
A tight hug is given to my recollections.
あれ…と思った。
今日はすることもないからぼんやりとファーストフードの店の窓際に座って、温くなったジュースをすすりながら外を眺めていたんだ。
ガラスの1枚向こうは忙しそうな人々が行き交っていた。みんな大変だねって思いながらも、自分はすることないしね…だから紙コップの中身は氷まで溶けちゃったのに、未だに居座っている。
で、そこで目に飛び込んできた、色彩についつい興味がひかれた。
思わず紙くずだけのトレイと荷物を手にして立ち上がったのは、やはり俺が暇だったからなんだろうと思う。
足早に店を出て、人ごみの中、あの色を捜した。
見つかった―――。
100mほど前にそれはあった。
「やっぱりだ…」
目の前は川の流れのような雑踏だ。高いビルの隙間に流れる川には、人間が溺れそうに行き交っている。川の流れの中で、その色は頭1つ分高い場所に見えた。おそらくは背の高い男だろう。虹色のもやのようなものを身に纏っている。人魂といえばいいのか、虫といえばいいのか…もやと言ったけどそうじゃない。それは好き勝手に舞い飛びながら男の周囲に漂っている。
ある者はそれを幻光虫と言っていた。
道を行き交うほかの人々には、見られない。それは、男が他の人間と違うことを示している。
「面白いなあ…真昼間から」
ついつい口から出てしまったのは、夜ならばともかく昼間にはっきりとその虹のもやを見て取ることができたからだった。
普通は見えないよ、あんなにはっきりと。しかもこんな都会の人の多いところなんか、幻光虫の力をそぐだけだから。
人の流れに乗ったまま、男の後を追った。できれば顔を見てみたいと言うのは、悪趣味だったかもしれない。でも他にすることもなかったので、街を歩く男の後を同じように歩きつづけた。
でもね、なんか用事がないようだなって気付いたのは、2時間ほど経ってから。ただ歩いてるだけじゃないのって…。
人出の多いところを、とにかく選んでいるらしいことはわかる。
まあ、逆を言えば、彼らのようなモノ達は単独で歩いてたら、身の危険に晒されるだけだろう。
世間的には彼等は狩られる対象だったからだ。
それがわかっていたから俺もあとをただ歩く。うん暇人だよなあって、自分でつくづく思ったよ。なんだか足が痛くなってきたのに、それでも付き合ってるんだから、酔狂過ぎると思う。
まあ、それも夕暮れが迫ってきて、そろそろ終わりにしようかなと思い始めたときだった。
ふと、立ち止まって男が振り向いたんだ。
あ…ばれてたって思った。真っ直ぐ視線が合ったから。
俺達の周囲に、たくさん人はいた。右にも左にも前にだって後ろにだって、みんな同じように歩いてる。それぞれ別々の目的地があるんだろうけれども、流れは時折途切れながらも、ずっと続いている。
だのに、真っ直ぐに、そいつは俺を見たんだ。
ああ、思ったより年は上だ…。
そう思った。真っ直ぐな背中ばかりを見ていたから、結構若いかと思ってたんだけど。
ただね、驚いたのが顔だった。
なんだか妙に穏やかそうな表情を浮かべていたから。口元に笑みまで浮かべちゃってるんだよ。
ずっとあとつけてるの知ってたんなら、普通こんな顔しないよな…。
いやそれよりも、虹色に輝く幻光虫を身に纏わりつかせているのに、あんな表情する奴がいるんだって、ちょっと驚いた。
幻光虫は普通の人間には憑かない。
もし、それを纏わりつかせている人間がいるとすればそれは死人でしかない。俺は、親父からそう教わった。
だから、目の前の男もきっと今俺達の周りにいる人々とは違うはずだ。だのに、なんだか違和感がない。
変な死人―――。
そう思ってしまったら、何となく止まっていた足が再びもとの歩調を取り戻した。気付いてるならいいじゃないかって、ちょうどただ歩くのにも飽き飽きしてきたし。
俺を見続けている男の表情に、少しばかり変化が起きる。まさかそのまんま傍に行くなんて思ってもみなかったんだろうな。
でも、そんなことはかまわない。なんだか、裏をかいたようですごく楽しい気分。
大丈夫、俺はハンターなんかじゃないから。ただ、気付かれてたのを知って、ちょっと悔しいだけだったし。
