麻雀で、対戦相手の強弱を計る要素で最も大きなウエイトを占めるモノは何なんだろう…ってな事をふと考えてみた。

と言ってもここで自分が言わんとしているのは、本来の実力を見極めるのに必要な事柄をシビアに求めて行くような話ではなくて…
対戦相手の印象として「こいつは強いな」と思わせる要素の主たるものは何かと言う部分。まぁ要は、結構どうでもいい話。

(リアル麻雀であれば)基本的な牌捌きとか点数計算が出来るという前提で考えた場合、自身の実力を対外的に最もアピール出来る要素は
間違いなく守備力…いかに放銃をしないか、危険牌の切り出すタイミングなどが見極められているかって事になると思う。

牌譜の残る場所ならばともかく、フリーなどで対戦相手に「攻撃(力)で強いという印象」を与えるのは不可能に近い。
傍から見れば攻撃なんてものは「要らん牌をただひたすら切り、相手の仕掛けを蹴散らして和了する」だけの話でしかないし、
その一連の動作に「評価」とか「感心」に類似した思想は生まれにくい。そもそも相手がどんな状況から攻めているのかも分からないし、
麻雀では和了するという行為は常に「運・不運」がつきまとう(一応理屈上では、守備では完璧にベタオリさえすれば放銃はしない)。
そのツキが絡む行為だからこそ余計に、技術的な・本質的な部分が見えにくい。

その他にも、本来は当人の実力を左右するのに非常に重要な要素であるはずの「鳴き」「仕掛け」においても同じで…
相手の形が見えないものだから客観的には判断が出来ないし、鳴くという行為も和了と同じようにツキの要素が多かれ少なかれ絡んでくる。

対戦相手の立場で見て、守備力ってのが最も明快にその実力を判断出来る要素って事は間違いないと思う。でも、ただそれでも…
その要素以上に一般的に言う所の守備型は高く評価され、攻撃型や鳴き型は評価されにくい傾向があるんじゃないか?と、そんな気がしている。

守備型の人は何故「下手」という評価が下りにくいのか。
語弊がある事を覚悟の上で言うとするならば、それは主に「守備型は他者の邪魔をしない(邪魔をする事が少ない)から」ではないか。

誰かが和了すると局が問答無用で終了するゲーム性を持つ麻雀で、攻めるという行為は同時に終局を早める行為でもある。
4人でプレイするゲームなんだし、当然「攻める」「受ける」以外のポジションに置かれるプレイヤーってのが発生する訳で、
その人間は自分のやりたい事が成就出来ないまま他者の手で壊される事になる。結局、攻撃者は自分の邪魔をする存在でしかなくなる。

鳴きにしても同じで、基本的に鳴きという行為そのものが攻撃的な行為だし(守備型で鳴き麻雀って人は聞いた事が無いw)、
そもそも鳴きってのはその当人の手を確実に前進させる行為なんだから、鳴かれる側に取っては少なくとも有利になる行為ではない。
しかも鳴きのおかげでツモ順も変わるし、自分の順番が飛ばされる事もあったりする。結局これも自分の邪魔をする存在でしかない。
(仕掛けまくる相手が大好きって人もあまり聞かないしw よほどクソ鳴きしまくって防御力を落としてくれるなら別だろうけど)

守備を重視する打ち手は、相手にとっては「邪魔な存在」になる事が少ない。
逆に攻撃型は相手にとって邪魔でかつ鬱陶しい存在になる。自分にとって邪魔な存在が、評価としての対象として成り立つかと言えば…
もちろん成り立たないなどと言うつもりはないし、相手(評価者)の実力や能力が高ければ高いほど…同様に評価もされるだろうが、
ただでさえ評価しやすい守備面においては、対戦相手の心証的な部分においても有利な要素として存在している気がしてしょうがない。
(※ これら全ては「漠然とした対戦イメージ」上での話です。守備型・攻撃型の本来の実力云々をどうこう言うつもりはありません)

ただ別に自分は、攻撃型の地位向上とか「攻撃型をもっと評価してほしい」と言いたい訳でもない(多少は言いたいが…w)。
守備には常に技術という要素が絡んでくる事に間違いはないし、何より腹立たしいくらい守備って要素は見映えがいい。笑
牌譜が無ければ良さの分からない攻撃という要素に対して、守備は…牌譜があればさらに、その要素が際立って光ってくる。

麻雀の華は、守備にある。自分はいつもそう思っている。

…まぁ「だから何?」と言われても困るんだけどw、ただ「他者に実力を評価されたければ、まず守備力を身に付ける事」が必須な気がする。
自分みたく他人の評価なんてどうでもいい(良いに越した事は無いが)、要は勝てばそれでいいって人もそりゃたくさんいるんだろうけど。


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