好きまでの距離感〜桂一郎の不満、二〜

ちょうどといっていいのか、その後直ぐに朝の練習メニューが終了した。
もちろん直ぐさま、俺は和と先輩二人の側へ近寄っていったんだ。

剣道場の入り口付近で、じゃれ合っている二人の姿が目に入る。
和を抱きしめている先輩と、頬を赤らめながら藻掻いているあいつがいた。
先輩を殴りつけたい衝動に駆られたが、そこは自制心を駆使して何とか堪えた。

出来るだけ感情的にならないようにして二人へ声を掛けていく。
「和、先輩と何してんだ」…と。

「け、桂?」
「おや、やっとお出ましか。幼なじみの野間君」
振り返った和の顔は真っ赤だったし、一方の遠藤主将はやけにご機嫌なように見えた。俺が二人に声を掛けても、先輩は一向に和から手を離さない。
力ずくで引き剥がしたい気持ちを何とか抑えて、和を解放してくれるように先輩にお願いしたのだが、あの人は逆に俺の感情を逆撫でするようなことを言い出したんだ。

「中西ってば抱き心地いいんだよねぇ」と。

それが多分止めの一言になったんだろう。

後はもう有無を言わさずに二人を引き剥がし、わめく先輩を無視して俺は和へと向き直ったんだ。
「和、もうそろそろ教室に戻らないと授業が始まる」
いつまでもここにいると、先輩がまた和にちょっかいを出さないとも限らない。だから和には早いところ教室へ戻ってもらうにこしたことはないと考えたんだ。
俺の機嫌が最低なのを和も薄々感じたんだろう。
あいつも温和しく俺の言葉に頷いていたんだ。
和のその姿を認め、俺はさらに付け加えることにした。
「和。話があるから、今晩俺の部屋に来てくれるか?」と。

和を俺の部屋に呼んで、特別に何かを話したいと思った訳ではなかった。
ただ、先輩と何を話し込んでいたのか気になって、それを確かめたかっただけだったんだ。
だからそれを話し合いたくて和を部屋へと誘ったのだったが、和の返事はどうにも煮え切らないものだった。
見たいTVがあるとかぐずっていたのだが、そこは聞かない振りをして強引に押し切った。

その夜、俺は部屋で和と二人っきりで向き直っていた。

「話って何だよ。俺は別に話す事なんて何にもないんだけど…」
「先輩と、朝何を話していたんだ?」

落ち着かない素振りの和を無視して、俺は率直に自分の気になっている事を尋ねていた。
俺の問いかけに、あいつも何を聞かれるのかをそれとなく察していたんだろう。あからさまにハッとした表情を見せて、視線が宙にういたのだ。

…それだけで何かあったのか、もしくはされたんだなと分かってしまったんだ。
自分の機嫌が更に下降するのを感じてしまう。

和もここは何かを言わなくちゃいけないと悟ったんだろうか、幾分焦り気味ながらその時の状況を俺に説明し始めたんだ。

「あ、あの…話って、別にたいしたことは話してないぞ。だいたいだな、あれはあの人が俺をからかっていただけなんだってば。人のことつかまえて、可愛いだの抱き心地がいいだの言っておちょくってくるんだもん。女じゃあるまいし、可愛いって言われて嬉しいわけないし、俺だってどうリアクション取ればいいのか分からなかったんだもん。あの人ってばさ、俺のことおちょくりのネタにしてんじゃないのかなって気がするんだ」
「抱き心地が良いって?」
「あ、うん。男の俺をつかまえて、何言ってんだと思うよな」
「だったらどうして、いつまでも先輩に抱きしめられていたんだ?」
俺の指摘に、和がさっと頬を紅潮させた。…それだけで腹立たしい気分になってくる。

