好きまでの距離感〜桂一郎の不満〜

俺はあまり他人に執着しない人間だと思っていた。
ついでに人の動向とか、何を考えているのかも殆ど気にとめる方でもなかった。
何しろ、人の顔とか名前を覚えるのが大の苦手で、まず分からない。

それを前に一度和のお姉さんの和音さんに言ったところ、あの人から「昔から思ってたけどさ、あんたって割と薄情よね」とばっさり言われてしまったのだ。
顔と名前を覚えないのがどうして薄情に繋がるのかが分からないけれど、あれで和音さんは鋭いところがあるから、多分俺は薄情なんだろうとその時は素直に納得したんだ。

はっきり言って俺は和さえ側にいてくれればいいと思っていたんだから。
だから他人が俺にどんな感情を持っているのかなんて気に掛けたこともなければ、あまり強く他人を思ったり嫌ったりすることさえもなかったんだ。

和音さん曰く、「だからそれが薄情だって言うのよ」ということらしいのだが…。
その時はただそうなのかと頷いただけだったけど、最近それが覆る出来事があったんだ。

今、俺は人生で初めて他人が嫌いになりそうだった。

うちの剣道部の主将の遠藤匡さんがその相手だ。

初めて会ったときから、正直な話、苦手なタイプだと感じていた。
明るい性格なのだろうとは、最初に剣道部に入部の挨拶に行った時から分かっていた。
何しろ初対面の挨拶時から、「お前本当にまだ15?年、誤魔化してんじゃねぇの?」と言われたから。
それはまだいい。
実際、年より老けているとは今までに散々に言われてきた事だから。
その上に、あの人の軽い物言いと巫山戯た態度と、さらに人をからかう癖なんかはどうしても俺が馴染めないタイプだった。

それもまだ良かった。
無視すればいいだけの話だから。
だけどここ最近は無視するだけでは済まない事態になってきているんだ。

先輩が、事もあろうに和にちょっかいをかけ始めてきたからなのだ。
今までにもあの人が和に良く話しかけているのは気づいていた。元から先輩は誰にでも愛想は良い方だし、和も俺と違って人なつっこい方だから、気分は良くないが耐えられる範囲ではあったんだ。

だが、先輩の和へのかまい方がどうにもエスカレートしてきているような気がしてならない。
特に今朝のあの人のちょっかいのかけ方は俺の我慢の限界を超えていたのだ。

和が俺への弁当を届きに来たのを見たあの人が、早速とばかりに近寄って行き始めた。
いつものように和へちょっかいをかけ始めたんだなと、分かっていたが、こっちは練習メニューのまだ途中で抜けるに抜けられない状況だったのだ。
一応はあの人は主将だ。
後輩の俺としては言いたいこともあるのだが、運動部は縦社会だ。
理不尽だと分かっていても、従わなくてはならないこともある。
今だって、主将自ら練習をさぼっているのを指摘したいのは山々だったが、言うに言えないのだ。
主将の遠藤さんはともかく、俺達の練習を見ているのは副主将の岡村さんだ。遠藤先輩は気楽な性格だが、副主将の岡村先輩は、とても真面目な人なのだ。

先輩と話し合っている和の側へ直ぐにでも行きたいのは山々なのだけど、あと少しで終わる練習メニューの途中で抜けるわけにもいかなかったのだ。
じりじりする思いで、俺は二人を横目で眺めていた。

先輩が和の肩に手を回していた。
それだけで頭に血が上ってきそうだった。
さらに先輩と和の顔の距離が異常に近いことも、俺の体温を沸騰させるのに十分な出来事だったのだ。

ただでさえにやついた顔をしている先輩のだらしない笑顔。先輩に抱き込まれて、逃げないでいる和の態度も腹立たしいくらいだった。
どうしていつまでも先輩の相手なんかをしているのか。俺の弁当を届けに来たのなら、他の誰かにでも預けて自分の教室へ行けばいいじゃないのかと、理不尽な怒りさえ覚えてくる。
なのに、俺の目には二人がじゃれ合っているようにしか見えない。
和を抱きしめながら、何か言う先輩と、幾らか頬を染めながら答える和の姿がだ。

自分でも眉間に皺が寄っていくのが分かってくる。
和が俺以外の男にあんな顔を見せるのが、許せないんだ。
じりじりする気分で練習をこなしていった。その間も二人の姿を視界に捉えたままで。

そうしたら、だ。
和が何を思ったのか、先輩へはにかんだような笑みを見せていたんだ。
何だと思った。
いったい何を話し合っていたんだと。
そこへ先輩が和を本気で抱きしめていた。
「可愛い中西!」と言う先輩の声も聞こえた。

…体温が二度ほど、上昇しそうだった。

先輩に抱きしめられて、藻掻く和の姿。
さらに、二人の体が重なりなって、和の焦ったような声が聞こえてきたんだ。
「や…ちょっと、何してんすか先輩!せ…あ、や…」

その瞬間、俺の堪忍袋は切れたんだと思う。