「2007全日本大会に参加させていただいて」

 

久々の関西の大会ということで、多少不安に思っていましたが、総合的には成功大会であったと私は思います。決め細やかなインフォメーションや、安全に対する配慮とか、スタート地点の準備とか、動画転送の実況中継とか、狭い競技エリアにも関わらずその中で最大限に面白さを出す工夫とか、前夜祭の料理の量とか、(個人的ですが)自動速報システムを植木さんに採用していただいたことを含め、予想以上に良い大会であったと思います。

 

 以下、気づいた点・感想類を列挙します。

 

◇いろいろな方とのお話

 某OMが高校生に熱心に話されていました。「こういういろいろな人と話ができる機会はあまりないのだから、ぜひ有効に活用せよ」その通りと思います。私もその教えにならい、それほど多くはありませんが、しゃべりました。

 某紳士(残念ながらお名前はわからないのですが、胸にご招待の花をつけた方でモンゴルへもスタッフとしていかれた恰幅の良い方)との話では、ARDFの普及の仕方や大会のあり方について意見交換をし(要職のようでしたがどういう立場の方かわからなかったので、かえって自由に話せました)、基本的な合意は大会運営を軽くすることでした。私も調子に乗って2・3の具体的愚案を出したところ、気に入っていただいて「ARDF委員会、ナインの原さんに言ってくれ」と言われました。でも、現実にはそんな恐れ多いことは私にはできませんね。

 また、JARL関西元支部長ともお話ができました。最初はそんなことは露知らず、スタッフタグをつけていらっしゃったので、最初は「明日の朝食は何時からでしたっけ?」から話が始まりました。16年前の関西大会の話も聞きました。当時は参加者からのクレーム・問い合わせなど尋常ではなかったようですね。深夜に及ぶ執拗な問い合わせや「あの選手はゴール走行ラインを走行したときに、途中一歩はみ出ていたから失格にせよ」とか、私のようないい加減な人間からするとどうでもよいことでうるさく言ってくる人はたくさんいたそうです。私が主催者だったら「ARDF大会なんて二度とやりたくない」と思うでしょうね。

 それからずっと、JARL関西はARDF反対路線だったそうで、最近になって急遽、「全日本大会をやらざるを得なくなった」ということで、大会開催に至ったということだそうです。その路線転換にどれだけの人が動かれたのかは私(安島)はわかりませんが、相当な努力を要したのではないかと推測します。

 また、他のスタッフの方々とも話ができました。スタッフの中でも運営側とお手伝い側との温度差を感じました。それぞれの方がそれぞれの立場でいろいろなことを考え感じているかを知りました。同時に運営側スタッフはお手伝い側スタッフに対して気を使っていることも。

 確かに、関西には最近のARDFを知っている方は多くないでしょう。また、過去のARDF大会を知っている人も少なくなっています。その中で、過去の苦い経験を踏まえた万全の体制を考えると、途方にくれる思いがします。その中であの大会を実現できたことに頭が下がる思いです。

 

 主催者も参加者もより完全な大会を欲するのですが、価値観も考え方も違う大勢の人たちがみんな満足する答えを数々の制限条件(競技できる場所、宿泊場所....)の中で出すことはほとんど不可能です。また準備する時間にしてもそうです。そんな中で私が思うことは、参加者としては開催してくれた主催者に感謝したいと思いますし、もし主催者となった場合はどんなクレームがあろうとも参加してくれたことに感謝する心を自戒を含めて肝に銘じたいと思います。

 

 私自身のきわめて利己的な考えを述べれば、ARDF参加する目的は自分自身が楽しむためです。競技そのものも楽しいし、受信機の工夫も楽しいし、いろいろな人と技術談義を含めて話をするのも楽しいです。いろいろなOMがいろいろなことを言ってくれます。「違うんじゃないの?」と思うことも実際ありますが、結構的を得た長年の経験に基づく重みのある言葉もたくさんあります。この楽しみをこれからも楽しんでいきたいと思っています。

 そのためには、日本のARDFが存続することが必須です。一人ではこの遊びはできませんから。10年後・20年後のARDFはどうなっているでしょうか? M50M60とこれからもARDFを楽しんでいくために自分がしなければならないことはなんなのかを考える今日この頃です。