「別に先輩に抱きしめられたくてされてたわけじゃねぇぞ。あれはだな、あの人のホールドの仕方が絶妙と言ったらいいのか、抜けるに抜けられなかっただけなんだってば。がっちり捕まえられて、俺だって困惑してたんだから。変な誤解するんじゃない」
「変な誤解って?」
「だから…あの…」
「途中で変な声が聞こえてたけど、あれのことか?」
そう俺が指摘すると、一瞬で和の顔が赤くなった。
「あ、あれ…あれは…。先輩の悪ふざけのせいなんだってば!人のこと抱きしめたあげくに俺の…耳を舐めてきたんだ。それだけだってば。あの人のおふざけってば、洒落の域を超えてる気がするよな。ホント、俺もマジで驚いたんだから。しかも俺の声を聞いて、エロいだのって変なことを口走って、そんでさらに抱きしめてくるんだもん。何を考えていたんだか、俺だってわかんねぇんだもん。あの人、俺のこと女と間違えてんじゃないのかと疑いたくなっちゃうよな」
「先輩に耳を舐められた?」
「そう。それだけ…」

一気に状況を説明した和だったけど、先輩に耳を舐められたというくだりで俺の顔つきが険しくなったのに気づいたんだろう。瞬間、しまったというように表情が強張り、俺の方を伺うような素振りを見せてきたんだ。
「あの…桂?」
俺を覗き込む、和の瞳。
大きな目が俺を見ている。柔らかそうな頬。薄く開かれた唇。色の薄い前髪がさらりと額にかかっていて、小作りな顔にさり気ないアクセントになっている。
17の男にしては幾らか幼い表情といってもいいだろう。
これを、この顔を先輩に見せたというのか。
和の全ては俺のモノなのに。
俺以外の男が和に触れたというのか。

「和」
「なに?」
「キスしたい」
「はぁ?!」

もう駄目だ。限界だった。
俺以外の男が和に触れたと言うだけでも許せない出来事なのに、その上に耳を舐めてきただって?
そんなことをされて俺が冷静でいられるわけがないじゃないか。
例え合意の上でなくたって、和に誰かが触れたという事実だけで俺には十分な出来事だったんだ。

脅えた顔で俺を見詰める和。
でも熱が上がった俺にはもう、自分を止めることなど出来なかった。
あいつを抱きしめ、無理矢理にキスをした。

「んぅ…ん…や…ちょっと…け、桂!」
藻掻く体を抱きしめる。俺の背中を和が叩いている。
でも無視した。
この体に先輩が触れた。和の耳を先輩が舐めた。
…頭が沸騰しそうな気分だった。

抱きしめたままで直ぐ側のベッドへと和を押し倒した。
「桂!お前、何ぶちぎれてんだよ!」
「和が悪い」
「何で…!あ…ちょっと…どこ触って!!」


…結局その後、かなり暴走してしまったんだ。
我に返ったのは、和にしこたま腹を殴られた後。

「お、おま…お前なぁ、俺にもう無理強いはしないって約束したじゃないか!」
「事前に言った」
「了解はしてねぇだろうが!」
「先輩には触らせたくせに」
「好きで触らせた訳じゃねぇ!」

散々に言い合って、ついでに和に頭をはたかれてその晩はそれで終わったんだ。
殴られた頭と腹は痛かったけど、いつもは触れないところにまで和に触れることが出来て、俺は少しばかり満足していた。
多分これから暫くは和の機嫌は悪いとは思うけれど、あれで基本的に和は人がいいから、どうせ直ぐに忘れてくれるだろう。

ついでに俺が暴走したのがそうとう応えたんだろう。あれから剣道場に弁当を届けに来るたびに、必要以上に先輩を避けるようになったんだから、それはとても良い傾向だろう。

問題が全くないと言えば嘘にはなるけど。

ある朝先輩が意味ありげな眼差しで俺を見詰め、こう言ってきたのだ。

「なぁ野間よ。お前、中西に何か吹き込んだのか?あいつ、俺のこと避けるようになったんだよねぇ」
それはとても良いことじゃないのかと言い返してやりたい気分だったが、一応は先輩で主将だから、あえてそれは言わずに「そうですか」とかわしてやったんだ。

そうしたら先輩がにやりと意地の悪そうな笑みを見せて、さらに言ってきたのだ。
「ああやって露骨に避けられるとさぁ、かえって興味がわいちゃうんだけどなぁ」

思わず竹刀を握る手に力がこもってしまう。
人に暴力的な衝動を覚える気分というのは、こんな瞬間なのかと悟ってしまったほどに。

出来ることなら、先輩を締めてやりたいと…。

取りあえず和には先輩にこれ以上近寄らせないように忠告しなければと、俺は改めて心に誓ったんだ。