気と湿気が全身を包む。だがそんなもの構っているような気分ではない。 「もう、いい加減にしろよ!」 「なんだあ…」 風呂とは別個にしつらえられたシャワーの前に、ジェクトは立っていた。どうやら頭を洗っていたらしく、髪を真っ白にさせて、驚きも露わに声を上げる。 「ったくガキみたいにうじうじと、いい加減にしろよ!俺がなにしたっていうんだよ」 室内にわんわんとティーダの怒鳴り声が響いた。 泡だらけの頭に両手を突っ込んだまま固まっているジェクト睨みつけると、そのままティーダは壁に掛かったシャワーヘッドをとった。 そしてそれをジェクトの顔めがけてかける。 「うわっ、やめ…あー、目が目がっ!」 ジェクトの叫びが上がったが、そこで許すほどに、ティーダも温厚な性格ではない。 「ぐじぐじといつまでも!そんなに俺が気に入らないんだったら、もう出てゆくからな!」 言ってしまってから、今の今までそんなことを露ほども考えたことの無かった自分に少しばかり愕然としながら、ティーダは泡だらけになったジェクトにシャワーをかけ続けた。 ぬっと、腕が伸びてきて、シャワーを浴びせ続けるティーダの手を捕らえたものの、怒りに満ちたティーダは、その腕を強く引いた。 腕を取り返すつもりだったのだ。後先のことを考えずに―――。 腕を引いたら、掴んでいたジェクトの腕も付いてきた。当然腕の先にある身体もだ。 『うわっ』 ほとんど同時に声をあげて、そのまま二人もろとも床に転がる。 互いの自室にあるシャワールームでなくてよかったとは、あとになって思ったことだ。このバスルームはそこそこには広い。 おかげで男二人がもんどうり打って倒れても、頭を打つこともなかった。 いや、形から言って、ティーダはしたたかに尻を打ちはしたのだが。 「ってえ…」 まだ、腕や足を痛めたわけではないだけましだろう。にしても自分よりもかなりガタイのでかいジェクトがすっ転ぶのを受けとめることになったのだから、呼吸をすることすら辛い。 思わず身体を横倒しにして、エビのように身を丸めていた。 「おいっ…」 声をかけられても、返事のしようがない。片手で鳩尾を押さえて、もう片方の手で尻を押さえる自分がなんとなく情けなくなったのは、言いたいことすらも言えないままに、ダメージを受けている自分自身に対してだ。 しかも、倒れたときに落としたシャワーヘッドからは盛大に湯が吹き上がり、ティーダの顔に直接かかっている。 痛みのために滲んだ涙を洗い流してもらったのはよかったのだが、なんだか泣きっ面にハチと言う気分がしないでもない。 「大丈夫か?」 「―――だめ…」 うめくように言えば、顔にかかるシャワーの湯が少々弱まる。うっすらと目を開けてみれば、泡だらけの顔がドアップで自分を覗き込んでいた。 「プっ…くくくっ」 泡が中途半端に付いた髪は妙な形に固まっているし、そこからまだらに流れた泡で、ジェクトの顔は奇妙な化粧をしているようだった。しかもティーダの浴びていたシャワーの湯のおかげで、さらに泡は盛大に流れ始めている。 それをいきなり見せられ、思わず吹き出した。腹と腰の痛みに顔をしかめながらも、どうにも目の前から顔が離れてくれないものだから、笑いつづけるしかない。 「変な顔…」 言った瞬間に、憤慨したようなジェクトの顔。なにかを言おうと口を開いたものの、ティーダが頭を指さしたほうが早かった。 「流した方がいいぜ、俺にもかかるんだけど」 そこでようやくジェクトは自分の顔を触った。目が痛いなどと叫んでいたのも、本人はすっかり忘れているのだろう。 「ったく驚かせやがって」 言いながら、転がっているシャワーヘッドを拾い上げようやくジェクトは頭を洗い流した。しかも、ティーダの身体に馬乗りになったままだ。ティーダ自身もTシャツにジーンズという軽装とはいえ、身につけていた服はすでに身動きするのも面倒なほどに重く水を吸っていた。 「ちょっと!」 抗議の声は無視される。というよりも膝立ちでがしがしと頭を洗い流し続けるジェクトの耳に、この声が入っているのか、少々疑問だ。 仕方がなく、痛む身体を引きずり上げようとしたものの、それはジェクトが太股で腰を締めて阻止された。わかってやっているのだと、知って、頭に血が昇る。 「どけ!このクソ親父!」 「ふざけんなよ、こら。なにが出て行くって?」 最後に顔に思いっきりシャワーをかけ、それを片手で器用に水滴を拭ったジェクトはそのままシャワーを放り投げ、再びティーダに覆い被さるように両手をタイルの床についてきた。 「はぁ?」 勢いのままに言った言葉のことらしいと、気がつくのに瞬き数回の間が必要だった。 思わず身を捻って、尻が痛むのを我慢してジェクトを仰ぎ見る。 「アーロンとこにでも行くってか?ふざけんな」 ようやく頭にしっくりとジェクトの言葉が入ってくる。 「だから、なんでそこにアーロンが出て来るんだ!」 端から出て行く気もなかった、本当に勢いそのままの言葉だ。それをこんなふうに邪推されるなど考えてもみなかった。 「映画だって行ったんだろう、仲良く…」 嘲るように言われて、頭を抱えた。 「しょうがないじゃん…そりゃ黙ってたの悪いけどさ、なんでも報告するもんでもないじゃんか」 だいたいにして、タイミングが合わなくて、ろくに顔も見てなかったのだ。本当に。 「俺とは行けねえのにか?」 