麻雀で不ヅキを実感するくらいの不調に長期間陥ったりとか、あと長時間打ち続けて疲労が溜まってくる時もそうなんだけど、
その時に真っ先に失われてくる物がバランスの感覚だという気がする。

以前は、長期に渡る不調で一番最初に崩れてくる部分が「攻守判断」に関するバランス感覚だった。
不調であるが故に「いい加減アガりたい」とか「何度も何度も報われない降りをするのが面倒でもう我慢できん」みたいな感覚に囚われて、
本来降りなければいけないような状況で押してまた刺さる…みたいな事の繰り返しになる事が多かった。

短期間の不調であれば、打つスパンを少し開けさえすれば過去の不ヅキの事なんて綺麗さっぱり忘れてしまうものだけど、
こと長期間の不調になってくると、少々間を開けたところで…次に打ち始めてもすぐ「またか」みたいな感覚が甦って来てしまう。
結局バランス感覚を回復出来ていないまま打ち続けてしまって、いつのまにかその「崩れた打ち方」が自分自身の打ち方として
固定されてしまっている、みたいな悪循環に「自覚の無いまま」はまり込むような事が結構あった気がする。

幸い、今までは本当にふとしたあるタイミングで「俺はいつのまにこんな無茶な勝負をするようになってんだ…?」みたいな感覚を
取り戻す事が多くて(その「気付くタイミング」ってのは結構バラバラなんで、未だに明確に「不調の時にこうすれば感覚が元に戻る」
というモノが掴めている訳ではないんだけど)、その度ごとに打ち方とか判断基準を本来の物に修正して今に至るような感じだ。

そういう事を繰り返してきた事もあってか、こと攻守判断に関しては…こう見えても毎回かなり強い自戒の念を持ってw
「本当にこれは押してもいい展開なのか」と言った類の判断を(精神状態によって左右されない程度に)慎重に行っている。

だけど最近は、不調で失われてくるバランス感覚がこの攻守判断だけじゃない事に気が付いてきて。
鳴きの感覚もそれと同じく、不調によって結構簡単に崩れてしまうものなんかな、と。

MJで不調に陥ってた時は、それは打ってる時は当然全く気が付かなくて「何だこのクソゲー、むかつく」としか思ってなかったけどw
よくよく思い返してみれば…不調の時は鳴きのバランスが相当に崩壊していて、牌効率とか期待値とかいったものを完全に無視して
とにかく簡単に仕掛けが利くような形に持っていきたがる傾向が強かったように思えてならない。

不調になってくると、和了出来る機会ってのがおのずと減ってくる。
当然、普段なら簡単に仕上がるような形から延々と足止めを食らったりとか、3面待ちが残り2枚のクソ待ちに負けてしまったりとかの
ショッキングな事象が繰り返される訳で、その繰り返しによって何か自分のツモが信じられなくなってくるとでも言うか…
面前で仕上がって和了し切れる感覚が枯れ果ててしまって、それが逆に「鳴けば簡単に仕上がる」ような錯覚に襲われる原因にもなって
「どこからでも簡単に仕掛けられる形を」とか「赤一枚あるんだからクイタン狙いで何でもチー」みたいな感覚になってしまっていた。


なんか麻雀って積み木みたいなもんなのかな、とか思う。
地道にズレないように積み木を組み立てていけば、相当安定した&縦に長い積み木が組みあがっていくけれど、
途中で適当な置き方をしてズラしてしまうと、それだけでかなり積み木が崩れやすくなる。
それでもそのズレにすぐに気が付いて、次にちゃんとした位置に積み木を置く事が出来ればそれは最終的には些細なズレでしかないけど、
ズレた状態のまま積み木を積み上げていくと、それこそあっという間にガッシャンとなってしまう。

そう考えると麻雀って本当に、地道(地味?)な作業の繰り返しなんだなっていう気がしてきた。笑
でもそれが正確に…本当に途中で投げ出したりブレたりする事なく、その地味な作業を繰り返せる人間こそが強いのかなって気もする。


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