 もし、M50/M60になっても続けられたとき、今はあまり感じていない使命感を感じるかもしれません。過去、OMの皆さんが築き上げてこられた日本のARDFを自分たちの代で終わらせはいけない。終わらせたら自分たちに楽しい遊びを提供してくれたOMの皆さんに申し訳ない。そんな使命感に駆られるかもしれません。事実、周りを見ると、高校生を除き、自分より若い人はごく少数です。

 そんな中で、いろいろな方々がいろいろな形で、ARDFの普及や競技の場の提供などで貢献されています。

・受信機の開発やメンテ

・安い受信機の入手

・練習会や大会の主催

MLや○○バーなどのコミュニケーションの場の提供

・どんなに遠くても参加する(結構無形ですが、勇気付けられます)

・大会機材の貸し出し

・地元のサークルの運営

・若い世代の創出(高校生)

・技術的な指導、ノウハウの提供

・英語力を生かして文献和訳や海外遠征時の会話サポート

・飲食物の差し入れ

などなど

こう書いていると、いろいろな人たちの顔が浮かびます。こういう人たちがいたからこそ、自分はARDFと出会えたわけですし、こういう人たちがいるからこそ、自分は楽しめていることを痛感します。それに対し、自分はまだまだだなと思っています。もちろん自分にできることできないことがありますが、少しでも貢献できればと思っています。

 

 

 話は元に戻して、大会前日の夜に、大会セッティングの予想大会も面白かったです。廊下にあったホースランドの航空写真を前にして、まずテレインはここホースランドなのかグリーンピアなのか。その推定根拠は何か。から始まって、スタート地点をどこにセッティングするか、TXの配置は、など、いろいろと意見交換をしました。お名前は?なのですが、テレインやスタート位置を決定された主催者の方もいらっしゃって、いろいろ茶々を入れながらその議論を聞いて楽しんでいらっしゃいました。

 

 その横を審判長が競技者に連行されていました。かなり酔っ払っているようです。でも主催者の人たちは止めません。

これも聞いた話なのですが、「彼ほど口の堅い男はいない。主催者の中でも絶対にTX設置の話はしない。競技が始まってからも教えない。これは、彼の信念。しかしその代わり、彼は毎週のようにテレイン通いをしていた。彼の家から通うのは大変だっただろう。」私はあのひょうきんで丸い菊一さんの体の中に一本の硬い鉄棒が入っているのを垣間見ました。

どんなに酔っ払っても彼の口から設定のヒントがでることは絶対にないという信頼が、スタッフには浸透していたのでしょう。

 

◇某高校生軍団の話

 図書コーナーで高校生と思しき集団がミーティングを開いていました。何やら、使った受信機についての感想を順番に述べ、先生と思しき方がノートにメモッていました。私も聞きたいと思いましたが、あまりの真剣さに近寄ることはできず、私は離れたところで、某OMの面白いトレーニング方法を聞いて笑ってました。「犬と一緒に山を走り回る。出発するときは犬は喜んで自分を引っ張っていくが、帰りは犬がグロッキーで自分がひきずって帰る。そのうち犬も学習してきて、散歩の時間になると隠れるようになった。」

私は三好鉄生の「すごい男の歌」を思い出しました。

 

TXセッティングの話

 なんといってもTX3でしょう。今回の最短コースは、TX3→1→4→2→5です。最初のTXゲットタイム最短の高橋さん、岩坂さんも第一TXTX3のはずです。

 TX3のセッティングの妙は、スタート直後の低地では信号が小さく、進んで山に登ったときに強く後ろに聞こえるセッティングだったということです。これには私もはまりました。実は、一番低い最北端の道路上でTX3が強く聞こえるポイントがあったのですが、それをきちんとフォローしていった方々がTX3を最初にゲットされています。地図には登る道は書いていないので、登れるところをきちんと見つけられたかが、ポイントとなったのではないかと思われます。

 200人規模の大会ですから、下手をするとすぐ団子・行列になってしまいます。確かにどこへ行っても競技者がいました。町の人にも「今日は何があるのですか」と聞かれました。狭いテレインの中では、TXを回る順番はほぼ決まっていますが、今回は団子がほとんどなかったと思います。一部、TX4や5で順番待ちだったという話は聞きましたが、少なくとも私自身は遭遇しませんでした。これもスタートにもっとも近いTX3のセッティングの妙で、競技者が分散したおかげだと思います。

