穿たれた刻印〜独白〜

アーロンの心と身体には傷があった。 一つは彼の顔。 右の額から頬に向かって真っ直ぐに走る斬りつけられたような生々しい傷痕がそれだ。 それはアーロンの右の瞳を潰し、彼の顔に一筋の痕を残している。 もしもその傷痕さえなければ、アーロンの顔は端正と言えるかもしれない。 彫りの深い、逞しい男の顔立ちをしているのだから。 骨格の整っている頬から顎の線。真っ直ぐに伸びた鼻筋に引き締められた口元。瞳は眼孔鋭く、相手を威圧しているかのような印象さえ受けそうなのだが、ふとしたおりに見せる柔らかい表情の時に現れる目尻の皺は、意外な程に彼の印象を和らげる。 眉間に刻まれた皺は彼の人生の苦悩を憶測させるだろう。 始めてアーロンに会う人は彼の見た目の傷やその無愛想さに惑わされがちだが、ほんの少し会話を交わせば彼の誠実さや真摯な眼差しに自分の印象を覆すことだろう。 木訥な話し方。低く抑えた声は耳に心地よい。 隙のない身のこなしと鍛えられた体つきは、彼が何か武道をたしなんでいるのだろうと、容易く想像出来る。 落ち着いた佇まい。静かな語り口調。滅多な事では動じない、その態度。 その何もかもが大人の男…を感じさせるのだ。 そんなアーロンが心に傷を抱え込んでいるなどとは、きっと誰も想像さえしないことだろう。 落ち着いていて、頼りがいがある…と彼を見知っている人は口々にそう言うのだ。 だが、その言葉を聞く度にアーロンは胸に抱えた傷を思い返す。 顔の傷は癒えた。 傷跡は残ったが…それはアーロンにとって戒めのようなものだ。 顔を走る只の線。彼にとって顔の傷はそんなものでしかない。 だけど…この胸に刻まれた傷は、今もおりにつれて疼き、彼を苛む。 大事な人を。彼の恩人とも、家族とも思っていた人を…失った傷痕。 後悔とか、そんな簡単な言葉では言い表せないくらいに深い喪失感。 これは傷。 心に穿たれた傷なのだ。 若さにはやり、自分を認めて貰いたくて先走り、自らの力量も省みずに突っ走った代償が身体の傷と心の傷とを残してしまった。 若さ故の過ち。それだけは済まされない。 自らが取った浅はかな行動故に、アーロンは人二人の命を奪ったようなものなのだから。 ………ティーダ。 自分が育てている幼子。 彼の両親をアーロンは自分のせいで死に至らしめてしまったのだ。 ティーダの家は古い家系の家だった。 しかも普通の旧家とかではなくて、代々伝わるある特殊な職業の家柄なのだ。 いわゆる…お払いや憑き物落とし。魔よけ、除霊師みたいなものなのだ。もっと下世話に言えば、化け物退治と言ってもいいだろう。 そんな普通の常識ではあり得ない事柄に陥った人々の相談に乗っているのが彼の家なのだ。時々は相談に乗るだけではなくて、実際に魔物とやり合ったりもする。 信じられない話だが、今の世にも確かに魔物は存在しているのだ。 人の世の常識では推し量れない生き物や世界は普通には関知し得ないだけで、それは一枚の紙の裏と表のように背中合わせにある。 誰も知らないだけで。 誰も感じ取れないだけで。 もっとも………。 アーロンもティーダの家に落ち着くまで、それに係わっている家柄が代々続いていることなど、思いもしなかったのだ。 陰陽師…とも言う人もいるが、それとも少し違うと言えるかも知れない。やはり一番しっくり来る言葉が、憑き物落としと言えるだろう。 魔に憑かれた人を救い、助ける。そして魔物を叩きつぶす。それがティーダの家に代々伝わる、仕事…だったのだ。 おそらくは殆どの人は知り得ない事柄。 人の世の理の外側に位置している存在。それを祓うのが、生業の家。 闇の息吹を知っている”家”なのだ。 だが…確かに今の世にも魑魅魍魎は存在しているのだ。そして魍魎に惑わされる人も存在している。 何より確かな事は、アーロンの家族もその魑魅魍魎に襲われて命を落としているのだから。 幼い頃から人より感受性の強い子供だった自分。それをアーロンは物心付いた頃から自覚していた。 人に見えない物が見える自分。人には感じ得ない、知覚する事が出来ない僅かな気配を感じ取ってしまう。 それがために魔物に因り近づく原因となり、家族が犠牲となってしまった。 あの時の絶望感は忘れようがなかった。 自分の持っている忌まわしい力によって家族が犠牲となり、たった一人この世に取り残されたのだから。 この世の何もかもを憎み、自分の存在さえも憎んでいた。 