昨日の日記で書いた「口癖が8000」の友人(以下Mとします)の話。
当時まったくの麻雀初心者で点数計算もろくに出来ないようなレベルから、一応フリーで打っても恥はかかない程度のレベル…
東風で言うとそれこそ今まで何度も日記で書いてきた「当時あった上ランの平均水準」にまで、自分のレベルを上げてくれた人物でもある。
言ってしまえば凸講座とか氷室さんに次ぐ、第三の…麻雀を本格的に打ち始めるようになった契機の男、とでも言うべきだろうか。

と言っても「麻雀の打ち方とか基本的なマナーとかを、このMは懇切丁寧に教えてくれた」とかいう訳ではない。
むしろ全く逆の事をされて、それに対する反発心とか「こいつには負けたくない」という思いから(自分が)伸びた、ってのがある。

自分が麻雀を覚えた時期ってのは結構早く、小1の頃の家族麻雀がきっかけだった。
ただ、さすがに小学生で麻雀を知っているような友達などさすがにおらず…中学校&高校になっても、麻雀が打てるという友達は
近くにはいなかったもんで(それが普通なのかも知れないけど)、専らコンピュータゲームの麻雀を暇つぶし程度に遊ぶくらいだった。

それが偶然、20歳前後の頃に小学校時代の友人(以下Tとします)と駅でバッタリ会い、色々と話すうちに
「休みの日とかに仲間内で麻雀を打ってるんだけど、どらごん君は麻雀打てるの?」という話になり、せっかく打てるのなら今度打とうぜ
と上手い具合に話に広がっていき…そのTのセット麻雀に参加するようになってから、自分自身も本格的に麻雀を打ち始める事になった。

Tの友人の中にその「8000の男」Mがいたわけだが、この男は(表面的な人当たりは結構良いんだけど)結構曲者だった。
いくら小1で麻雀を覚えたとは言え、まだ全然ド素人同然のレベルの俺に対して「差し馬つけて打とうぜ」とか言ってきたり…
(ちなみにMは当時、京都近辺の雀荘に毎日のように打ちに行っているような「結構ヘビーに麻雀を打ち込んでいた」男である)
それに自分も未熟でバカなものだから、思わずその差し馬に乗ってしまったりね。
ちなみに自分はその当時、1局ごとに起家マークを今の親の所にまで動かそうとするほどの初心者だった。
そんな男に差し馬を仕掛けてくるM…今から考えてみれば相当悪質である。笑

まぁ自分が麻雀をちゃんと覚えて、ある程度まともな打ち筋を覚え始めて来た頃から自然に…
Mは自分に対して、差し馬を仕掛けてこようとはしなくなったが。

このMという男は普段は非常に謙虚で人当たりもよく、他人のアガリなどに対しても「やたら(凄いとか上手いとか)褒める」
という特徴を持っていたんだが、それは自分(M)が気分よく勝ってる時の話。

自分が負けが込んでイライラし出すと、性格が180度変わる。
舌打ち&強打の連続になり、他人の和了にも「何だそれ、ふざけんな」と言わんばかりの態度。
いまだに覚えているのが、オーラスで2着目の自分が捨てたドラの1sを3着目にポンされ、
トップ目だったMがその仕掛けた3着目に放銃して3着に転落した時…この時Mは、自分に対して猛烈に悪態を吐いた。
(なんでそんなドラ捨てるんだバカ、みたいな感じで)

いくら当時自分が初心者だったとは言え、さすがにこの時は「何が悪いんだ?」って気にもなるし、態度を硬化せざるを得なくなる。
結局、後日になってMはこの件を一応謝ってはきたが、Mはとにかくそういう「負けだすと極端に態度が悪くなる」男だった。

こんな奴に負けるのって、やっぱ悔しいじゃないですか。
自分はこのMには負けたくないっていう思いだけで、とにかく麻雀をある程度の…話になるレベルにまで持って行こうと努力した。

その努力の過程の中で、このM自身の打ち方そのものも実は結構参考になった。
この負けだすと荒れる性格にはついていけないけど、それでも麻雀自体は当然フリーでもそこそこ勝っていたレベルな訳で、
それにMも平常心の時なら…とにかく守備の堅い男で、初心者の自分から見ると「本当に滅多に放銃しないな」と思ったもんだった。

そして上手い具合に、とでも言うべきか…自分を麻雀セットに誘ってきた小学校時代からの知り合いのT、
こいつが見事に「口先だけの勘違い男(下手なのに自分が上手いと思い込んでる男)」だった。

Tはこのセットでほぼ毎回負けていたにも関わらず、自分の強さを信じて疑わないようなおめでたい男で…
当然守備なんてまるでなってなくて、毎度のように同じような放銃を繰り返して負けていたんだけど、
その「鉄壁の守りで手堅く勝ちをゲットするM」と「無茶な勝負を繰り返して毎度のように負けるT」のコントラストは、
自分の麻雀技術向上の、格好の素材になった。

麻雀はやっぱり守備が大事だ、押してもいい状況ってのは本当に限られる…と思うようになって、守備の意識を強く持つようになって以降は
Mとのセットでも大きく負ける事がほとんど無くなって、負けは常にTの元へ、という図式が出来上がるようになっていた。

それにこのMのフリーばりの仕草とマナーも見よう見まねで覚えて、いざフリーへ言っても恥をかかない程度にまで
体裁を整える事が出来た。もちろん、起親マークを移動させるような事もなくなった。笑

最終的には、自分が学校を卒業するまでにMにはトータルで10Kほど負けてしまったが、個人的にはまぁ良い授業料とでも思っている。
(ちなみにTは冗談抜きで200K以上負けていた。点5でここまで負けられる事自体が凄いと思うが…)


で、こんな感じで東京に上京してきて…飯田橋東風荘の一回目の話に繋がると。
なんか書く順番が逆になってしまったけど、まぁ適当さが売りのページだからいいか。


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