それから、このテレイン特有の話ですが、馬の道と人の道が分離されていたというのも大きな理由と思います。他のテレインでは川などが使われるのでしょうか? 競技者にとってはどの橋でわたるかは、賭けの要素もあり私は好きではないのですが、それも競技者の判断の妙といわれれば、その通りであることも事実です。

 反面、TX2TX5はゲットした人が出てくるのをかなり遠方から目視することができるセッティングでした。TX2をゲットした人は戻ってくるしかないので、余計にそこにあることが確信できます。しかし、かなり南方の方で、TX3のトラップもあって競技者もまばらになることから、簡単にしたのかなとも思っています。事実、私はTX5M40対象外でしたが拾いました。

 

◇競技の話

最近、走り屋の上級者の方々には追いつきはしませんが、タイムが近くなってきました。徒歩ARDFerの私としては、着実に方探して最短コースをミスなく進むことが絶対条件です。先日の練習会では、走れる高橋さんと各TXで遭遇するなど、自分も初級者から中級者に入れたと有頂天になっていました。

しかし今回の全日本大会では、高橋さんは直前に体調を崩されたものの、私には逆立ちしても出すことのできない実力を発揮され、最近近づいてきたと思っていた自分が恥ずかしくなりました。

今年のM40は、去年のM40の上位者+去年のM21上位者がひしめくある意味激戦区でしたので、はなから成績はあきらめ、自分なりに楽しむことに専念し、実際楽しめましたの大変満足しています。

 全日本大会出場は3回目でした。過去の2回は、M40の規定4個に満たない3個止まりで、かつタイムオーバーでふがいない結果でしたが、今回は拾い物もあって5個ゲットし、しかも時間内で帰ってこれました。たまたまだったのかも知れませんが、これも今年いろいろな大会・練習会に参加させてもらったおかげと信じたいです。

 

◇今回の反省

今回の最大の反省点はポカミスです。エキシビションではSIチェックを忘れるという痛恨のミスをおかしました。2mの当日もなにかあると予感がしてましたが、予想通りありました。

まずスタート地点までのバスを待っているときに、ふと気付くとSIを持っていないではありませんか。あわてて預けていた荷物に戻りSIを持ってきました。

次にバスに乗ってスタート地点へ移動してから気付いたことは、地図のボード(コンパスつき)を持っていないではありませんか。なんてこったいと思っていたら、次のバスで小倉さんと高橋さんが持ってきてくれました、感謝・感謝です。あまりの驚きにお礼が十分に言えなかった気がします。

この紙面を通じて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

◇今回の大会で学んだこと

 前述したように、今回は自分なりに走ってみました。汗が出れば出るほど、地図への記入、方探、方探の記憶がおろそかになりました。それによる失敗もありました。私のARDFの進み方は着実に安全に進むやり方ですが、走るとそれがメタメタになることを実感しました。走った場合でもしっかりとポイント押さえなければならないことを痛感しました。

岩坂さんが言ってましたが、「なんか走らなければいけない衝動に駆られる」というのも実感しました。落ち着いて考えなければいけないところ、じっくりと方位や強度を確かめなければ行かない所でも、面倒になってとりあえずこっち方面に急がなければと考える自分がありました。

 逆に走ることの重要性も感じました。TX付近です。TXが鳴く時は移動しやすい場所に位置して走りました。走りながらの方探で方向が次第に変化したり、強度の変化を掴むことに専念しました。いつもTXの追い込みでは走るのですが、いつもの1.5倍位のスピードで走りました。結果として入手できる情報量は2倍以上あったような気がします。

 

◇最後に

 全日本の壁は自分にとってはまだまだ高い壁です。でもそれがある限り次への意欲がわきますし、人の話を聞いたり、いろんな受信機をみるのは大変勉強になります。こんなことを言っては怒られるかもしれませんが、全日本はARDFのお祭りイベントのような気がしています。私の場合は、region3や世界大会とは程遠い実力なので、気楽に楽しみにいきたいと考えています。最後にもう一度、この楽しみを与えてくださった方々に御礼申し上げます。