「な…お茶でもどう?あ、それとも、ものが食べれるんだったら食事でもいっしょにしない?どうせ家に帰っても誰もいないんだ」
すぐそばまで近づいて、下から顔を見上げた。
白いシャツに黒のスラックス。肌寒くなり始めた季節にしては少々薄着だ。顔の右半分には、奇妙なあざがあった。赤黒いそれはまるで傷のよう。
「お前は…」
目の前の男は何度か瞬きをした。たぶん驚いているんだろうな。もとからなのか、死人だからなのか、何を考えているのか読めない表情に、俺は笑いかけてみる。
「こんな街中の真昼間に、死人に会うのも珍しいじゃん…ま、記念にさ…」
俺の言葉に、男は目を細める。
「俺が何者か知っていて、声をかけているのか?」
気分を害してるようでもない。逆に口元に深い笑みを浮かべている。
「うん…あんた面白いね。普通に話しができる死人って珍しいかも…ま、だったらいいや。付き合ってよ」
死人は人間の妄執から生まれるのだと言う。
だから、死んで死人として甦ったとしても、その頭の中は固執する想いばかりに埋め尽くされて、ほとんどまともに話しもできないらしい。そしていずれはモンスターになる。だから、死人は狩られる。
たぶん、この男もいずれは狩られる運命なんだろう。
ハンターが、死人を狩るところは何度も目撃してきた。幻光虫が霧散したあとにはなにも、もう残らない。
この男も、そうなるんだと思った。そう思ったらちょっとばかりかわいそうになって、腕を取る。
少しばかり驚いたのは、シャツの布から手の平に、たしかに温もりが伝わってきたから。まるで生きている人間のようだ。
そういや死人に触れたのだって、実は初めての経験だった。
「ここにいて、俺みたいに見える奴に見つかるとまずいよ?それとも、ハンターに狩られたくて、ずっと歩きまわってたの?」
腕を引けば思ったよりもあっさりと、男は動いた。
俺達を避けて流れていた、ひとの動きに再び乗る。
人間はいつの間にか幻光虫を見ることのできる能力を、失ってしまったのだと言う。
ただまれに、俺みたいにそれを見ることのできる人間は存在したし、たいがいそういう奴は幻光虫に纏わりつかれる人間の意味を知っているから、目撃されたらおそらくはこの男は消滅する運命にあるんだろう。
「いや…人を探していたんだ…ここならば、見つけられるかと思って」
その言葉に、横を同じ歩調で歩く男の顔を見た。
「人探し?こんなに人の多い場所で?」
あんな風に当て所もなく歩きまわって見つけ出せるわけがないとは思わないんだろうか。いや、正直言ってこれにはちょっとばかり驚いた。
「そうだな…言われてみればもっともかもしれん…」
苦笑めいた表情を浮かべて納得してる姿に、なんだか困惑する。
変わった奴…そう言う言葉がぴったりだったかもしれない。まあしょうがないよな、相手は死人だし…。
とよく考えれば妙なことに納得して、俺は男を促した。
うん、妙だったと思うよ。
はじめて見かけた、それもどうしたって人間じゃない奴と晩飯食おうって言うんだから。
目の前を、男に纏わり付いていた幻光虫が過ったときに、俺は自分の酔狂さを少々疑ったぐらいだったし。
うん、本当に酔狂。
だって、幻光虫憑きの男をどこに連れていったらいいのか悩んだ挙句、俺は自分の家に、案内していたんだから。
自宅はどちらかと言うとあまり雰囲気のいいとはいえない街の区画にあった。古ぼけたアパートの3階の東の一番端が、俺の家だった。
ハーレムと呼ばれる一帯はそれほど治安は良くない。特に外部のモノに対しては。
それは反対に、身内にとっては居心地がいいということだ。
たむろしてる悪ガキ連中に声をかけられて、軽く応じる。生まれたときからここにいる。だからどんなに人相の良くないやつらでも、一応はご近所さんだ。
ごみが風に舞う道路は、先ほどまで歩いていた綺麗な街並みの中の歩道とは違う。ここからだと空を見上げれば星だって見えるんだから。
「こんなところがまだあったのか…」
俺の隣を歩く男は珍しそうにあたりを見回しながらそう呟いた。
もう典型的なおのぼりさん状態。いや、それもちょっと違うかな。
「ほらそこの階段上がって」
錆の浮いた非常階段を示した。建物の中の階段はたいがいだれかがラリって横になってたりするから、あまり使わない。
