ようやく体調も回復してきたので、今まで通り更新して行こうかなと思います。

飯田橋東風荘のネタはまだ色々あるんだけど、時系列的に見て31日の日記で書いた「成績向上の契機」の事を書いた方が
話の辻褄が合い易いかなと思ったんで、今日はその話を。

麻雀をどう打っていいか分からなくなり、出口の見えない迷路にハマってしまった頃…
振り返ってみると、自分が自分で「劇的に技術や成績が向上した」と思えるような出来事が今までに二度あり、そのうちの一つが
今回の話になるんだけど、いずれにしても共通して言えるのは「本当に巡り合わせの運が良かった」という事だ。
この二つの出来事無しで今の自分などありえないし、この店や第2の強豪と知り合いになる事もなかっただろう。

ちょうどこの頃…自分自身が麻雀の解にハマっていた頃、とつげき東北氏のHPで「最強水準になるための麻雀講座」が始まった。
一応ネット麻雀をやってた人間として凸氏の名前くらいは当時も知っていたと思うけど、どうやってその講座に辿り着いたのかは
正直よく覚えていない。手当たり次第にかき集めた情報源のうちの一つだったのかも。

最初にその講座に目を通した時は、高圧的なモノの言い回しに軽く不快感を覚えたがw
それよりも書いている全ての事が「解を出している」事に強く興味を惹かれた。
しかもその全てが、曖昧ではなく確固としたデータなり理論から導き出されている事にも…何と言うか、非常に新鮮な印象を受けた。

「状況による」って言葉の違和感…昔から麻雀を語る度に出てくるその言葉を聞く度に、えもいわれぬ違和感を感じていて
元々一般的に言われているオカルト的な考え方とか流れ論…流れを利用してどうこうするという考え方に、自分は当時から否定的だった。
だが、少なくとも自分の周囲(当時は東風の知り合いなんて当然居なかったし、リアル麻雀での知り合いって事になるが)で、
オカルトや流れに対して否定的な人間は誰一人としておらず、麻雀を語る上で流れは欠かせない要素になっていた。
かと言って自分がそれを反証出来るほどの実力も当然なく、話が噛み合う訳がないというのが目に見えていたので
誰か友人とか知り合いと麻雀について語ろうとか、議論しようとかいう気も起きなかった。

その信念的なフラつき具合が余計に麻雀の打ち方を迷わせる要素になっていたんだが、ここの講座を読んだ事で
その類の迷いを完全に断ち切る事が出来た。これがまず本当に大きかったと思う。

−わかってる人は毎回正しい選択ができる。それが技術というものだ。

この一言で、自分はどれだけ楽になっただろう。
迷いの根源を叩き潰してくれた一言でも言うんだろうか…この言葉で完全に、強くなる為の手法・手段・方向性…を明確にする事が出来た。

自分でもしつこいと思えるほど、この講座は何度も読み返し…自分の中で、打ち方としてそれを定着させる努力をした。
全ては、勝ちたいがために。

そしてちょうどこの頃、できすぎくんの存在を知った事もあって…今まで打っていたハンドルを棄却して、新しいハンドルで打とう
と思って作ったのが今のハンドルになる。何と言うか、本当に自分の中でも技術的に「変わったんじゃないか」という実感が大きくて、
とても今までの糞データを引き連れて打つ気にはならなかったw

そして、その劇的な成果を…ネットでもリアルでも共に、肌で感じる事になる。

大事な場面…平均順位に直接影響してくるような重要な局面であっても、無駄に迷うことがなくなった。
結果が失敗として現れても、「今のは正しかったのか?」などといちいち考えることもなくなった(負けが込んでなければ…だがw)。
好調不調で打牌が乱れることもほとんどなくなった。
自分の背後には常に「正解だと認識している物」がある。正解を背負いながら打てるという事の力強さを、改めて強く実感した。

ネットでは今まで超ランなど手が届く範囲にさえ到達した事が無かったのに、規定の300試合を達成した時点で余裕でクリアしていた。
初めて超で打った時は、それはそれは緊張したなぁ…笑
またリアルでも、1700前後まで低下していたRateを、数ヶ月かけてまた1900前後まで戻す事が出来た。
偶然好調な時期と重なってくれたおかげで、「打ち方を変えても結果として反映されない」という壷にはまる事もなく
打ち方そのものに対する疑問なども沸いてきたりせず、スムーズに事が運べたって気もする。この辺りも幸運と言えるかも知れない。


とまぁこんな感じで、現在の麻雀技術の基礎的な部分を身に付けた訳だけど、
先に書いてる通り「劇的な成績向上の契機」はこれの他にもう一つある。
超ランに行くことが出来たのはいいが、そこで勝ち越す事が出来ずにR1900近辺を彷徨っていた頃に、それはあったんだけど…
いつもの如く、その話はまた後日って事で。笑


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