自分が生きている事が、許せなかったのだ。 こんな忌まわしい力さえなければ家族が犠牲になり、死ぬことはなかったのだと思った。 荒み、心を削り、何もかもを憎悪し、自分が生まれたこの世すらを拒絶しかけていた。自分が憎んだ魔物に心が傾きかけていたアーロンを…救ったのが、他ならぬティーダの父。ジェクトだったのだ。 生きることにすら絶望しかけていたアーロンに手を差し伸べてくれた彼。 彼は言葉を飾らなかった。 素のままで自分に相対してくれたのだ。 彼は真っ直ぐにアーロンを見つめる。 そして「すまなかったな」と彼は言った。 「もっと早くに気づいて、お前んところに来てやれなくて、すまなかったな」と。 何故彼がそんなことを言ったのか、あの時は分からなかったけれど。後で聞いてみれば、自分の両親が密かにジェクトに相談していたのだと言うことが分かったのだ。 そして他の仕事を抱えていたジェクトがアーロンのところへやって来たときには…既に家族が犠牲になった後だったのだということも。 人とは違う力を持ったアーロンを、それでも愛して心配してくれていた両親。 頼りない伝手を頼り、ジェクトの職業を知り、人知れず相談していた。そんな両親の思いを知って、アーロンは慟哭した。 そしてそんな自分の力をまた、呪ったのだ。 心優しい両親を死に追いやってしまった自分。アーロンを助ける為に自らを犠牲にした彼ら。 どうしてこんな力を持ってしまったのか。何故、自分だけがこんな力を持ってしまったのか。 両親が犠牲になどならずに、自分が死んでしまえばよかったのだ。 生まれてこなければよかったのだ…と。 そんなアーロンを…ジェクトはなじらなかった。 普段傲慢な男がアーロンを見つめ、只静かに語ったのだ。 人が生まれてくることに、間違いなどあり得ないと言うことを。 彼は言った。 全てのことには多分、何かしらの意味が在るのだろうと言うことを。 「お前が生まれてきたことは間違いなんかじゃねぇよ。俺は思うんだけどな、きっと多分、この世に生まれてきた命にはちゃんと意味があるんじゃねぇかって気がするんだ。全ての命にはな。木も草も虫けらも動物にもだ。全ての命には意味と理由があって、だから生まれて存在している。無駄な命、無駄な存在なんてないんだろうなって。お前の忌み嫌っているその力もな、お前がその力を持たなくちゃならない理由があってのことなんだと思うぜ。だからお前が生まれて、ここにいるんじゃねぇのかなって」 説教とも慰めとも違う。ジェクトはアーロンを只優しい眼差しで見つめ、静かに語ったのだ。 そして彼は続けた。 「だから自分を否定すんな。自分を恥じるんじゃねぇ。お前が自分自身を恥じるっていうことはな、お前を生んでくれた両親を恥じることにもなる。お前を愛して、慈しんでくれた両親を否定することにもなる。悲しむなとは言わねぇ。だけど自分の命そのものを粗末にするんじゃねぇよ。で、なければお前を生んで育ててくれた両親ににも申し訳がたたねぇと思わねぇか?両親の想い出そのものを否定するのか?それだけはしちゃあならねぇことだよな。お前は二人分の命を貰ったんだ。その命を抱えて生きて行かなきゃならない義務があると思うぜ。しっかり前を向いて歩けよ。後ろを振り返るなんざ、じじいになってからでいいんだからよ」 彼はそう言って、優しくアーロンの背中を叩いたのだ。 あの言葉に救われた。 胸につかえた重苦しい物が、涙と共に流れていったような気がしたのだ。 自分を恥じるな。自分を否定するな。そして自分を生んでくれた両親を思え…と。 その時初めて、アーロンは自分と向き合おうと思ったのだ。自分の力を忌み嫌うだけではなくて、真っ直ぐに見据えようと。前を向いて歩いてみようと。 それから…アーロンはジェクトの家で一緒に暮らすようになったのだ。 家族を亡くし、親戚もいず、天涯孤独となったアーロンをどういう経緯でかジェクトは引き取ってくれたのだ。アーロンの両親から相談されていたのにも係わらずに救ってやれなかった償いとはまた、違う。 姻戚関係のないアーロンをどういう法的手段をもってジェクトが引き取ってくれたのかは知らない。…これも後になって思ったことなのだが、ジェクトと一緒の仕事をしているブラスカが影で手を貸したのだろうと、朧気に察したくらいだ。 ただジェクトは素っ気なく言っただけだ。 「行くとこがねぇのか?