今からちょうど三年半くらい前の…夏休みが明けた直後の気だるい日だった。
古いタイプの技術者でセキュリティにも疎かった某部長のPCは、相変わらず外部のPCから丸見え状態で、
本来はヒラに見せてはいけないはずの資料(給与査定やら人事考課やら会社の営業成績など)がすべて外部に筒抜けの状態だった。

休み明けで大した仕事もないんで、いつものように何気なくそのフォルダを漁っていると…一つの真新しい資料が出てきた。
それに目をやった時、ついに最後の一押しが押されてしまった。


その会社を選んだ理由は、情けない事だけど大した理由もなくて・・・学校にあった会社の資料を適当に見て、
この会社って私服勤務出来るし、何となく雰囲気も良さそうだし、担任も就職活動やれってうるさいから、まぁ取りあえず受けてみるか
てな感じで「とりあえず」といったノリで、さして深く考えずに受験した。

中学生でも分かりそうなペーパーテストと、10分くらいの面接を1回やっただけだったが、
他の連中が大阪勤務にこだわる中、自分は「東京でも構わない」と言った事が災い…じゃない、幸いしてか速攻で採用が決まった。
(そこの会社はクラスで5人ほど受験していたが、受かったのは自分だけだった)


だが…実際に入社してまず驚かされたのが、その会社の給料の低さだった。
貧弱な基本給は入社前に一応資料とかで目にしていたとは言え、それにプラスされる手当ての類が本当に全く何も無い。
当然のように残業代もビタ一文も支払われず、給与明細など「基本給:**円」以外に見る所が何もない状態で、
実際入社して4〜5ヶ月目にはもう、給与明細を開ける事もしなくなった。
日々自炊して無駄使いもせずに慎しまやかな生活しても、全く金が貯まらない。
むしろ学生時代の蓄えがジリジリと減ってゆく一方だった。

それでもまぁ一年目だからこんな程度か?という思いもどこかにあって、これから経験や年数を重ねて行けば給料も上がって行くのかな
という淡い期待を持っていたんだが、それらの期待は事あるごとに次々と打ち潰されていく。

その第一弾が一年目の冬のボーナスだった。
入社が4月なので夏のボーナスは寸志程度の金額だった事もあって、初の「満額貰えるボーナス」にそれは期待が膨らんだ。
だが…。

社長は常々、残業代がつかない分はボーナスで反映させる、あと日々の個人の努力や仕事ぶりの評価も云々…と言っていたし、
自分の今までの仕事振りには、もちろん拙い部分もあったし注意されるべき点も多かったけど、
それでも足りない部分は他の部分でカバーすべく努力していた。
例えばプログラマーとしての技術力は他の同期と比べて…恐らく多少劣ってはいたが、それは対人間でのマナーやコミュニケーションで
挽回しようと、特に上司や先輩に対する態度は人一倍気をつけ、話せる機会などがあれば積極的に質問なども交えながら、
また電話応対など補助的な仕事にも積極的に取り組んだ。
学生時代に販売のバイト経験があったので電話応対は苦でもなく、敬語の使い方に苦しむ同期を尻目に悠々と対応し、
「新人にしてはズバ抜けて上手い」と先輩からは評価もしてもらっていた。

プロジェクトリーダーとの査定面接でも、総合的に見てある程度は評価されているような対応だったし、
まぁ高評価までは望まないにせよ、並の評価はあるものだと思っていた。
しかし!

その時は自分は客先常駐で仕事をしていたので、ボーナスの明細は実際に金額が振り込まれてから貰う形になっていたんで、
最初の金額確認が銀行という事になるんだけど、ボーナスの支払日…ATMで預金残高を確認した時の衝撃は未だに忘れられない。
何度見直しても、どう考えてもあり得ない額しか増えていないのだ。
これは何の間違いだとずっと思いながら、後に支払の明細が配られた時…分かってはいながら、やはり目が点になった。

社長曰く、冬のボーナスのベースは基本給二ヶ月分との事だった。
他の会社の水準から比較すると著しく低いが、それでもまぁ腐っても二ヶ月分。まぁ普通、最低でも30前後は期待するじゃないですか。
でも違ったんですよ。十万の位の数字が1だったんですよ。
残業代とか日々の評価とかそういうもんが全部含まれた金額が、十万の位の数字が1な訳ですよ。

後から聞いた話なんだが、実際の査定では「自分とリーダー」の面接の次に「リーダーと部長」の面接があり、
さらにそこから部長の個人的な判断が加味されて最終的に査定が決まったらしい。
部長は普段営業で本社にはあまり居なかったんだが、数少なく居合わせたケースで自分に対してあまり良い印象を持たなかったらしく、
その部分的なイメージだけで大幅に査定を下げられてしまった。
リーダーが後で自分の査定を知り、部長に「あまりに評価が低すぎる、仕事を見てない部長に何が分かるんだ…云々」と
抗議してくれたらしいが、もちろん支払われたボーナスの額が変わる訳もなかった。

そして同期で一番評価されたのは、一番技術力の高い人間…
超早口で何を喋っているのかほとんど聞き取れず、年配者に対しても結構無礼な口の聞き方をするヤツだったが、
ただプログラム技術が高いという点だけで評価されたらしい。
大事なのは人間関係だの、この仕事はサービス業などと同じだのと、事ある毎に言って聞かされた結果がこのザマだ。

