たまには麻雀の戦術的な話でもしますか。なんか最近笑いを求めるあまり、日記の方向がネタ系に偏ってるような気もするんで。笑

攻撃型と言われる事の多い自分の麻雀スタイルだけど、自分ではそういう認識はなく、最も攻守のバランスが取れた位置を目指している…
昔の、このサイトがまだ出来立ての頃の日記に書いた一文だけど、その思想の根本的な部分は当然現在も変わっていない。
それでもそういう受け取り方をされるのには何かしらの原因があるのだろうと、自分の麻雀の打ち方について再度冷静に&客観的に
振り返ってみると、ここだけは(他の大勢の打ち手と)考え方が大きく異なるなという部分が一つ浮かび上がってきた。

これは特に最近になって思い出した事でもなくて、結構前々から思っていた事なんだけど、この自分の麻雀が攻撃的とされる由縁…
それは「リードしている時の打ち方と考え方」に最も凝縮されているんじゃないか、という気が以前からしている。

もしかしたらまだ覚えている人もいるかも知れないけど、過去に響さんのMJ TEXTの掲示板の何切るでこんな問題があった。
(注:このリンクは現在時点のものなので、記事の新規投稿や削除があった場合は意図するリンク先が前後にズレる事があるので一応…)
南1局のトップ目で愚形役ありテンパイを曲げるかどうかという問題。

まぁ一人で興奮している投稿記事を見てもらえれば分かるかと思うけどw、自分はこの形からは100%リーチを打つ。
理由は掲示板に書いた通りだけど、さらに言うなら自分はこの形でダマにするって事は、オーラスのトップ目以外100%ない。
どんな状況でも必ずリーチを打つ。状況がリーチ棒を出したら順位低下するオーラスの2着目、などであっても同じだ。

ここでリーチを打つのに躊躇う理由がないし、掲示板でも何度も言っている通り、起こってもいない現象をあれこれ警戒するという思考は
自分にはない。「もしかして」に関連する仮定の話などには何の興味もないし、ただ目の前の有利な展開をモノにする事を考えるだけだ。

リードは守るものじゃなく、広げるものだ…
片チンの漫画「ノーマーク爆牌党」の八崎の名文句だけど、まぁ八崎のキャラとか打ち方は全然共感もしないし好きでもないけどw
この言葉は結構好きだ。いや、単に言葉と言うよりその言葉に込められた姿勢が好きと言った方がいいかも知れない。

この言葉には…この姿勢には、最後まで相手をナメたりせずに全力で戦うという意思が感じられるのがいい。
相手を真に警戒し、リスペクト(と言っては大げさかも知れないけど)してるからこその発想だと思えるんだよね。

別に単に精神論だけを振りかざすつもりもなくて、ただ物理的に考えてみても麻雀は逆転要素を多く持ち合わせたゲームだと思えるし、

それが起こる事によってゲーム自体の進行が完全に停止したまま得点差を詰められてしまう、親の連荘…
ツモ和了による防ぎきれない失点と、自分が親の場合にベタオリでも起こる50%以上の損害…
通常の平均和了得点と役満など大物手の和了得点の差の大きさ…

上に挙げた要素はそのどれもが麻雀の、逆転という可能性の高さと残された手段の多さを物語っていると思う。

ゲームセットの瞬間まで分からないゲームだからこそ常に、どんな状況でも加点への姿勢は崩したくない。
麻雀はひたすら相手をボコって打ちのめすゲームって事も過去の日記で書いたけど、もしそれが麻雀の本質とするならば、
自分は最後までその本質を貫き通したいと思う。どんな位置からも這い上がる事さえ出来ないように、全力で叩き潰しにかかりたい。


…とまぁこんな自分だけど、ゲーセンで対戦格闘ゲームなどをやるといつも、強引に攻め込もうとしすぎて自滅して負けます。笑


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