今日の日記は少し趣を変えて少々グロ要素を含んだ内容を書くので、読まれる場合は多少、覚悟の程を願います。


最近、硫化水素を使った自殺事件のニュースを度々目にする。
そんな中で類似のニュースを2chで読んでいた時、とある一つの書き込みの中にあるブログ記事の引用と、サイトへのリンクが貼られていた。

それは、特殊清掃撤去事業という仕事をされている…
つまるところ「人間や動物の遺体が発生した場所を清掃する作業」を中心に仕事をされている、言わば「死体業」をされている方のブログだった。
その中の記事をいくつか読んだ自分は、久しぶりに軽く頭をカチ割られたような衝撃を受けた。

幸いな事なんだが、肉親や親戚を含んだ自分の周囲の人間の中で、今までに亡くなった人間はほとんど居ない。
唯一祖父は自分が小6の時に肺炎で亡くなってしまったが、祖母は90歳を越えてもなお元気そのものだし、父親もここ数年内に癌と心筋梗塞を患ったものの、奇跡的に完治に近い状態まで復活して今では元気に暮らしている。

自分の同級生で不慮の事故に巻き込まれたとか、そういった不幸も今の所一切ない。
自分の人生の中で葬儀に出た事があるのは、祖父の時1回だけだ。

だからとでも言うべきか、自分にとって人間の死とは(自分の生死云々は抜きにして)現時点ではすごく遠い位置に存在しているものであって、もしそんなケースに直面してしまったら…などとは想像でしか考える事が出来ない。
そしてその想像とは、人が亡くなったらどれだけ悲しい気持ちになるんだろうかとか、それくらいの(次元の)事しか思いつかなかった。

でもこの特殊清掃をされている方のブログを読んで、根本的に考え方が変わった。

人の死とは、人を悲しませるだけのもんじゃない。
人の死は…その亡くなった人間に関与するしないに関わらず、多くの人間を苦しませるものだと。
そして、多くの人間に手間や迷惑と言った、負の要素を負わせるものだと。
たとえどれだけ孤独で、社会から孤立していると思えるような人間でもそれは変わらない…いやむしろ、だからこそ掛かる「負」もあるのだと。

家族と暮らしているとか配偶者がいるとなればまた見方も変わるんだろうが、(そのブログでよく扱われる)言わば「孤独死」の現状や実態というのは、一人暮らしで親元とも離れて暮らしている自分自身とも重なる部分が多い。
何かを一歩踏み外せば、自分自身もいつか同じ運命を辿る事にもなりかねないと思うと、とても人ごとなどとも思えない。


少々グロとも取れる表現も多く出てくるブログだけど、興味のある人は是非一読して頂きたいと思う。

特殊清掃「戦う男たち」


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