土曜日の話の続きを…。

J氏から暴走開幕メールが飛んできたのは、2年前の5月頃だっただろうか。「Hさんと有り得ない喧嘩をしてしまった」とか何とか。
「すごく苦しい」とかメールで書いて来てたけど、個人的にはもうこの時点で「知らんがな」としか思えない訳で。俺にどうしろと。
でもさすがに放置する訳にもいかず…仕方なく色々とレスをしてたら、いつの間にか自分がJ氏の相談担当係みたいな
ポジションに落ち着いてしまっていた。J氏の一番の良き理解者、みたいな感じなんだろうか。マジ勘弁して欲しかった。

この時点でJ氏は、土曜日の日記で書いたような台詞をベースに…「君らは別れろ。Hさんの彼は俺(J氏)であるべきだ」などと
HさんとNさんの二人を前にして長時間問い詰め、Nさんを精神的に追い込んで病気にさせたとか何とか言う話も耳にしながら…
全く醜悪なムーミンの分際で何を考えてるんだと思ったもんだが、次第にそんな冗談も言えないような状態になってしまい、
Hさんにメールと電話を執拗に繰り返すという、まぁいわゆる典型的なストーカー行為を始めてしまった。

そのあまりのしつこさと、一度出れば電話を切ることを許そうとしない(話に5時間付き合わされたとか聞かされた事もあったっけ)
J氏に当然嫌気の差したHさんは携帯の電源を切る事に。したらしたで、今度は自分の所に決まってJ氏からメールが飛んでくる。

「やっぱHさんひどいよ。僕が電話してるのに電源切るなんて。僕の気持ちを分かってるくせに

前後の文面に繋がりがないようなのですが、などと冷静に突っ込みを入れる訳にも行かず、暴走するJ氏をまた必死でなだめる羽目に。

しかも連絡先を交換していたHさんからも、素行の悪いJ氏の対応について、どうしたらいいかと相談を受けるようになり…
基本的にHさんは、悪い言い方をすれば「人に悩みを相談する」という行為を「相手の負荷として考えない」人間とでも言うべきか、
何かあったらすぐにマルチポストで悩み相談のメールをばらまくような、ある意味ちょっとタチの悪い人だった。
その中の一員として見事に抽選されてしまった俺は、精神病J氏&それに追われるHさんの両方からバンバン連絡を受ける事になる。

0時頃、仕事から帰ってきてビールでも飲みながら遅い晩飯を食って一息ついてたら、Hさんから電話が掛かってきて
「今J氏と一緒にいるんだけど、J氏が家に帰してくれないの。帰るって言ったら「じゃあ僕は死ぬ」とか言い出して…」
んでもって暫くの沈黙の後、半泣きのJ氏の声が受話器に響く。
「僕はどうしたらいいの?」

知らねっつの。ってかそのまま死んでくれ。

…と言いたい所をぐっとこらえて、適当な慰めの言葉とか一般論をしつこく繰り返してなだめる、といういつもの修行を始めるハメに。
冷めて伸びきったラーメンすする暇もなく、僕の気持ちがどうだの病気なんだから優しくしろだのHさんは冷たいだの何だの言われ、
一体俺は何の為に生きてるんだろうって気にもなり始めた頃、ようやく長い電話相談から開放。
もう二度と電話しなくていいよ、って思ってたら深夜2時半にまた電話が掛かってくる。当然出なかったが。

しかもJ氏はあろう事か、これら一連の事の顛末を自分のブログに事細かに書き記していた。
「(Hさんに嫌われるくらいなら)僕はもう死にます」などという、あまりに痛い…じゃない、痛々しい内容で埋め尽くされるブログ…

実はJ氏って、B級グルメの世界では結構有名人(まぁ一般人として、サイトに食べ歩きの記事を書いたりオフに参加したりしてた人)
だったりして、当時2chのB級グルメ板にも…このJ氏を始めとする数人の有名人のオチスレみたいなのがあった訳だが、
それはもう格好の餌食ですよ、この「僕はもう死にますブログ」は。

J氏から「僕の日記が2chに晒されて、祭りに…」ってメールが届いたのは、そんなに先でもない頃の話だった。
半笑いでかつ半分は顔が引き吊った状態で該当のオチスレを覗いてみたら、そこではJ氏祭りが盛大に開催中で…
ブログの特にイタイ部分を執拗にコピペされてはワショーイの嵐。始まりから二日も持たずに一つのスレッドが1000まで到達していた。
あのスレを初めて見た時の眩暈に似た感覚…これは一生忘れられそうにない。


…一応まだ続きます。笑


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