新しく始めたこの日記では「思想・信条色の強い内容のものも書いていく」とか言っておきながら、あまり麻雀日記時代と変わらない無難な事ばかり書いてるような気がするので、ここらで軽く立ち位置が分かれそうな内容の日記でも。


プロスポーツ観戦の中でも特に野球好きな自分としては、先日行われた…と言うには日が経過し過ぎている気もするけど、ワールドシリーズの松井の動向とか、日本シリーズの展開とかは(さすがに生で見る事は出来なかったけど)常に気には掛けていたし、今年はその結果もなかなか興味深いものだった。

そして野球(に限った話でもないけど)で恒例になっているのが、結果が出て勝利チームが確定した後の祝勝会で行われる「ビールかけ」や「シャンパンファイト」なんだが、この時期になると大抵…昔は新聞記事の投書欄に始まり、今ではブログ記事などでも見られる「食物を粗末にするなんぞけしからん」という類の声が目立ってくる。
(ブログだとデーモン小暮の「(ビールかけは)時代に逆行する卑しい行事である」との声が最近ではメジャー?かな)

食い物を故意的に身体に浴びせるって行為そのものが、理屈抜きで生理的に受け入れられないという人はもちろんいるだろう。
ましてや「プロスポーツ」というジャンルに興味の無い人なら尚更(閣下はそうではないだろうが)。

ただ自分の感覚では、ビールやシャンパンという「嗜好品(絶対に必要な飲食物ではない)」って色合いが生理的嫌悪感をずいぶん小さくしていると感じるし、選ばれたアスリートがこの日の為に日々鍛錬と努力を重ね、過酷な競争の中を勝ち抜いて今の位置にいるわけだから、その健闘を讃え合う年一回のお祭りとしてならいいんじゃないかと思っている。
(これが例えばシャンパンじゃなくて「味噌汁ファイト」ってんならw 生理的にダメかも知れないし、それにもし、毎日の試合に勝つ度にビールかけをしているってんなら「お前らいい加減にしろ」と思うかも知れんが)

つまりこの話は単に「感覚的・生理的に」受け入れられるか否かって話だと思っているんだけど、次のセンテンスが出てくると少し話は変わってくる。

「食う困っている人間は世界にごまんといるのに」
「飢えている人民が何億人といるこの時勢(引用)」


…これは、ちょっと無いわ。

そもそもビールかけと飢餓には明確に何の因果関係も無いはずで、ビールかけを止めたら飢餓問題が解消されるなんて事がある訳もない。
途上国の資源を強奪してビールかけをしてるってんなら大問題だが、もちろんそんな事があるはずもない。

だいたいにおいて、この飽食の時代における飢餓や飢饉の原因として「食料資源が無いから」という図式は成立するんだろうか?
資源が無いとするなら、世界各国が均等に飢餓に喘いでなきゃおかしいだろう。
それがそうでない現状があるのは、完全な経済の格差…つまりダイレクトに書くと「その国が金を持っているかどうか」って話になる。
飢餓の原因は資源ではなく、貧困・貧乏にあるとしか思えない。

であるとすれば、ビールかけという行為は「経済格差の均等化」に貢献…なんて小難しい書き方をするほど大層な話じゃないんだろうけどw、つまり世界に金を落としている行為に繋がり、果てはむしろ「飢餓の解消に少なからず貢献している」訳で、飢餓がどうこう言うのは少なくとも理屈で通る話とは思えない。

そして自分が嫌らしいと思うのは、単に自分が「生理的に受け付けない」ものを、飢餓という「相手の精神性を攻撃しやすい&自分の正当性を誇示しやすい」要素を使って、声を大きくしているとも取れる部分。
ビールかけをする人間の人格を問おうとするような姿勢が好きになれない。そんなもんそれが生理的に受け入れられるか否かだけだろう。


食べ物の無駄なんてのは、飲食店で食事をしただけで、その時点で既にある程度は出てしまうもの。
グループで飲み放題の宴会をやって、出された瓶ビールが全部カラなんて事はまず有り得ないし、ほとんど注がれる事無く開栓されただけのビールは、後は捨てられるだけ。
それに比べればビールかけは「皆で喜びを分かち合う為に使う」という名分があるだけ、まだマシなんじゃないかとさえ思えてくる。

…ただまぁ、自分の場合はよほどの事でもない限りは自分で「ビールかけをしたい」などとは思わないだろうし、それなら飲むわって話になるだろうけどね。笑


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