んじゃあ、家へ来いよ」と。 あっさりと。まるで簡単に。 まるで遊びにこいよとでも言うような、気軽さだった。 そしてジェクトはまたこうも続けたのだ。 「うちにはピーピー鳴く小せぇガキが居てよ、お前が来たら兄貴が出来たと思って喜ぶかもしんねぇしな」 まるで取って付けたような話のようではあったが、それはジェクトなりの思いやりだったのか。 そして…アーロンはジェクトの元へ行くことに決めたのだ。 彼の家へと。 始めて訪れたジェクトの家は、アーロンを圧倒した。 尋常でない広さの坪の家と庭。 どれくらい古いのか推し量れないくらいの旧さと威厳すら感じる日本家屋。 これが一般家庭とは思えないくらいの広さと沢山の緑に囲まれた庭。 何もかもが、アーロンには驚きだった。 そして…。 そこに彼はいた。 ジェクトの一人息子のティーダがそこにはいたのだ。 まだほんの幼子だった小さいティーダ。 丸くて柔らかくて、いきなり現れたアーロンを怖がることもなく、満面の笑みでもって迎えてくれたティーダ。 緊張に張りつめていたアーロンの心を、一瞬で癒してくれた。 まだどこか落ち着かなかったアーロンを、小さなティーダはその小さな体いっぱいで迎えてくれたのだ。 彼がいたからこそ…。 アーロンはここにいられたかもしれなかったのだ。 小さなティーダというその存在で。 そしてもう一人。 ティーダの母であり、ジェクトの妻である彼女。 ティーダの母親にあたる人は美しかったが…とても体の弱い人だった。 ティーダを大切に育ててはいたのだが、ほんのちょっとした事で床に伏せ、寝たきりのような状態になってしまうことも度々だったのだ。 儚く、弱く、美しい人。 優しい人ではあったのだけど…母親としては、向かなかったのかもしれない。 必然的にアーロンは良くティーダの面倒を見ることになったのだ。 明るく元気だったティーダ。 美しかった母親の面影を移しながら、その気性はジェクトのそれを色濃く受け継いでいる。 光を弾いているかのような金糸の髪と深い碧の瞳。柔らかい頬と肌。まるで美少女のような面差しを持ちながら、性格はやんちゃで元気な少年そのものだった。 家族を亡くしたアーロンにとって、ティーダはまさしく無くした家族そのものの存在になっていた。 彼を慈しみ、共に育ったようなものだ。 ジェクトの家で彼の息子の面倒を見、アーロンは自分の居場所と自分の存在理由をそこに見いだしていた。 普通の人間には持ち得ない、この力。 それはジェクトと同じ種類の物。 人に見えない、感じ得ない魔の存在を知るアーロンの能力。 まさしくそれこそがジェクトの家系が代々伝えうる、能力でもあった。 その力でもってジェクトは魔を祓い、魔を滅する。 アーロンがその力故に、魔に取り込まれそうになっているというのに、ジェクトはその圧倒的な力でもって、魔をねじ伏せていたのだ。 人に在らざるほどの力をもって。 ブラスカ曰く「彼は人と言うよりは、あれは一種の化け物だからねぇ」と言わしめるほどに。 自分の力に押しつぶされない。その力を我が物として、魔をねじ伏せるジェクト。 彼のようになりたいとアーロンは思った。 力に振り回されずに、その力の正しい使い方を学びたい。もう誰も、傷つかせたくない。失いたくない。 自分の家族を奪った魔を…今度は自分の力で滅ぼしてしまいたいと。 だからアーロンはジェクトの側で、彼の仕事を学びたいと願ったのだ。 この力が意味を持って授かった物なのならば、この力の振るう相手を見いだしたいと。 ジェクトは何も言わずに…アーロンを側においてくれた。 そうしてアーロンはジェクトの側で、彼と共に魔を祓う仕事をすることになったのだ。 |
すみません。まだ続きます(大汗)
たかが序章なはずなのですが、なんだか長くなってしまって。
あまりに長すぎて、前後編とに分けて出そうと考えました。
いや〜、最初は軽〜く書こうと考えていたんですがね。
ところが書いても書いても終わりません。
これ以上続けると、べらぼうな長さになってしまいそうなので
ここで、いったん切らせてくださいませ。
後半は直ぐに取りかかります。
…ていうか、本編も早く書かなきゃいけないんだよね〜。
ははははは(乾いた笑い)
ご、ご免なさい。後編も本編も直ぐに書きますから、許して。
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