「だから、別に嫌だとも言ってないじゃないか」 なんなんだ、この聞き分けの悪さは…とげんなりとする。子供を相手にしているのでは少なくともないはずだ。もういい年をした、見た目35の中身は45のおっさん相手なのである。勘弁してくれ…と呟いたところでどうにもならないだろう。 もう少し見た目だけでも可愛げがあったら、まだ許せるのに…。 どうみたって可愛くは見えない顔に、さらに脱力感が襲う。なんでこうなっちゃうかなー、と少しばかり後悔めいたものが脳裏を過った。 「嫌じゃねえけど、好きこのんでも行きたかねえんだろ」 うわ―――拗ねきってるよ…勘弁しろよ。 ティーダは半ば途方にくれる。どうしてここまで引きずるのか、もう理解の範疇を超えていた。 どうすりゃ、機嫌が直るんだろうと、間近に迫っているのに、怒気ばっかりがあらわになった顔になんだか物悲しい気分にさえなってくる。 結構精神的につらいものがあった10日間で、かなりのところティーダだって堪えているのだ。 「あーもうっ!」 そう言い放つと、ティーダは上から覗き込んでいる形のジェクトの後頭部に腕を回すと、強引に引き寄せた。 そして噛み付くように、唇を合わせる。 下唇が、ジェクトの歯にかかりわずかに痛みを感じたものの、わずかに背を浮かせたこの態勢はもっと別の場所がつらかったりもする。それでもこれ以上の方法をティーダは思いつけなかった。 経験不足だと、言うなら言え。 こっちは結構、ギリギリまで辛抱してたんだし。 普段、自分がされているのを結局は踏襲する。唇で愛撫まがいに何度もキスを繰り返し、さらに舌で唇を舐める。 ジェクトが誘いに乗ってきたのはしばらくたってから、だが唇以外には触れてくることもなかった。 途中でとうとう、体重をかけていた尻が悲鳴を上げて、そのまま背中からタイルに倒れこむ。 わずかに唇が離れた。 ギリギリ視線を合わせられるだけの距離が生まれる。 ここまで折れてやっても、向けられる視線はどこかきつい。 「にが…シャンプーの味だ…」 それに煽られるように、口をついて出た一言。 負けず嫌いなのはお互い様だ。 「言っとくけど…アーロンとこんなことしないんだからな。あんなただけなんだぞ…それもわからないんじゃ、一緒にいる意味ないじゃないか」 拳で、唇を拭う。ここまで言っても、通じないのならば本当に家出してやろうと思った。なにか勘違いをしているかもしれないが、ティーダもれっきとしたプロだ。ジェクトに養ってもらう必要など、もとよりないのだから。 探るように、ジェクトの眼球が動くのをなかば戦いを挑むような気分で眺める。 「おめえは…」 言いかけて閉じた、唇を、顎を動かすことだけで促した。 「―――悪かったよ…」 どれほどの時間が経ってからか、ジェクトがようやくのろのろと口を開いた。一度閉じられた瞼が、再び開いて、目尻にしわが寄る。 「アーロンのこと、言われるたんびに、信じてもらってないみたいで腹が立つんだからな…わかってんのかよ」 ここは念には念を入れないと、と思い、雫をたらしたままの髪をひと房掴んでゆるく引いた。 ジェクトへの好きと、アーロンへの好きは、まったく違うのに、同じ俎上に上げようとするジェクトにいつも苛立ちを感じていた。 「しょうがねえだろ…俺のほうが、不利なんだからな…」 「は…?」 ぶっきらぼうに言われて、戸惑う。不利なのは自分の方だ。 いつも翻弄されて、ジェクトの強引なやり方に振りまわされ続けている。 普段の言動から、どうしてこんな発言が出てくるのか、不思議で仕方がなかった。 「おめえは選ぶ方なんだ、いつでもな…わかってんのか」 謎かけのような言葉に、困惑している間に、ジェクトの顔が迫ってきた。 柔らかく唇が触れ、啄ばまれる。 舌で何度も唇を舐められたあとに、それは口腔内に進入してきた。 「―――ん…」 床に手を付いていたジェクトの腕がティーダの頭を抱くように、折り曲げまわされた。 胸から腰へと次第に身体が密着し始め、そのときになって、相手が全裸であることを、ティーダは思い出した。 どうしよう―――。 したたかに打ちつけて、痛む場所を意識すれば鈍痛がやはりよみがえってくる。 それなのに、なんとなく離れがたい気分になるから困りものだ。 身体に感じる重みが心地良い…出しっぱなしのシャワーが、室内を暖めているためなのか、居心地がすごくいいように感じるのだから、なにかの罠だったのかもしれない。 も、いいや…どうにでもなれ…。 半ばやけっぱちと、求められる嬉しさに、そう一人ごちて、ティーダは与えられる感覚に没頭した。 翌朝激しく後悔した上に、蒙古斑のような内出血に数日間苦しめられたのは、自業自得とはいえティーダを激しく落ちこませはしたのだけれども。それは後の話である。 END |
| 「GO FIRE」の山崎様からサイト開設祝いとしていただいた小説でした。 リクエスト内容は「とてもくだらない理由で拗ねているジェクトをティーダが宥める」というものでした。 もう、リクエストばっちり。 ティーダが可愛いのは当然のこととして、親父が素敵すぎ。 本当に山崎様のジェクトってば、私の好みなんです。ああ、なんて素敵なんだ、ちくしょう。 この小説を読んだ後、嬉しさのあまりパソの前で喜びの舞を踊ろうかと思っちゃいましたよ。 それくらい嬉しかったの。 本当に有り難うございました。 |