昨日の話の続きを。

その氷室さんの打ち方というのは、面前リーチの基準が凸講座とはまるで違う、いわゆる「先制重視」の打ち方だった。
愚形であれ(待ち牌の枚数が一定以上残っているなら)先制であればほぼ何でもリーチ、手変わりは6順目以前でかつ
よほど受けが広い場合以外は手変わりを待たずに全部即リー、という…言わば棒テン即リーに近い打ち方だった。

現在であればそんなにおかしいと思うような打ち方でもないし、むしろ攻撃型の強豪のデフォルトのような形にさえなっているけど、
当時は凸講座の影響が強かったのと、まだ先制リーチの基準が一般的に(強豪であっても)曖昧な部分があって、
当時はここまで極端に先制のみを重視する打ち手は居なかったように思うし、意見に賛同する人間もかなり少なかった。

それでも…どれだけ他の人間と意見が異なっていても、氷室さんは書き込みの度に「即リー」「即リー」の嵐…
凸講座ベースで伸びてきた自分には最初、氷室さんの打ち方は当然受け入れる事が出来ず、
「この人は他人の打ち方を惑わせる為に、わざとこんなムチャな打ち方を意見として言ってるんじゃないのか?」とさえ思っていた。

仕掛けに対する感覚も、当時の自分とはまるで違っていた。
一見どうしようもないバラバラのクズ手から「染めを見て客風牌ポン」「鳴き三色を見て123チー」などの意見も多くあって、
当時はこんなクソ手から鳴いていくなんて一体何を考えているんだろう、としか思えない部分があった。

だけど、麻雀で「そんな打ち方はあり得ない」と決め付ける事ほど危険な事はない。
思い起こせば今まで壁を乗り越えて来た時だって、どれだけ既成概念やら既存のセオリーやらに縛られて柔軟な発想が出来なかった事か。
頭ごなしに否定するだけでは何も生まれないし何も変わらない。
自分はこの人の意見を特に注目して、「何故こういう基準なのか」「どういう意図でそう打つのか」という検討を何度も繰り返してみた。

そして、自分がある程度納得が出来た事柄から順に…自分の打ち方として取り入れてみる事にした。
攻守の基準も「自手の打点」から「テンパイしてるか否か」の判断に徐々にスライドし、
先制聴牌も「手変わりがほとんど望めない」形から順を追って、先制を打つように変更してみた。
仕掛けでは特に染め手への移行を意識し、染め手の破壊力を改めて感じながら…以前よりも染めの回数を大きく増やしてみた。

するとこれがまた幸運な事に、氷室さんベース(正確には氷室さん+凸講座ベースと言った方が正しいが)の打ち方にスライドして以降、
恐いくらい劇的に成績が向上した。
単に上手い具合に確変タイムと重なっただけなのかも知れないが、それでも自分が氷室さんの打ち方の威力を痛感するには充分だった。
自分はますますこの人の意見に注目するようになって、氷室さんの意見の良い部分と、凸講座の良い部分を上手く絡め合わせようと努めた。

そして、氷室さんの意見が恐ろしいほど正論だった事が、後に出た凸氏の麻雀本「科学する麻雀」で証明される事になる。

凸講座では好形有利とされていた打ち方が、正確なデータを取り直した結果、実は先制有利という事が証明され…
しかも氷室さんが以前から常に言っていた、手変わりを待つ基準となる「6順目以前か以降か」の判断基準…
これが凸本の「先制が有利となる順目」として提示していたグラフと恐ろしい程に合致していた時は…正直、その凄さに言葉を失った。
(しかも攻守の判断基準が「一向聴からの攻めは圧倒的に不利」という結果も、日頃から氷室さんがよく言っていた言葉と全く同じだった)

氷室さんは凸氏がデータとしてその結果を出す以前から、自ら何千試合ものゲームをこなしてデータを吟味し、打ち方を定めて
これほどまでに正確な判断基準を自力で生み出していたのだ。
正解データを見て打ち方を変えるような簡単な手段でなく、自らその面倒な過程を経て結論を出していた。しかもそれが正解だった。
それに…あれだけ他人と意見が違い、時にはバカにされるような事があっても持論を曲げる事なく、常に自分自身の打ち方を貫いていた。

この事の凄さは、今更自分があれこれ言う必要もないかなって気がする。
少なくとも面倒臭がりな自分などには絶対に、真似る事さえ出来ない事だし…本当に陳腐な言い方で申し訳ないけど、凄い事だと思う。

考えてみれば、やはり自分は幸運だなぁと思う。
努力と言うのさえおこがましいような簡単な情報収集と分析だけで、これら先人が努力した分と同等の「解」を得る事が出来た訳だから。

今後は自力で、出来る範囲でいいから何かを自分で見つけるなりデータを取るなりして、一つの解を出してみたい。


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