麻雀系のブログとかで自己紹介の時によく見かけるのが、(自分の)好きな役とか嫌いな役の話。
今更ベタな話題かも知れないけど、今日はこの話を少し。

一応ネタにするからにはと言う事で、麻雀の手役の好き嫌いについて今更ながら考え直してみたんだけど…
よく考えてみれば「嫌いな(手)役」といった表現もちょいとおかしいんでは?という気もする。
それこそどんな手役であれ、それが仕上がれば漏れなく加点対象になるわけだし(まさかチョンボは手役とは言わないだろうし)、
得点になる物・自分が有利になるものに対して嫌いとなると言う感覚は、少なくとも自分にはないかなぁとは思った。

それでも多少強引に考えてみると、嫌いとは言わないまでも、好きではない手役ならあった。
それは…これまたベタな回答かも知れないけど、三色。三色同順。

これの嫌いな所は、その手役が能力的に優秀でかつ見栄えが美しい所(主観的な話だし「別に綺麗とは思わん」って人もいるだろうけど)。
他の手役とも絡みやすくて得点もそこそこ高く、かつ和了すればいかにも「仕上がりました」感満々になる有効な手役ではあるんだけど、
その部分が逆に打ち手の様々な勘違いとか思い違いを起こさせてしまい易くて、その勘違いした人間が特に好む傾向が強いもんだから
手役云々よりもその「好む人間」の方に目が行ってしまって、それでどうしても好きにはなれんって感覚なのが一つ。

あと、あるレベルの壁を乗り越える際に、ほとんどの人間に対して障壁として圧し掛かってくるものが三色同順という手役だという印象も強い。
特に自分が三色という手役に苦しめられた訳ではないんだけど(自分は昔から牌効率とか受けの広さ信者みたいな所があったしw)、
今まででも驚くほど「俺は手役派だから」とかいう意味の分からん解釈の元で「どう見ても作る必要のない三色」を無理に仕上げようとして
失敗してあぼーん、みたいな光景と打ち手を何度も見て来たし、まぁそういう人間がいてくれるからこそフリーで勝てるってのもあるんだけど、
それでもやっぱり色んな勘違いを引き起こさせる=進化とか成長の妨げになる要素ってのは、どんなモノであっても好きにはなれない。

ってか、三色が出来るかどうかなんてほとんど運のみですから。いやマジで。
仕上がるかどうかなんてほとんどイーペーコーと変わらない程度の運レベルだと思うんだけど、何でこんなにテクニカルな手役みたいな
扱い方をされるのかイマイチよく分からん。個人的には三色などより、バカホンの方がよっぽど判断面において難しい手役だと思う。


逆に好きな手役は…これは手役と呼べるものかどうか分からんけど、リーチ。立直。こりゃたまらん。
最近などは特に「俺ってリーチを打つ為に麻雀を打ってるんじゃないか?」という気さえしている。

単純にリーチの持つ付加価値の多さとか破壊力の大きさは言わずもがな、ただそんな当たり前の事は差し置いて…
やっぱ単純にリーチと発声して千点棒出して牌を横に曲げるだけで、その局の主役が自分自身になるってのが気分いいじゃないですか。
皆自分自身のリーチに警戒し、打ち込まないようにと逃げ回る。自分は好きなだけ威圧出来て、時には精神的にも怯えさせる事も出来る。
何か自分がメッチャ偉くなったような気分になれるってのがいい。

その上で他者3人とも上から押さえ付けた状態で「じゃ、そろそろ楽にしてやるか」なんて思いながらツモ和了まで出来るなんて、
こりゃもうあまりにもスカッと爽快すぎるし、そもそもこれほどのボコり行為?が許されるのは、古今東西のテーブルゲームの中でも
麻雀のリーチだけなんじゃないかという気さえする。
(…ってかそんな単純に、三人が三人とも恐れ慄いてオリるなんて事もそうそう無いんだけどw)

まぁ上に書いたような事(多少誇張含みだけどw)だけじゃなくて、単純に「勝負する」というその感覚自体が面白いとでも言うか、
(リーチしたからには)姑息さが無くて真正面からぶつかり合う勝負が出来る、って感覚が単純に熱くて面白くて好きってのもある。
やっぱ、麻雀はリーチですよ。リーチ。


…なんて言いながら、リーチを繰り返して和了出来ない事が続くと「あーもう何でもいいからアガらせてくれ」とか思うんだろうけど。笑


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