夕闇にやけに響く足音を立てながら3階へ。鍵なんかとっくの昔に壊れたドアを開けて、通路に入った。
薄暗い建物の中で、また目の前を幻光虫が過る。陽の光の中ではかんじなかったものの、ほのかに光るその物体は、正直綺麗だと思う。
それが俺のすぐ後ろを歩く男を周りを取り巻いているのにもなんだか慣れてしまって、自分の順応性の高さに、少しばかり失笑した。
今時珍しい、シリンダー式の錠に鍵をさしこんで部屋のドアを開ける。
真っ暗な部屋の電気をつけて、男を招き入れた。
「ほら、入んなよ」
入口に立ったままの男を招き入れた。
「いいのか、邪魔をしても。無用心過ぎないか?」
途中で買ってきた、中華料理屋のテイクアウトの容器をテーブルに、荷物を床に置いた。
今更ながらな男の言葉に、とうとう笑い出してしまう。
「いいんだよ…無用心なのはあんたの方かもよ?俺の親父、実はハンターだし」
男は、驚いたように俺を見た。少々値踏みするような視線はたぶん、俺の真意を推し量っているんだろう。
「ま、今は政府のモンスター狩りに付き合わされて3ヶ月ぐらい留守。ずっと一人なんだよ。おふくろははやくに死んじゃったしさ」
「母親は、病気かなにかで亡くなったのか?」
男の探るような視線が、なんだか別のものに切り替わる。同情されるのはあまり好きではなかったので、軽く笑って見せた。
「不慮の事故って奴。病気で死ぬのは、今のご時世、はやらないよ」
この街で治らない病気はほとんどない。もしあったとしても、そこそこに金のあるやつらは自分の身体を冷凍保存して、その治療法が見つかるまでの間眠りについていたりする。
だから、この街にはそれほど身近に死は存在しない。親父が死人ハンターをやっているから、俺は他のやつらよりは、ほんの少しばかりそれに近いだけの話しだ。
「親父が帰ってくるのは、まだまだだし、結構一人でヒマ持て余してた。それとも、俺が騙しうちにしてあんたを狩ろうとしてるとでも思う?」
そう尋ねれば、男は苦笑する。
まだ逡巡している風だったが、男は結局足を踏み出し扉を閉めた。
チェーンをかける習慣がないところを見ると、いい生活をしていたんだろう。ここでは、とにかく戸締りにだけは気をつけないと、どんな災厄が襲ってくるかわからない。
男の脇を通って、チェーンをかけて、用心のためにもう一つ取りつけてある錠も下ろす。
部屋の中は、外見ほどはひどくない。
このハーレムから出る金がないわけではなく、俺にしろ親父にしろ生まれ育った場所から出て行くのが億劫なだけだったので、家具もそれなりには揃っている。
クッキングヒーターで湯を沸かしている間も、男はなにか感慨深そうに部屋中を見回していた。
「座りなよ…疲れたりしないのかもしれないけど、俺の方が居心地悪いよ」
明るい照明の光の中で、幻光虫もその力を弱めるのか、男の姿はさきほど暗い道を歩いていたときよりも、人との違和感が少ない。
なんだか不思議。
自分でもなんで自宅に招き入れたんだろうと思うと、ちょっと答えに困る。この男がどこでハンターに見つかって消滅させられようと、俺の知ったことではないのに。
これは、あれだ…野良猫を拾って、ミルクを飲ませるような、そんな行動に似ていると思う。
なによりも、ここに来る途中で色々と浴びせた質問に、男がろくすっぽ答えられなかったことも、なぜだか、見捨てられない原因になっているのだろう。
「で、どのくらい眠ってたんだって?」
買ってきた料理に合うように、香りの高い茶を入れて、それを男にも勧めてみた。どうやらお茶は飲めるようだと、がさがさと袋から食事を取り出す。
そうしながらも、言葉をかけた。我ながら、好奇心の塊みたいだと思う。
延々街中を歩いていた男は、自分の名すら言えなかった。忘れたのだと言う。
どうして死んだのかも、なんで死人になったのかもわからないらしい。
半分は疑ってかかっていたのに、男があまりにも淡々と答えるもので、逆にそれは信憑性を増した。
「わからん…だがずいぶん街の様子は変わったな」
これは何度目かのセリフだ。