人間が人間を評価する。それがどれだけ偏ったものになるかという事を実感した時だった。

また、これは後から分かった事なのだが、
例えば給与二ヶ月分がボーナスと言っても、査定の点数によってはいくらでも際限なく額を下げる事が可能な仕組みになっていた。
そして新人は査定表でどうしても上位に評価がつけられないような仕組みになっていて、例えばその高評価だった同期でさえ、
二ヶ月分は貰っていないらしい。
要するに実際のところが「満額(キャリアがあり、かつあらゆる仕事が出来て超高評価された人間)=二ヶ月分」という図式に限りなく近かった。
ひどいもんだ。


そして二年目で迎えた4月、初めてとなる昇給。
冬のボーナスで会社の性質が垣間見えたおかげで、最初から期待はしてなかったものの…

3000円。

食事代などの手当てじゃなくて、昇給金額ですよ。一年間頑張って努力してきた社員に対する会社の回答が、これ。
いつになったら人並みの暮らしが出来るようになるんだろうと、この金額を前に思うことはただそれだけだった。


もちろん、驚きが不満に変わったのは金銭的な問題だけじゃない。
例えば入社前の説明会や入社当初、社長が「うちの会社は社員の定着率が非常に高い」という事も強調して言っていた。
社員が満足して楽しく仕事をしているからこそそうなるのだろうと、その時は非常に会社に対して好意・好感を持ったのだが、
実際入社するや否や、毎週のように先輩社員の送別会が雨あられの状態。
入社したばかりで顔もよく覚えてない先輩に対して、よく分からんまま「お世話になりました」などと何回言っただろう。

辞めるからには会社に対して様々な不満があるからだろうが、立場的にそういう話も聞きづらく、
ほとんどの人が何故辞めるのかも分からないまま、結局自分が過ごした一年目だけで20人以上の社員が辞めてしまった。
確か全社員数は60人弱だったから、社員のうち半分近くが辞めたという事になる。
ボーナスの件で部長に抗議してくれたリーダーも、ちょうど二年目に入る4月で辞めてしまった。

他にも長時間残業などで体にも結構なダメージを受けてはいたが、社員に結構良い人が多くて良好な人間関係を保てていた事もあって、
何とか踏ん張ってはいた。それに新卒入社で一年やそこらで辞めてしまうと、いくら出入りのサイクルの早いこの業界と言えど
経験が無さ過ぎて転職にも不利だし、次の会社にも好印象は与えないだろう。
「少なくとも3年は続けないと・・・」とも思いながら頑張っていた。

だが…大量の退職者を出し、至る部分から綻びが見え始めた会社は、あらぬ方向へどんどん暴走してゆく。

「人間がたくさん辞めたんなら、また入れればいい」という安易な発想で、自身が三年目の時に会社は新人を10人超も採用した。
もちろん面倒を見るだけの社員の絶対数が足りず、新人に率先して仕事を回してくれるような有り難い会社(クライアント)もない。
結局面倒を見切れず放置されて、本社で雑用やデバッグだけをやらされてる新人たち…
有望な人材を無能な会社が潰しているそのサマを見せつけられ、会社に対するイメージや信頼は際限なく悪化・低下していた。

社長は会社設立当初の謙虚さを既に失い(自分が設立当初から居た訳ではないが、当初から籍を置く先輩は口を揃えて言っていた)
会社の売り上げ(=要は自身の収入)の事ばかりを気にし、発言も事あるごとに売上売上売上…になった。

「あなたの仕事は結果で評価されます。どれだけ頑張って努力しても、利益がなければ失敗です。」

…これが社訓として堂々と社内に張り出されているような会社、誰が働きたいと思うのだろう。

また他にも社長は、自分の考えに反対する者や楯突く者を徹底的に排除し出し、自身の周辺を自分のイエスマンのみで固め出した。
どこの馬の骨とも分からない人間が、何時の間にか営業部長などの役職で会社で勤務している。
会社の重役が、何時の間にか…あっと言う間に知らない人間で固められていた。

社長は、自分の娘もパートという形態で本社で勤務させていた。
別にこの子自体はある程度人当たりもよく、見た目もまぁ誰が見てもブスとは言わないくらいのレベルではあったんでw
男臭い職場だった事もあって最初は良いかなとも思っていたのだが、後にこの子の時給を知る事になって唖然!
1500円ですよ。
あ、まぁ普通の会社なら標準レベルの話かも知れないけど、何しろ自分が一年目の時に
「今月の勤務を時給で計算するといくらぐらいになるんだろう」とふと思って、計算した時の時給が818円って会社ですから。


そして、ちょうど入社してから二年と少しが過ぎようとした頃、ついに極めつけの事態がやってきてしまった。

社員の営業が思うように進まないのは、社員の技術力の無さと偏ったスキルが原因だ・・・
そう判断した社長は、社員のスキル向上の為に社内で技術試験を実施すると言い出してきた。

それはまだいい。
だが問題は、社内試験の結果(点数)によってボーナスや昇給額を決めると言い出した事だ。

って、普通に考えて…普段の仕事ぶりの評価はどうなるの?
日々の仕事をどれだけ頑張っても、社内試験でコケればボーナス減で昇給も減るって…何の為に仕事するんだよ。


そしてその試験を受けた結果、自分は不合格だった。
その部長PCの試験結果が纏められた資料に書かれていた言葉…不合格者はボーナスを半減するとか何とか書かれていたけど、
なんか衝撃で意識がぼやけてしまって、はっきり覚えていない。

…これが俺の評価なんだって。
今までこの会社で積み上げてきた経験とか苦労とか…それらの評価が皆、この目の前にある不合格の文字と点数なんだって。


気が付くと、外出していた部長宛に「お話があります…」という書き出しのメールを書いていた。


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