反抗期
玄関の扉を開けて自分を押し包んだ空気に、ティーダは一瞬足を止めた。
深く深呼吸をし、深く澄んだ朝の空気を吸い込む。昨日よりも5度ほど低くなった空気は衣替えしたばかりの制服のおかげで心地よいほどだった。
秋は深まっている。
普段はまったく目も向けない庭木の葉の色がずいぶん変わっていることにティーダはこのとき気付いた。足元から広がる芝草も、夏の間の勢いを失ったかのように色を変えはじめている。
つい1時間ほど前に昇ったばかりの太陽はつい先日までの射抜くような光を失い、かわって柔らかく包み込むような光で世界を満たしていた。
「秋なんだ…」
頭ではわかっていても、実感としてようやく頭に入ってきた、そんな感じだった。何しろつい1週間ほど前までクーラーを日中は使っているような陽気だった。だというのに、まるで急に思い出したかのように日々は一日とその色を深めている。
ぐんと一度背伸びをし、そして我に返ったティーダは、玄関の鍵をかけ足を動かし始めた。
このままぼうっとしているわけには行かないだろう。普段よりも早い時間に家を出たのはその必要があるからで、そして遅れることにでもなったら自分がさらに悲惨な目にあうのは目に見えている。
憂鬱な気分で玄関を出たものの、がらりと変わった周囲の雰囲気にわずかに気分は浮上していた。
足早に歩き出したティーダの背を押すようにして風が吹き、はらはらとまだ数は少ないものの木の葉を舞わせる。
肩に担いだスポーツバックを押さえながら、ティーダは駅に向かってさらに足を速めていた。
「お邪魔しやぁっす…」
どうしたって声はくぐもったものになる。大体にして来たくはないのに呼びつけられれば、誰しも同じような口調になるのではないだろうか。
まだ登校する生徒の少ない校舎はしんと静まり返っている。
朝練をする運動部の生徒がちらほら通学路を歩いているような時間だ。当然ティーダが扉をスライドさせた職員室も静まり返り、くぐもった声すら響いてしまう。
「入って来い」
机の並んだ室内に教師の姿はない。いや声の主以外はというのが正しい。
ティーダたちの教室が3つ分ほど入る部屋のちょうど真ん中あたりに一人の男がいた。何時にやってきたのかと訊ねてしまいたくなるほど、普段と変わりない様子で机に座っているのに、舌打ちをしたい気分になる。
―――それこそ遅刻してくれりゃあいいのに。
さすがに声には出せないだろうから思うだけに留めながら、ティーダは唯一この部屋に存在する教師の前まで移動した。
学年主任のアーロンはいまやティーダの最大の天敵だ。おかげで表情すら能面のようになっていることだろう。
「やればできるようだな…掃除道具の場所はわかってるか?」
突然訊ねられて呆けたような表情になったらしい。余裕を感じさせる笑いが相手の顔に浮かんで、ティーダの表情は険しくなった。
「校門から正面玄関までの掃除だ。言ったはずだったな。それとも忘れていたのか?」
そんなことを言われたような気がするが、ふざけんなそんな恥ずかしいことできるかとティーダも確か言い返したはずだった。だが決定事項は覆らなかったらしい。そもそも生徒の抗議を聞く耳など、目の前の教師が持っているわけがなかった。
「見られちゃうじゃん」
今は少ないが30分もすれば続々と生徒が集まってくるだろう。そのさなかに校門から正面玄関までの道を掃除するなど、体のいい見世物だ。
「だったらさっさと取り掛かることだな」
その言葉に睨みつけても相手はどこ吹く風だ。眉すら動かさない相手に余計苛立ちが募った。
「やってられるかよ」
吐き捨ててそのまま職員室を出ようと思ったものの、ばんと強くテーブルが叩かれたことで行動に移るのが一呼吸遅れた。
「これは罰でもあるんだからな。停学よりはいいだろうが。それに堪えてくれれば人を殴る気もなくなるだろう。いいか、自分の短慮が起したことだ。ほかの奴らに迷惑をかけたくなければ、責任は取れ」
音はティーダの肩を跳ね上がらせるほどに大きかったが、口調は普段と変わらず声も静かなものだった。反射的に身を強張らせた自分自身に腹が立つ。
「―――わかったよ」
別段停学が怖いわけではなかった。反省をしているわけでもない。だがここでそれを受け入れなければ迷惑を蒙る人間がいることをティーダは十分に理解していた。
ただ2,3発殴っただけじゃないか。しかも向こうからけんかを吹っかけてきただけだったのに―――。
これがティーダの言い分だった。
助っ人を頼まれた試合のあと出向いた先の他高生に絡まれて、ちょっと相手をしただけのことだ。練習試合は終わっていたし部員も荷物をまとめて帰ったあとだったというのに、考えたよりも大事になってしまったのはティーダのせいではないはずだ。
ちょっと顔を腫らせたくらいで怒鳴り込んでくる親を持っているんだったら、そもそもけんかなんぞするなと顔も覚えてない奴らの胸倉を掴んで、怒鳴りつけてやりたい。
胸の中ではいろいろな言葉が渦巻いたものの、それを今更口にする気にはなれなかった。
これ以上同じ空気を吸っているのが嫌でティーダは黙って出入り口へと向かった。
「―――お前は良きにつけ悪しきにつけ、目立つんだ。それをもっと自覚したほうがいい」
背後から聞こえてきた言葉は先ほどとまったく声の調子が変わることはなかった。
慰めにもならねえと胸のうちで吐き捨てて、ティーダは職員室をあとにして、先ほどよりも明るさの増した外へと足を向けたのだった。
後ろ手に扉を閉めたのは多少の意趣返しだ。少々力がこもってしまったのか、扉が閉まる際に高い音を立て、それが耳に刺さる。
「ちきしょー、いつか見返してやるからな…」
どうしたって立場的に勝てるわけがなかった。だが、説教じみたことを言われてはいそうですかと受け入れられるような素直な性格をティーダもしていなかった。
どうにかしてあの顔色を変えてやりたい。
毎度毎度ティーダを目の敵にするかのように規則や説教で縛り付ける男への悪態をつきながら、それでも科せられた罰をこなすために、かかとを踏んだ上履きをぺたぺた鳴らしながらティーダが下駄箱へと向かったのだった。
END
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