眠ってたと言う言いぐさもよかったが、実際フリーのメトロに乗るときや買い物をするときにクレジットをつかう俺にいちいち驚くというか戸惑っていたようなので、嘘を言っているわけではないらしい。本当に眠っていたのか、死んだときに記憶が飛んだのかはわからない。
自分が死人だという自覚だけはあるんだから、さらに面白い奴だとは思うけど。
「ふうん、紙幣やコインなんて趣味で集めてる奴のものしか見たことないもんなぁ。あんた本当に変わってる」
なんだか、すごく不思議なかんじ。今自分の暮らしている世界が当然だと思っていただけに、そうでないと言う男の言葉に興味をひかれずにはいられない。
まあね…それが悪かったんだと思うよ。
いっしょに食事をしちゃって、さらに情がわいたと言うのか…俺って拾ってきた猫を捨てられない性分なんだなって、ようやく気づいたよ。
学校へ行ってまたメトロに乗って帰る。
で、戻ってみれば、やっぱり今日も名前すらわからないあの男は部屋の前で待っていた。
最初の晩に泊めたのが悪かったのかなあ…懐かれたよな…と正直思う。
いやでないのは、家の中で話す相手がいるからで、結構人恋しかったんだな、とつくづく思って、そんな子供のような自分に自己嫌悪。
そういやファーストフードの店で時間をつぶすことも、俺しなくなったもんね。待たれているとわかっていてそんなことするのもなんだか悪いような気がして。
親父は仕事が入れば、ずっと家にいないことの方が多かったから、この年まで一人の生活には慣れていると思ってたんだけど…。
「見つかった?探し人は…」
これが挨拶のようなもの。男は曖昧に笑みを浮かべたからたぶん、また見付からなかったんだろう。
と言うか、名前も顔も覚ええない相手をどうやって探すのか聞いてみたいよ。たぶん、この前のように街をずっと歩きまわってるだけなんだろうけどね。
それで見付かったら奇跡に近いと思うよ、実際。
「ま、いいや。上がってく?」
聞くまでもなく、そのために男はきたんだろう。まだ夕方には間がある時間でありながら、薄暗いアパートの通路にいて、男の周りには幻光虫が舞い飛んでいた。
これを他のやつが見えないのはちょっと不思議。
結構見なれるとすごく綺麗な光景なのに、もったいないよね。
奇妙な顔のあざ以外では、死人である男もなかなかにいい男だし、見栄えはすると思う。
結構生きてる間にはもてたんだろうなあ、とか、探してるのはどんな美人なんだろうなあとか、そんなことを時々考える。ま、結局は、本人から詳しいはなしが聞けないので、俺の好奇心はあんまり満足させては貰えなかったんだけれどもね。
見た目にあんまりにも寒々しいから、ここに来るようになって数日してから親父のコートを貸したんだけど、それを今日も当然のように身につけて、男は幻光虫と共に俺のあとから部屋の中に入って来た。
で、最初の晩に入れてやったお茶を今日もやっぱり用意してやる。このお茶を男はいたく気に入ったらしく、次の日に所望されてからは当然のように準備するようになった。
おかげで俺も、つき合うようになった。自然とこの男がいるときは、普段飲んでいるようなジュースなんかは出番がなくなる。
そして、とりとめもない会話をした。
おもに話すのは俺。時々男に質問を投げかける以外はほとんど好き勝手なことをしゃべってるのに、向こうはいやな顔もせず聞いている。かと言って嬉しげにも見えないんだけれども、こうやって俺のところを訪れるからには、不満があるわけでもないんだろう。
うん、相槌を打ってくれる相手がいるだけでも、なんだか嬉しい。
陽が傾く時間が近づき、紅に染まり始めた部屋の中で、俺って結構寂しかったんだなあってしみじみ思った。
死人相手に、嬉しげに話をしちゃってさ…それもこれもこの男が、死人らしからぬせいもあると思う。
まるで他の人間と変わりがなかったから。ついつい錯覚してしまいそうになるのに、やっぱり幻光虫は憑いたまんまで、それが時折俺の傍に寄ってくるとなんだか切ない気分になった。
たぶん、親父が帰ってきたらもう会えないだろうし。と言うか、ここに来たらそれこそ男は消されてしまうもん。
親父のことは話したはずなのに、部屋にやってくる男も酔狂だと思う。
そりゃ部屋に連れてきたのは俺だけど、その後はどう考えたって男の意思だ。ちらりと、本当は消えたいんじゃないかと考えて、なんだかさらに物悲しくなった。
なんでこの男がここに来るのかも聞いたことがない。
「どうしたんだ?急に黙りこんで」
低くていい声だよなあ…。もったいないなあ、なんで死人なんだろう。
「なんでもない、なんか腹すかない?」
男に空腹感はないらしい。それでも俺がそう聞くと、必ず同意をするのは、俺のことを慮ってのことだろう。
本当に変なやつだと思う。
死人になんかならずに、さっくりと死んで生まれ変わって出会えたらいい友達になれたんだろうにな。
だれが、この男をこの世界に縛り付けてしまったんだろう。人を探していると言った。なにやら約束があるとも聞いた。
それはたぶん男にとってはとても大事なもので、そこまでして探さなくてはならないもの守らなくてはならない約束を忘れてしまったのは、すごく憐れだった。
寂しい俺と憐れな男。なんかいいコンビじゃんって思ったら、少しばかり気分は浮上。
浮上がてら、晩飯を作るために立ちあがる。当然のように、手伝わせたさ。だってコンビじゃん。
そして夜はふけていった。
男は今日も家に泊まるらしい。
眠るでもなく、ただ窓から薄汚れたハーレムを見下ろしながら男は夜を明かす。
自室のベッドにもぐりこむために、その姿をちらりと眺めて、泣きたい気分になったのはなぜだったんだろう。
「髪の色…金髪ではないのか?」
そう聞かれたのは、出会ってから2週間も経とうというころだった。食事をとってシャワーを浴びて、髪を拭きながら冷えた飲み物を探して冷蔵庫を漁っていたときに、そう聞かれた。
「え?」
片手にジンジャーエールの缶を持って、その声の主をみた。
すでに同居人と言ってもいいほどに、その存在に馴染んでしまった。部屋が男を受け入れて、定位置のように腰を下ろす窓辺の椅子にその存在がしっくりとはまっている。
「あ、髪?うん、そう、脱色」
そう言えば、しばらく脱色もしていない。暗い外のおかげで鏡のように俺の姿を映し出す窓へと寄って、頭の天辺が見えるように屈んでみた。うん、毛の生え際は地の色が出始めている。結構濃い茶色の髪。
そろそろ、色抜かなくちゃな…と思いながらジンジャーエールを飲み干す。
そして満足して顔を男に向けて、そこで目が合った。
いつの間にか立ち上がり近づいていた男が、なんだか表現し難い表情を浮かべたのに気付いて、俺は困惑する。
「なんかさ…落ち着かないんだよ。色抜かないと」
洒落っ気だしてしてるのとは違うんだと、言い訳めいたことをしたのは、何となく責められているような気がしたからだ。
どうしても自分じゃないような気がする。地の髪の色が出てくるとわけもわからず色を抜きたくなって、結局毛先はバサバサになるのもかまわず、毎回同じことを繰り返している。
「不思議だな…そんなところが似るものか…」
その言葉に、少しだけ戸惑う。
なんだろう、奇妙な気分。
「どうしたんだ?」
聞いてしまったのは、きっと男の表情が普段と違ったから。
出会ったときから余裕をかんじさせる態度を崩さなかったのに、なんだか今日はいつもと違う。
理由は何となくわかっていた。さっき食事をしながら言った、俺の言葉のせいだ。
「―――もう来ないほうがいいよ」
そろそろ親父が戻ってくる。
死人を狩ることを生業としている親父と鉢合わせされた日には、どんなことになるか想像に難くない。
さすがにここまで、懐に入れちゃった後で、そんなことになるのは嫌だった。会おうと思えば外でも会える。だから、この家にはもう来ないほうがいい。
そう言った。
部屋のドアの前で、俺を待っている人がいるのはすごく嬉しかったけれども、そのままでいればどうなるかわかっていたんだから、そう言うしかなかったじゃないか。
大体にして、二週間とは言え、こんな生活を送っていたこと自体が異常だったんだと思う。
だのになんでかこうなることが当然のような気がして、おかしいとそう思う感覚が麻痺していた。
でも、ずっと奇妙な生活が続くわけなかったんだ。元々からしてが、この男は存在自体が許されない死人なんだし。
「もう、会えないと思う…」
手にしていた缶を置いて、男に近づけば静かに告げられた言葉に、足が止まった。
「なんで?ここでじゃなくったっていいじゃん。あんたさえ見付からないようにすれば…」
思った以上に、狼狽している自分に、俺自身が驚いていた。
心臓が一気にばくばくと動き出して、息が苦しくなる。
「無理だ…そもそもが俺は自然の摂理から外れているんだ。お前達には、自然などどうでもいいかもしれないが…」
「今まで無視してきたのに?いきなりそれに従っちゃうのか?」
静かに告げる男の言葉を、途中で俺は止めていた。
なんでだろう。
自分から切り出したことなのに、こんな風に言われるのはすごく嫌だ。
しばらくの間、男は黙って俺を眺めていた。
たぶん3歩も歩けばそこに行きつける。だのにその距離がひどく遠いような気がする。
「俺は、消える…」
静かに告げられた言葉に一瞬きつく目を瞑った。
ああ、そうか、見つけたんだ―――。
気付いた。
昼間は、街をさ迷っていたことは知っていた。たぶん、奇跡が起こったんだ。この男に。それは、万に一つもない可能性。
それを手にいれたんだ。
良かったな、と言ってやらなければならない…それはきっと幸せな消滅だ。
死人になってまで探し続けたものを見出したのだから、祝福されるべきことなんだろう。
「ごめん…」
だのに、笑ってやることができなかった。
よかったな…おめでとう。そう言ってあげることもできなかった。
数歩の距離を、足が勝手に縮めていた。
男は、動かない。ただ俺をみているだけだ。
ああ、今気がついた。あれほど盛大に舞い飛んでいた幻光虫の数がすごく少ない。
それはこの男を形作っているものが消え去り始めていることに他ならない。
胸を締め付けられるような気分のまま、首に手をかけて強引に引き寄せた。
そうすれば、不吉な未来がなくなってしまうような気がしたから。
相手が制止しないのをいいことに、さらにその先を望む。
唇を合わせる。強引に舌をねじ込んで、深い繋がりを求めようとした。
なんでこんなことをしてるんだろうって、頭の奥の方で思った。でも、止まらない。
背中にそっと腕が回されたことに気付いて、勇気付けられたように、背伸びをしながら、さらに深い交わりを求めた。
腕の力が強くなる。そして男が俺に応える。
純粋にそれが嬉しい。
身体が熱い。嬉しくて、悲しくて、どうしたらいいのかわからなかった。
「寝たいよ…あんたと」
自分で言って、自分で驚いた。こんなことを俺は望んでいたのかって…。
互いの唾液で顔中を汚しながら口付けの間にそう言った。声は掠れて、きちんと相手の耳に届いているか不安だった。
「その時間だけ、俺にくれよ…」
口に出してしまえば、それだけが真実のような気がする。だからねだった。他になにもいらないから…せめて今だけでもと。
存在するはずもない確かな存在は、腕の力を強くして、その言葉に応えてくれた。
夢をみた―――。
自分の知らない場所なのに、どこだか知っている感覚は、夢特有のモノだ。
廃墟のような遺跡。
巨大な街のなれの果てに俺は立っている。
「―――夢なんだよ、オレ…あんただって…死人なのに」
ひどく悲しくて、切なかった。なによりもずっといっしょにいられないのだということが、辛かった。
「いずれ、また逢える…」
宥めてくれる声は、ひどく穏やかで、だのに熱い。
その気持ちがわかるから、泣き出したい気分のまま、笑ったんだ。
「また無茶ばかり言う…」
「無茶ではないだろう、生まれ変わっても、絶対にお前を探し出すからな。俺は諦めだけは悪いんだ」
胸を張ってそう言うところが、敵わないと思った。
だからこそ、約束したんだ。
そうなればいいね…そうやって、再会できればいい…。
紅の衣に抱きついて、その温もりに、祈る。神など信じていなかったから、あんたに向けて祈るしかない。
「ティーダ…必ず…」
「―――ティーダ…おい…」
揺さぶられて、目を開いてそこに見出した顔に、大きく溜息をついた。
「目がさめたか…?」
「うん…」
言いながら、身を起こそうとして、自分の頬が盛大に濡れていることに気付く。
慌てて手の平で、それを拭う…夢見ながら泣いてたんだ、俺。
朝日のさしこむベッドの上に起き上がる。素肌の肩に置かれた手の温もりは、その重さと共に次第にはっきりとしてきた頭の中に、確信をうみだしてゆく。
この声を、知っている。この手の温もりも、その重さも…何もかもを。
たぶん、俺の様子は普通ではなかったんだろう。気がかりそうな声が耳元に届いた。
「なんだかうなされていたから、起こしたんだが…」
「うん…ありがとう…」
言いながら、そぐ傍にある顔をみる。俺の顔はひどいものだっただろうけど、そんなことはどうでもいい。
「名前…呼んだ…?俺の」
結局、自分の名を伝えていなかった事に気付いた。いずれは消えてしまう死人に、自分の名を伝えることがはじめは恐ろしく、そして次にはなんだか言い辛くなって。
でも、今わかった。
それはもっと他に呼んでもらいたい名があったからだ。
「ティーダって呼んだ…?俺のこと」
顔を覗き込むようにして訊ねれば、傷のようなあざのある顔に狼狽が走った。今までは気付かなかった、わずかな変化を今の俺は見てとることができる。
「すまない…」
逸らされた視線に、なんだか罪悪感がうまれた。
「気付いてたんだ…たぶん最初から、俺だって気付いてたんだろう、アーロン」
彼は名前を忘れたわけではない。誰を探しているのかも、全部わかっていながら、俺に言えずにいただけの話しだ。
出会ったときからきっと、俺が誰だかわかっていた。だからこそ、ずっといっしょにいてくれた。
アーロンの動きが止まった。まじまじと、探るように注がれる視線に俺は、裸の肩に額を押し付けることで逃げる。
「ごめん、忘れてて…ずっと待っててくれたんだ…探して…」
その後は声が出なかった。
背中に回された手の温もりに、盛大に涙が溢れそうになった。それを堪える。
これ以上泣き顔を見せたくはない。
だって―――。
「気付かないならば、それでいいと思っていた…お前が幸せならばそれで」
首を振った…やはり言葉は出てこない、唇をかみ締める。
そんなわけがないと、大声をあげて文句をいいたかった。知ってしまった真実は、切な過ぎて、だから何もいえずにいる。
喜びと恐怖に耐えるのに精一杯で、それ以上のことは今の俺にはできない。
「顔を見せてくれ」
言われてさすがに、そのまま顔を伏せていることもできずに、のろのろと顔を上げた。柔らかく笑いかけられ、唇に温もりが触れる。
「今度は、お前が、俺を探してくれ…ティーダ」
覗きこまれた、深い色の瞳に、とうとう視界がぼやける。
かけられた最後の言葉―――。
瞬間だった。目の前の姿が霧散する。
「あ…」
掠れた声をあげながら、一気に広がろうとする幻光虫を押しとどめようと両手を伸ばした。
だが、それは叶うはずもない。
ふわりと、容をなすことを捨てた幻光虫は上へ上へと、乱舞しながら舞いあがってゆく。
どれほど手を伸ばしても、その一つも、俺は捕らえることは出来なかった。
しばらくの間、俺はシーツを握り締めて、泣いた。
空虚となった心に、アーロンの最後の言葉が染み込んでくるまでに、長い時間が必要だったと思う。
『探してくれ―――』と彼はそう言った。
謎かけのような言葉。
眠っていたと、はじめて会ったその日に、言われた言葉を思い出す。
そもそも望みがなければ、アーロンはこのようなことは言わない。
だとしたら、なぜあんなことを言ったのだろう。
かすかな希望の火を見つめて、ようやく俺は起き上がった。
「見つけ出すよ…絶対に」
不可能を可能にしてくれた、その出逢いに応えるために、俺は服を着て街へと出る。
再会には、かなりの時間を必要としたのだけれども。
END
私が日頃お邪魔している山崎様のサイトがめでたく10000ヒットを超え、その記念にとフリー小説を配布されたのです。
これはもう飛びつくしかないとばかりに有り難く頂戴したのがこれなのです。
最初、二人とも名前が出てこないけどアーロンとティーダだって直ぐ分かりますし、何より二人の距離がつかず離れずという感じが切なくてやるせないのです。
寡黙な中にもアーロンの優しさがほのかに感じられるし、ティーダのいじらしさが胸に突き刺さってきてグッときます。
哀しい空気が漂ってくるのだけど最後の一行がね、再会ってあるでしょう?
ああ、二人は会えたんだなって分かっただけでも救われた気分になります。
いいなぁ、こういう話。
これがフリーで頂けるなんて、感謝の二文字だけでは足りないような気がいたします。
山崎様、本当に有り難うございます。